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不完全な圧縮ファイルの良さ

最近、俳句を嗜んでいます。
嗜んでいるというか楽しんでます。

きっかけは妻がお友達と俳句を気軽に楽しめるコミュニティを立ち上げたことでした。

俳句って5・7・5の音で作ります。この17音の中に自身の体験、心情などを込めます。

つまりこの限られた文字数にあらゆる情報を圧縮するんです。それを聴いた人にそれに込めた想いが伝わるように。


ところで、デジタルの世界で耳にする「圧縮ファイル」というのはご存知でしょうか?メールでデータを送信したりするときにデータ容量を小さくするあれです。

あれでなんで容量が小さくなるかというと、例えば「123123123」というデータがあったとします。文字数をデータ量とするとここでは9ですが、あらかじめ「123」は「A」で表そうねというお約束をしておくと、「123123123」は「AAA」で表せます。この「AAA」が圧縮された状態で、文字数は3つとなり、データ量として減っています。

この状態で送信先に送り、送信先でも「123」は「A」というお約束は共通認識なので、「AAA」から「123123123」と元のデータを復元できるわけです。この操作がいわゆる解凍や展開と言われる操作です。

デジタルにおける圧縮の原理を簡単にいうと大体こんな感じで、元のデータ量より少なくした状態で送信し、その後全く同じデータを復元できます。


一方、俳句は5・7・5の音にそれでは説明が到底足りない情景、心情を込めます。17音しかないので、複雑な感情や情景であればあるほど、ただ単に文章として伝えるには中々に厳しい。

なので冒頭で述べたようにこれも情報を圧縮する必要があります。
例えば、伝えたい情景を表現するために「雲見上げ」という言葉を使うとします。これで5音使ってしまうわけですが、ここで「雲」というのは見上げるものというは、大体がみんなの共通認識と言って良いと思います。

つまり、前後の文脈次第で「雲」があるだけでほとんど見上げてる状態は伝えることができる。「見上げ」を入れる必要はなかったりします。
もちろん、飛行機や山頂からの情景を伝えたい場合などもあると思いますが、その場合も前後の文脈で状況を想像できれば良いんです。

つまり、これまで生きてきた経験から人は一種の共通認識を持ち、文脈から察する能力を持っています。だから事細かく言語を使わなくても伝わる。
いわゆるハイコンテクストなやりとりです。

この共通認識がデジタルでいうところのお約束ごとにあたり、俳句というものが情報を圧縮したもの、つまり圧縮ファイルにあたると捉えることができます。


で、何が言いたいかというと、俳句はデジタルにおける圧縮に構造が似ているけれども、デジタルと構造が完全に一緒ではなく、その一緒ではない部分がいいなと思ったという話です。

デジタルの場合はお約束ごとはあらかじめ明確に決められています。だからこそ、圧縮したのちに圧縮前のデータを完全に復元することができます。情報を明確に伝達するという意味ではそうでないと困ります。

ですが、俳句はあらかじめ決められたお約束はありません。それぞれが経験や文化的背景から共通認識のようなものがあると信じていて、お約束はこれだよねと自分の中の共通認識としているものから勝手に想像し、展開するわけです。

だからデジタルのように完全に作者が意図した情報が、受け取った相手の元で復元されるわけではありません。

いわば、受け取った相手は自分の感覚でそれを照射し、自分の感情空間に投影するという感じでしょうか。俳句を受け取った人たちでそれぞれの映像を成し、それに伴う感情が沸き立つ。

作者のそれとは映像が完全には同じということはないけども、伝えたいことを共有できた、きっと似た映像を頭に浮かべ、同じような感情に浸っているだろう。そういう相手と共鳴する感じが心地いい

そういう意味でデジタルの世界の効率的に完全な情報を伝達するというものと違い、不完全さを含む情報伝達だけど、だからこそ、示し合わせていない前提で通じ合えたかもしれないという感動や心情の共鳴がすごく嬉しいし、楽しい。

俳句の良さってここが本質じゃないかなと思うんです

俳句って聞くと厳かな感じを受けるし、その道では評価というものがつきものです。他の文化や芸術も色々ありますが、それらもそうだと思います。

そうやって文化や芸術というカテゴリーの中で芸を磨くというのは一つの楽しい方向性だったり、成長欲を満たしてくれるものだと思いますが、評価に重きが置かれすぎてる気がします。

もちろん人の俳句を聞いて、良いとか、ここをもっとこうしたらより良くなりそうとか評価をしちゃうところはあると思いますし、自分の俳句が良いと言ってもらえたら嬉しいので完全に評価することが良くないと思っているわけではありません。
ここで俳句の良さをお伝えしようとしている時点で僕は俳句をすでに評価しています。もしかしたら、良いよりも好きという表現の方がいいのかも。

いずれにしても、きっと俳句というものが生まれたのも、他人と俳句を通じて共鳴できる楽しさがあったからだと思うし、そこを見失ってはもったいないなと思いました。
まぁ、何も俳句の歴史について勉強してない奴のたわごとなのでご容赦を。

なんにせよ、お友達と気軽に俳句を詠み合える環境というのは、俳句に親しむ意味で本当にちょうどいいと思います。
ぜひお試しあれ。


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しょーま
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