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⑥サイバーエージェント社での新規事業

トラブル続きの中、「ないものは、つくる。」という考え方で、当時のサイバーエージェントで活躍していた人たちとの熱狂的な仕事を通じて身につけていったという話です。


2000年の秋だったと思います。

当時、担当していたメールマガジンの事業をやっていた際にトラブルが発生しました。大手クライアント企業とその広告を取り扱っていた大手広告代理店の方々にご迷惑をかけてしまいました。その広告代理店の責任者の方からは「出入り禁止」を言い渡されてしまったほどです。それからお会いすることも、電話に出てくれることもできません。取引を再開していただくために、恵比寿にあったその会社のビルのエレベーターホールで、その方が出勤するのを待ち、会釈するということを毎朝続けました。

1カ月ちょっと経過したときに、「少し時間つくれるから一緒に来ますか。」と声をかけてくれて、会社の中に入れてくださり、謝罪をすることができました。その方からは、「クライアント企業のA社に今度提案をするんだけど、提案書を一緒につくってみませんか。」と言っていただき、その広告代理店さんがクライアント企業へ提案する資料の中のマーケティングパートからコンセプト、そして、展開案のすべてを私が作り、メディアプランの中にサーバーエージェントのメディアをいくつか入れさせていただきました。その時は、企画提案ができるスキルをもっていて、本当に良かったと思いました。こうして、その大手広告代理店さんとの取引が再開されました。


代理店事業だけなく、メディア事業を立ち上げることに。


電通にいた時は、「マス広告の代理業」という利益が出やすい当時は強固なビジネスモデルの上で、私も含めた社員の皆さんは活躍をしていました。ところが、サイバーエージェントに転職をした2000年は、インターネット広告もまだ黎明期でしたので、利益が出やすいビジネスモデルではありませんでした。なので、新しく稼ぐための仕組みを自分たちでつくらなければなりませんでした。

「マーケティングのスキルをクライアント企業のために使うのではなくて、自社のために使ってもらえませんか。」

という話をサイバーエージェントの代表取締役社長の藤田晋さんに依頼され、メディア事業をつくっていくことになりました。メディアをつくることなど、それまでしたことがなく、すべてゼロから考えたり、詳しい人に教えてもらいながら、仲間ともがきながらメディアをつくっていきました。

その中の一つに、「Life Mile(ライフマイル)」というポイントメディアがありました。

キャラクターもつくりました!

成果報酬型のアフィリエイト収入の一部をポイントとして還元するという仕組みを活用してメディアを創ったのですが、おそらく、当時、日本にまだポイント還元型のサービスがほとんどなかった時代にポイントメディアを創り、それなりの規模と収益を上げるものになりました。

「ないものは、つくる。」という考え方も、当時のサイバーエージェントで活躍していた人たちとの熱狂的な仕事を通じて自然と身についていったように思います。

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