nm
この前業績がらみで社内ではなした。大変だなぁと思うが、自分ごとにならない。 その昔は自分もポジショニング、競合研究の仕方、ブランディングの成功例など読んでいたが、もう何年も勉強してない。 仕事のためにやっていたのではなくて、好奇心が豆知識を仕入れさせていたのだと思う。それが偶然実利をもたらしていただけだった。 もう何年も、そういうのは読まない。付箋のついた厚い本は埃が積もって、何が書いてあったか覚えていない。 人間の意志への普遍的なアプローチの仕方があるなら、もう学ぶ必要
鬱のせいで部屋から出られない。だからコンビニにも行けないので、禁煙3日目に突入した。 何か大きな存在が、すごい力で私を死へ引っ張る。とにかく不快感がすごい。フィジカル面も実際に胸がいたいし、息がしにくい。 私は「がんばれ」「大丈夫」「できるできるできる」と、平時なら口にしない言葉を必死で自分にかけて、なんとか現実に向かわせる。(向かわせる理由はわからないが、一応締め切りとかの連絡が来たりするので) 「こうありたい」という考え方ができなくなる。状況をよくするとか、先のこと
友人と大森。 一軒目、居酒屋。 「Hazeの『挽肉』のコード進行は、1 3 6 5 4 5だよ」とか話していたら、無銭飲食に遭遇する。 まったく太々しい男で、どんどん増えてくおまわりに囲まれて詰められても少しも反省する様子がなかった。常識も倫理もない、ある種の障害のようにみえた。ちなみに2680円、お前常習犯だろ。いきなり胸焼けするようなイベントから始まってしまった。 二軒目、スナック。 「フランスで働いている。帰国していてオリンピックの選手とも飯に行く」という、それが本
この文が、たまに読んでくれている人を嫌な気持ちに巻き込みそうで申し訳なく思う。 ごめんなさい。 一昨日くらいに、女の人の話を聞いていて鋭い表現がいくつかあった。その中の「黙ってんじゃねぇ」というのが、もう薄れていたシーンを時間差で再生している。 10年ほど前、付き合っていた人がよく家に泊まりにきた。彼女は解放されない負をたっぷりと溜め込んでいて、それを押さえ込みながら生きていた。たまに彼女は汚い言葉で私にどなった。大抵夜だった。 それがその人の全てではないのはよーーーく
夕方、スーパーの帰り道信号を待っていると、目の前に立っていたおばあさんが突然へたりこんだ。 少し放置しようか迷ったが、「大丈夫ですか?」と話しかけた。彼女はぼんやり「めまいがしたの」と答えた。顔を近づけなくても酒臭かった。痩せていて、ラフな格好をしている。目にはマスカラがされていて、年恰好とどこかギャップを感じた。 「救急車呼ぶ?」と聞くと、いいという。 「タクシー呼ぶ?」と聞くと、「家まで1分だからいい」とそれも断られた。 また倒れそうなので、腕を組んで酒臭い女の人と
何の流れか忘れたけど、Googleマップで昔のアパートメントを見に行った。 アル中ニート時代、ほぼ毎日買い物していた角のスーパーが取り壊されていた。 ある日、閉店まぎわに酒を買いにいった時のこと。 バイトの子がレジを打ちながら「リンゴジュースとウォッカっておいしいの?」と私に聞いた。「うん」というと、その子は「私はオレンジジュースで飲むよ」と笑った。 本当は味わったことなんてなかったな。流し込みやすくなれば何でもよかった。 いつもエデカでは同じようなものしか買わなかった
メモが出てきたのでここに残す。 2、3年前に大森のバーにいた女の人に聞いた話。 彼女は立会川だったか、北品川だったか、そこらへん出身。進行形でめちゃめちゃバカだし、昔からめちゃめちゃバカだったそうだ。 入学した中学もバカばかり。できた不良の友達と集まっては、学校をサボって公園でドロケイしたり、みんなでテレビを見たりしてだらだらすごしていたそうな。(ドロケイて!) ところが、中3になって思春期を迎えた不良友達に好きな男ができて状況は一変。友達は「好きな子が高校に行くから」
この前ノート三連投した。 ただ書きたくて書いているようだ。 メモみたいな下書きもたまっているが、開くと本格的にしょうもない内容なので投稿していない。 文章力はもちろん、そもそも語彙がないからダメだ。 知らない単語を見たら紙に写すようにしている。見ると連続で同じ単語をメモしていることがある。頭の中をするりんと通り過ぎて何も記憶していないのがわかる。 (私は中卒でもわかる科学という本を2冊持っている男だ) でも最近、マンボウはドイツ語でMondfishというのを覚えた。M
