ハイツ友の会備忘録
本人たちにとっては、もう放っておいてほしいと思うかもしれないが、あくまで個人的な備忘録として、おじさんの堅い文章でもってここに書き残させてもらうことにする。
1990年代、僕は北陸の田舎を離れ、関西で学生生活を送っていたが、お笑いの世界にハマって、足しげく劇場へ通っていた。年末の「オールザッツ」などを観たいがために実家に帰省しなかったほどだった。
当時、若手の主戦場は心斎橋二丁目劇場で、看板芸人は千原兄弟、メッセンジャー、じゃリズム、中川家、海原やすよともこなど。自分と同年代の芸人たちが「なんでこんなことを思いつくのか」と唸るようなネタを繰り出していたのはかっこよかったし、若い女性が羨望の眼差しを送るのも当然だと思った(劇場でお客の男性は自分ひとり、なんてこともよくあった)。
と、それから30年近く、つかず離れず関西のお笑いを眺めてきたが、また劇場に足を運ぶようになったきっかけは、2019年のM1グランプリ2回戦の動画でみた「ハイツ友の会」だった。自分たちでエントリーして出たはずなのに、無理やり舞台に立たされたような倦怠感。それでもズバズバと鋭い言葉を放ち続け、マイクの前から一歩も動かないままネタをやりきって去っていった。
さっそく席数が百にも満たない地下劇場の出番を見に行ってみた。二人が黒いスーツで現れたとき「ほんとに存在してたんだ」と思ったほどだった。
その後、ハイツ友の会は漫才劇場のメンバー入りを果たし、関西の賞レース常連となって一気に人気芸人の階段を昇っていく。
漫才の定番スタイルは、読者モデルやコスプレイヤー、野球部、ダンス部、喫煙者など、世間で調子に乗っている〈奴ら〉について、ローテンションの京都弁で感想を言い合うというもので、毒舌・偏見ネタとも呼ばれていた。
たしかに毒舌と偏見なのだが、本人たちは「本当に思っていることを言っただけ」と話していた(本人にとっては、毒舌でも偏見でもないということだ)。
僕には、彼女たちが図らずも、お笑いという場で世間と闘っているように見えたし、その闘いに、すべて勝っているようにも見えた。共感でも、あるあるでもない。笑顔も愛想もないが、いままで聞いたこともない言い回しを、彼女たちから何度も聞いた。本物の刺客は相手を斬ったのかもわからない鋭い剣を使うというが、まさにそんな感じだった。
2023年末の「THE W」の決勝が事実上の最後の大舞台のように見えた。もともと爆発を生むようなスタイルではない。賞レースではこのへんが限界だったんだろう、という印象だった。
2024年春、「劇場スケジュールに、ハイツがいない」と噂されたとおり、活動5年でハイツ友の会は解散を発表。お互いSNSにコメントを残し、消えるようにいなくなった(その後、清水さんはSNSアカウントを削除、西野さんはピン芸人として)。
去り際も見事だったし、らしかった。そして、毒舌や偏見ネタと言われながら、たぶん、彼女たちは誰も傷つけなかった(と思う)。