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「時間厳守」って絶対正義?そこに生きづらさを感じたとき

日本では「遅刻=悪!」みたいな鉄の掟、ありますよね。何なら「人の時間を奪う罪だ!」とまで言われる。でも私、ずーっと引っかかってるんです。早く着きすぎた人の「余った時間」については、誰も何も言わないの?その時間、誰か返してくれるの?って思いません?

香港の「ゆるっと始業スタイル」

香港で働いていた頃、就業時間が9時だったとしても、みんな普通に9時20分くらいに来るんですよ。パン片手に「おはようございま~す」って席につく感じ。週末出勤のときなんか、朝マックを広げて優雅に仕事を始める人もいました。

一方、日本での9時出社って、9時ピッタリに席にいなきゃアウトですよね。朝が弱い私は、何度も間に合わなくて、上司や同僚に謝る日々。毎朝いちばんの連絡に「出社が遅くなり申し訳ありません」と送るたびに、「これって本当にそんなに悪いこと?」って思ってしまうんです。もちろん、遅刻を正当化したいわけではないけれど… たかが数分の遅れが、果たしてそこまで重く見られるべきものなのか、いまだに腑に落ちないのです。

でも、日本ではその数分の遅れすらも許されないような空気がありますよね。だって、電車の遅延アナウンスですら「お詫び」が必須。毎朝聞こえる車掌さんの「誠に申し訳ございません」には、「そこまで謝らなくても…」とツッコミを入れたくなるけれど、それが当たり前の国なんですよね。「遅れるのも人間らしいことなのに」と思いつつ、どこか生きづらさを感じてしまいます

待ち合わせの「文化ギャップ」

この違い、仕事だけじゃなくてプライベートでもしかと感じます。

香港人の友達が、約束の時間より1時間以上遅れてくることもたまにある。でも「まぁ、事情があるんだろう」とわりと軽く受け止めています。その間に本を読んだり、カフェでのんびりしたりして、案外楽しんでいました。むしろ「ラッキー!本の続き早く読みたかったんだよね!」なんて気分になっていたんです。

日本人の友達はというと、5分遅れるだけでも「待たせてごめん!あと少しで着くから」と、わざわざ連絡をくれるのです。それも何度も。そのたびに「いやいや、全然大丈夫だよ!」って笑っちゃうんですけど、そんなに気にされると逆にこっちが申し訳なくなっちゃうんですよね。

時間って、もう少し自由でいい

日本と香港、どちらの感覚が正しいかなんて決められないけれど…「時間を守ること」が目的になってしまうと、生活から余裕が消えてしまうじゃないかと思うのです。

もちろん、時間厳守が大事なのはわかります。でもね、たとえば早く着いた時間を楽しんでみるとか、遅れてきた相手を受け入れてみるとか。そうやって柔軟に捉えられたら、もっと豊かな時間を過ごせるんじゃないかなって。

日本人からすると「時間にルーズだな」って思われるかもしれない。それでも私は、待ち時間さえも楽しめる人でありたいなと思うんです。そのほうが自分も相手も、ちょっと生きやすくなる気がするから。

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