4週連続同じ友人と飲んでいる。 ほとんど仕事の話か下ネタを話すばかりの、正しい男子の飲みをしている。 私が、刺青を入れようか考えていると言ったら、「太ももに正の字」と言われた。 私は全然真ん中じゃないところに、text-align: center; と入れると言った。 (「完全にCSS理解した」というミームがあります 痛みに耐えられそうもないし、普通に恥ずかしいので入れない方向で終わりました。 飲んだ流れで当たり前のように彼の家に4週連続泊まっている。すね毛が見苦しい
盲目の少年のインタビューがインスタに流れてきた。 冒頭で彼は「『盲目の人はなにが見えてるの?』という質問を何千回も聞かれている」と話している。(インタビュアーが聞いたかはわからない) 答えは「無」で、「黒も白もない」らしい。 それで以前盲目の女性を案内したのを思い出した。 池袋駅の地下で困っていたので、2人で西武のカウンターまで歩いた。 別れ際、彼女は窪んだ目を閉じたまま私の顔を見て 「ありがとうございます」 と笑った。 私はその時制服を着た男子高校生だった。 彼女
この前初めて弘前へ行った。 墓参りのために。 若い頃、その墓の中の人の残したコトバに勇気づけられたり、悲劇的にされたり、随分とりつかれていた。 それでその人のいる墓は特別になって、その墓があるから弘前は特別だった。 行かずにいたけれど、ずっと行かなければならないと思える場所だった。 羽田から出たボーイングは青森上空で着陸の許可が降りず、予定より少しだけ長く空にいた。遠くの光をじっとみる。 次の日はよく晴れた。朝、ホテルの食堂に座っていると、少し離れた席に大学生くらい
25_4_2024 1. 幼少期にすごした土地の日照時間は人格に影響を与える。そういう研究結果があるかは知らないが、勝手に唱えている。妙に説得力があるなと自分で思う。 暗い針葉樹林の中で育った人間と、日がさんさんと射す海辺で育った人間では性根が違う、気がする。そして私は陽の射しこまないところで育った。 ラテン系はドイツへ留学に来ると日照時間が短いので鬱になったりするそうだが、ドイツ人は最初から仕上がっているのでもう影響がない。実際暮らしていてドイツの冬はそれなりに厳しい
4/9から何回もノートを書いて投稿した。投稿しない文章も書いた。 ある著名なカメラマンがInstagramで、「読んでもらえない物語を書く意味はあるのでしょうか。」とフォロワーに質問され、「あると思います。なぜらならその作業自体が自分の魂を救うからです。誰かに見せるためだけに何かを生み出す必要はないと思います。」と答えていた。 思わずスクショしたが、こういう本当のコトは相手と状況によってはなかなか受け入れ難い。 知らない人にわかったようなことを言われると「ケッ!」っとな
芥川龍之介が夏目漱石のことが好きだったので、夏目漱石が好きだ。 しんどくなったら雑司ヶ谷の墓に行って、「先生きましたよ、私は生きる方にいます」と言っていた。 10年くらい前にも人と雑司ヶ谷に行って、護国寺まで散歩し、それから江戸デニで仕事をした。 その時世界は完全に灰色で冷え切っていたので、私は「自分が悪魔だったらよかったのに」とゆった。「だって、この世界は地獄だから、悪魔にとっては天国なんでしょ」と、劣表現者の精一杯を言った。 今から何ヶ月か前、耐えきれなくなって、
奈良の中宮寺に半跏思惟像がある。この星で1番美しい仏像だ。 中学生の時に歴史資料集ではじめてみたのだが、人間がこれほど美しいもの作っていたことを知らなかったので、突然目が見えるようになったくらい衝撃を受けた。 (長くなるので「美しい」を選んだ。確か聖徳太子の母がモデルという説があったはず) 二十歳になってはじめて中宮寺に行った。 本物の彼女は何かで作られた何かで(実際は木像)、とても古くて、長い間大事にされてきたものだというのが伝わった。多分それ以上の印象を受けたのだが、
死ぬ気でやる、という表現をする人がいる。彼らは中産階級であるため、死すら引き合いに出さなければ、自らに価値を見出すことができない。 と、いったような内容の文を昔インターネットで見たことがある。正確ではないけれど、大体こんな感じだったと思う。 以来「死ぬほど」「死ぬ気で」と聞くとそれを思い出してしまう。この人は強い単語を使わないと自分を保てないんだと。 それから時は流れてまたある時、「中産階級は信仰を持たない」という言葉をWIREDで読んだ。ロシアのどこかの街について解説