憲法9条を改正をし、再軍備する方法。
(この文章は2024年6月5日の私のツイートを再編集したものです。このツイートをするきっかけとなった全ての方に感謝致します)
憲法改正を唱える人の中に、日本が戦力の保持を禁じていることに異議を唱える方がいらっしゃいます。つまり「他の国は戦力を保持し、国際紛争を解決する手段としての武力を認めているではないか。なぜ日本だけがそれを禁じられるのか」という主張です。
ポツダム宣言の受諾
この「なぜ」に答えるとするならば「ポツダム宣言の中に【平和主義に基づく民主的な憲法の設立】もあったから」が答えになります。もし今の憲法が「武力を否定した、平和主義に基づく民主的な憲法」で、それがよくないとおっしゃるならそれはポツダム宣言の受諾の否定まで遡ります。
ポツダム宣言を受諾した時点で日本の憲法の「性格」は決定されています。今の憲法の性格を否定されるならポツダム宣言受諾を否定する必要があります。もちろん「ポツダム宣言は受諾するべきではなかった」と主張されるのは自由ですが、歴史の事実として受諾してしまったのですからもうポツダム宣言の受諾の可否を問うことに私は意味を感じません。
第二次世界大戦の敗戦国の再軍備は可能。
「いや、ポツダム宣言受諾は否定しない、ただ、今の憲法の性格を否定する」と主張され、今の9条を改正し軍隊を持つことを希望されるなら、それは「第二次世界大戦の敗戦国の再軍備」ということになります。それは不可能ではないでしょう。事実、同じく第二次世界大戦の敗戦国であるドイツ・イタリアは再軍備し軍隊を保有していますから。
しかしもしそれ(敗戦国の再軍備)を希望されるなら、その実現には必ずクリアしなければいけない条件がひとつあります。それは「過去(第二次世界大戦時)の政治体制の否定」です。
ご存知の通り現在のドイツはナチスを徹底的に否定しています。現在もドイツ政府はナチス・ドイツ時代の補償と謝罪を続けています。イタリアも同様です、戦時中の体制(ムッソリーニ体制)を完全に否定しています。両国とも戦時中の体制を否定し、その体制と今の体制の連続性を否定しています。つまり、敗戦前の自国と今の自国は、まったく違う体制なのだ、連続性はないのだと主張しています。大戦下の過ちを認め徹底的に謝罪し、「あの時の体制は間違っていた、今はまったく違う。だから再軍備しても問題ない」という主張し、再軍備しています。
これなら再軍備は可能でしょう。
日本も、9条改正して再軍備したければ戦時下の体制を過ち(本当に過っていたかどうかは一旦別です)と認めて、ポーズでもいいので「我々は完全に過ちを犯した、あれは間違いだった」と謝罪し、そして「ああ、日本は過去の過ちを反省しているんだな」と諸外国に認めてもらう必要があります。
事実、独伊はそれをやったので再軍備が国際的に認められました。
逆にいうとそれをやらずに「日本は天皇の元、数千年にわたって続く国だ」と主張したまま再軍備することは流石に国際社会が認めないでしょう。
つまり日本であれば「真珠湾攻撃は奇襲攻撃であり、それは間違いだった、南京大虐殺は行われ、それは間違いだった、諸外国の女性を従軍慰安婦として性奴隷にした、それは間違いだった」(繰り返しますがそれが事実かどうかはおいておきます、重要なのは「過った」と認め謝罪し、諸外国に謝罪を認められることです)と公式に発表する必要があるでしょう。そしてそれを謝罪し続ける必要があります。
またそのような体制を作り上げた1945年までの「大日本帝国」と今の「日本」の連続性を否定する必要があります。つまり今の「日本」は1945年に生まれ変わり、国の歴史は70年程度である、と認めるなら、再軍備は認められる可能性が高いです。
枢軸国の復活
もしそれらを認めず、「他国にどう思われようが関係ない」と主張し戦時下の政治体制と今の日本の連続性を保ち続けたまま再軍備するのであれば、いきなり現代世界に世界を戦争の災禍においやった枢軸国のうちの一国が復活した、と諸外国から認識されるでしょう。
その時に起こる混乱と動揺、またそれを基にした日本に対する眼差しを想像すると私は背筋が凍ります。どう考えても今より悪い状況しか思い浮かびません。
先の大戦での敵国だった国々がどこもそのような日本を支援してくれるとは思えませんし、また先の大戦での同盟国であったドイツ、イタリアも支援してくれるとは思えません。
もし今の日本を「枢軸国として復活した国」として諸外国に認識され、高い確率で国際社会において孤立しても尚、憲法を改正し武力を保有したい、と考えであればそれをご主張されるのは自由です。私は1ミリも同意しませんが。
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