くまがすごい
勿論熊ではない、隈だ。
歌舞伎でいう所の隈取の部分。
何故寝不足や疲れが目の下には顕著に現れるのだろうか、医学を学ぶ中、理屈は解れども納得するに難い。
どこかしらに自分の姿がうつる度に、目を疑ってしまうくらいのドス黒いそれ。
そう、それは何度見てもやはりクマだ。
なんらかの末期がそこに集中している。
私は時折集中力がすごいので、やれると思った日はやれる範囲を超えてやり切れてしまう。
次の日に余力を残すというペース配分が何をしていても難しい。
今日はエナジードリンクとコーヒーを水のように飲んでなんとか正午を迎えようとしている。
いい大人がなんてギリギリなスケジュールで勉強をしているんだ、と試験を迎える度に愕然としてしまう。
いや、茫然としているという表現のほうがしっくりくる。
睡眠が不足するとより現実に味気を感じにくくなるように思う。
いつかこの虚いは形を変えてまた新しい何かになっていくのだろうか。そんな大味な事も考える。
笑ってしまう。
しかし歳を重ねていく楽しみがそこにあるようにも思う。
余裕のある生活に憧れてはいるけれど、ギリギリのラインで生きている気持ちの在り方に魂を感じる。
そんならしいことを言ってはみるが、別に空っぽである。
生きている心地を感じる限界値(閾値)をもう少し低く持ちたいのも本音。
生きていることに慣れすぎているように思う。
もっと謙虚に生きたい。
こんな簡単な事をまわりくどく文字にする漫然さを大切にしている自分を少し気持ち悪いとおもっている。
車からなかなか降りられない。
社会から自分に帰るまでの時間に大体こうしている。
気持ちを切り替えるのに趣味以外で何かしていることがあれば是非話を聞かせて欲しい。
何をするにもはじめるまでが一番難しいな。
今日もやるか〜っは〜