「ダッせぇ」と言えるニッポン
僕の世代=Hanako世代とも新人類世代とも言われる、はバブルの直前から就職してた世代で、デザイナーズブランドやイタリアンブランドブームを経験して、『感性』命、消費の権化…そんな世代だった。ブランド記号に心酔して、所有ブランドで自分を語っていた世代でもある。
今にしてみるとあの時代を『アホらしい』と思う部分もあり、実際当時の自分はファッション業界に居ながらも、そのブランド志向に対して超懐疑的だった。
あと、ヒトに初めて会った場合、その外見で値踏みするというのも特徴。
僕はファッションオタクではあったのだけど、拘りが強すぎて
『トレンドにマッチしたお洒落さん』『ラグジュアリーブランドひけらかし系』ではなかったので、よく『ダサイ』と言われて傷ついていた。
逆に今の時代は『ダッせぇ』とか言いにくい雰囲気。
ヒトの感性に対して優劣をつけるというのがモラルハザード的な雰囲気があるからだろう。
ただ、その感覚的なモノやヒトに対する評価が、数値とか定量化の方向に置き換わってしまったのがちょっと変だと感じるところがある。
『ダッせぇ』というのは確かにヘイトスピーチっぽい言葉だけど、どう考えても自分の主観の表明であって、相手も自分に対してそう思ってるかもしれない。それを認めた上での発言なのだ。
僕はあなたとは違うモノサシを持っています!という表明でもあるのだ。その意味では、昨今、芸能人が差別発言とかで炎上するケースみたいなのを、もっと緩く(笑って済ませるレベルで)相対化した言葉だったのだ。
『女性だから』『貧乏だから』『XX人だから』という逃げられない特定じゃなくて、『ダッせぇ奴』『ダッせぇ恰好』『ダッせぇ店行ってる』とかならば、この人の主観的なモノサシで相手を落としている…ということなので、まあ『しゃあないか…?』ということになるのだ。
なので……(何がなのでかは知らん!)……もっと感覚的発言を僕的には復活させるべきだと思う。「ダッせぇ」と言えるニッポンをもう一度!
以下、“ダサい狙い”話引用。