好奇心と仕事

この前業績がらみで社内ではなした。大変だなぁと思うが、自分ごとにならない。
その昔は自分もポジショニング、競合研究の仕方、ブランディングの成功例など読んでいたが、もう何年も勉強してない。

仕事のためにやっていたのではなくて、好奇心が豆知識を仕入れさせていたのだと思う。それが偶然実利をもたらしていただけだった。

もう何年も、そういうのは読まない。付箋のついた厚い本は埃が積もって、何が書いてあったか覚えていない。
人間の意志への普遍的なアプローチの仕方があるなら、もう学ぶ必要もながいが、事例は常に新しいものがあり、つまり学ぶことができる。のにね。

どうでもいいとは言わないが、どうでもいいと言いたい気持ちだ。捨て鉢になったのではなく、どっちでもいいのだ。この人にために課題解決したい、役に立ちたいという体験も減った。

why how whatだの、ランチェスターだの読んで面白いと思っていたのが別人のようだ。アーリーアダプターとかも面白かったな。でも、これを私に教えてた人がもういないんだよな。主体的ではなかったかも、スーパーヒーローのシンパをこなしていただけだったのかもしれない。

天が与えた奇妙な運の強さはそのままでも、受け止める器に穴が空いているように思うこともある。

そもそも仕事以前に本も読まないし、映画も見ていない。好きな人が勧めても見ない読まない。やっとのこと惰性でマンガは読むが。地面師は2話か3話かみて、疲れてやめたままだ。

その昔私に「器用貧乏などありえない」と言った人がいて、その人は3つはできることを持てと言っていた。おかげでスキルセットだけ見れば珍しい人材になったが、発揮できなければ意味がない。

散歩をする。歩きながら、どんぐりの季節になったのかと考える。どんぐりをふたつぶひろった。これはマテバシイ。アクの少ないドングリだ。私がリスなら庭に植えたい。クヌギとか食べてる生き物は渋くないのかな。