HOW TO LIVEの思い出
さて新年度、中学、高校、大学と、さまざまな新入生のみなさんは、部活動や、サークル活動選びにワクワクしたり、体験入部などしている時期でしょうか。
かつて僕が通っていた公立高校では、毎週水曜日の最後の1コマだけ「クラブ活動」という、ちょっと浮いた時間がありました。
クラブ活動とは、いわゆる部活動とは似て非なるもので、野球部員とかサッカー部員などの本気の生徒たちは、そのまま放課後まで部活動に汗を流すのですが、クラブ活動とは、いわゆる「帰宅部」の連中にも、「部」らしき空気を味わわせてあげよう的な時間であり、サイエンス実験、歴史研究などのリストから、第3希望まで選ぶというものでした。
とはいえ、まじめな進学校だったので、ほとんどが授業の延長のような内容で失望していたところ、僕が選んだのは、「HOW TO LIVE」という、何をするのかまるで想像もできないクラブでした。
担当は、授業中に無駄話ばかりする年輩の国語教師だったのも、すこしだけ期待がありました。
帰宅部仲間をそそのかし、僕を含め3名ともあっさり第1希望の「HOW TO LIVE」に決まり、いまだ何をするのかわからないまま、初めてのクラブ活動の日に指定の空き教室に行くと、予想外のことばかりで驚いてしまいまし
た。
まず、そのクラブ員は、僕と僕にそそのかれた2名のみで、そして、いつまでたっても担当の教師は現れませんでした。
その日、終業のベルがなってもついに現れることはなく、まるで禅寺の門前払いのような儀礼かとも思うほどでした。
翌週のクラブ活動の時間も、やっぱりその担当教師は現れず、教師が公の活動をばっくれるなんてさすがにありえないと思い、クラブ員全員で職員室に乗り込むと、その国語教師はまったりコーヒーを飲んでいたのが印象的
でした。
「私のクラブ、HOW TO LIVEとはだな‥‥」
といろいろ面倒くさい話を聞いてから、結局のところ、
「何をするか、自分で決めなさい。それが私のクラブ、HOW TO LIVEだ」
とのことでした。
学校の中で、完全な自由を与えられた僕らは、当然ながら戸惑い、迷ってしまうのですが、二学期になると、一人は突然、「アメリカの黒人解放運動」を調べて勝手に論文を書き出し、もう一人はもう忘れてしまったのですが、何かを猛烈に調べ出し、僕は縄文時代を舞台にした原稿用紙三百枚の小説をひたすら書いていました。
それは、無気力の象徴である帰宅部3人の、毎週水曜日の1コマの姿だったのです。
週1のわずかな時間ですら、人生を動かすことがある。
いまでも強く思うことです。
さて、担当の国語教師にはそんな裏のねらいがどれだけあったのかはわからないのですが、一年間を終え、言われてもいないのに「HOW TO LIVE」の成果である紙の束をドンと提出しにいったときは、よく覚えています。
担当教師は、職員室でやはりコーヒーを飲んでおり、僕らの成果物に対して、何の添削もコメントもなく、早く帰ってほしそうでした(笑)。
ただ、その帰り道、僕3人は「HOW TO LIVE、それが俺たちのクラブだ」と格好付けて言い合ったのは、いまではよい思い出です。
翌年度、その国語教師は定年退職しており、もちろん、「HOW TO LIVE」というクラブ名はリストにはありませんでした‥‥。
ただし、大人になったいまでも飲み会の「高校時代、何部だったの?」トークの際には、かならずこの話を、僕はします。週1コマのクラブ活動でしたが!
そして、いまではコーヒーばかり飲んでいます。