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社会を引っ張るのは“仕事術”“スキル”じゃなくて『視覚的ビジョン』じゃね?

今、大量に発刊される啓発本のタイトルとかを見ると
『効率的・生産性の高い働き方とは』
『仕事ができる人になるには』
『お金を儲けるには』というテーマばかりだ。
…さてさて、これちょっと考えると疑念が湧いてくる。
なぜかと言えばどれも(所詮)
相対的なものであって誰かが上がれば誰かが落ちる発想』
に感じるからだ。

本当のところ、世の中に

“仕事ができる人・できない人”という絶対的なものさしあるんだっけ?

効率的って“何に対して”効率的なんだっけ?

お金って“幾ら儲けたら”幸せなんだっけ?


結論的に言うと

『仕事ができる人が・効率的に動いて・儲かったビジネス』って、素敵な世の中を作って皆を幸せにしたかしら?

高度経済成長期でも、
90年代初頭のバブルの時も、
割と最近のネットバブルの時でも、
訳のわからない人達のバブルなお祭りとは別に、
『こうなればキミは幸せだ!』じゃなくて『こんなイメージの社会を目指そう』という視覚的なビジョンがあってそれに邁進してる人達が居た。
そのための、共通の言語とか目線 があった。
みんなの会話が成り立っていたのはそれが在ったからだ。

でも、今はなぜか共通の社会目標がない。
『スマートシティ』?それって、都市機能の目標であって社会の目標じゃないよね?

いつの頃から、目標と言えば…お金持ちだけど社会貢献してて=仕事ができる=成功者=スタートアップ起業家でやがてエンジェル、みたいな単純化された図式が出来上がったのかしら。
それと同時に、
皆が幸せになることじゃなくて、まず自分が成功する事みたいな目標設定の置き換えが起こった。それヤンキー(米国文化)に毒されてない?
スタートアップ起業家の全員が成功するなんてあり得ない。
資金も全員に回ることはない。所詮ポートフォリオであって投機マネーに近いからだ。
時価総額も眉唾だ。みんなが高いと思えば高くなる。

どんな仕事してるかとか、上下関係がどうだとか、勝った負けたなんて相対的な話なのでどうでも良くって、社会全体として(仮に富める人や貧しい人が居たとしても…)
●どんな生活空間とか価値空間の中で
●どんな語らい・集いがあって(オンラインでもいいけど)
●何に感動したり、豊かさを感じてて
●何に突き動かされて生きてるか

みたいな “ビジュアル”(視覚的ビジョン) が今って無いよね。

これを作らないと、勝った負けたの世界観 から抜け出せない気がするな。

その2に続きます。
難易度高い記事だけど……(苦笑)