ワクニさん作「徳膝太鼓」追筆版
初めに
いつも素晴らしい落語を聴かせてくださるワクニさんが、古典落語の名作「火焔太鼓」に膝入れをされ、「徳膝太鼓」を公開されました。大作です。いやぁ、面白い!リクエストを受けていたのですが、ワクニさんにご了解をいただいて、私になじむように追筆させていただいたテキストを読ませていただきました。
朗読を聴くのでは、高座とちがい、演者の振りや表情で語ることができませんので、理解しやすいように話の流れを簡素にしたり、言葉を補ったりさせていただいております。また、神田界隈は私自身の学び舎があったことでもあり、リアルな感じを出そうと思い導入部分は少し話を変えてあります。ワクニさんのテキストに変更を加えた部分は太字ですが、割愛した部分をnote上でわかりやすく表記できないので残しておりません。申し訳ありません。
こちらのテキストは、お気に入りいただけますならお使いください。その際には、お声がけをいただければと思います。こちらもワクニさんのオリジナルも、一部あるいは全部の転載はお断りします。引用など、ワクニさんに別途にお話を通してたいただければと思いますのでよろしくお願いします。
原作 ワクニさん作「徳膝太鼓」
そして、すべての派生作品の大元となる、今井雅子先生作の正調膝枕
ワクニさん作「徳膝太鼓」:追筆 関成孝
その昔、江戸時代にはいろいろと珍しい商売もあったようでございまして、同じような商売ごとに集まって商いをしていたようでございます。
金物屋さんは金物屋さんで、薬屋さんは薬屋さんで、一箇所に固まっていた。
この頃は、大型ショッピングセンターのように、一箇所でなんでも売っているなんてぇことがごく当たり前でございますが、当時はそうではございませんで。
ちなみに、私が学んだ学校の住所は神田鍛冶町でした、近くには神田東紺屋町、神田北乗物町、神田金物通り、なんてところがあります。水運で栄えた日本橋には、いまでも、日本橋浜町、日本橋蛎殻町、日本橋小舟町なんて地名がございますが、かつて、日本橋膝物横丁辺りにはずらりと古膝屋さんばかりが軒を並べて商売をしていた街があったそうです。
古膝屋さんというのは、色んなところから、使い古しの膝枕を探してきては、綺麗に磨き上げ装飾を施して売る商売でして、これは一朝一夕になれる商売ではございません。「いい仕事してますねぇ」なんて言わるようになるにはそれなりの修行が必要でございました。「名人が名人をしる」という言葉がございますが、「ああ、名人の仕事だなぁ」と分かるには 目利きだけは名人と同じ域に達してないとだめなんだそうでございまして。
客 邪魔するよ。どうだい、何かいいの、入ったかぃ?
膝屋 いらっしゃい。いや~なかなかいいのが入らなくって。
いいのはあなたさまが全部持っていかれちまいますから。あたしゃ、他のお客から責められっぱなしでございます。...そうでございますねぇ...ちょいと古い時代の源氏物語膝枕なんてのはいかがですか?
客 お、源氏物語。いいじゃないか。十二単を着せた膝枕なんてのは 床の間に飾るとたいそう映えるものだ。で、どんな膝枕だい?ちょっと見せておくれ
膝屋 これは珍しいですよ。なんせオヤジ膝枕が十二単を着てますからねぇ。
客 ああ、そりゃぁ面白いねぇ! オヤジ膝枕が十二単って...って、 そんな色物売れるわけないだろ!
膝屋 ええ、そりゃもう。めったに売れ無いから値打ちがあるってもんじゃないですかぁ。
なんてバカにされてるようなものでしたので。
ただ、こんなお店でも、何かの間違いでとんでもない掘り出し物があったりもするもんです。太古の卑弥呼の膝枕なんて、なにやら見事な勾玉なんかのお飾りをつけまして、膝枕屋とさんざん交渉して、ようやく買い求めて帰った。さあて、うれしや、何と書いてあるのか、と、明るいところでホコリを払ってよく見ると「メイド・イン・チャイナ」だったりして...
ま、こんな店がずらりと並んで商いをしている。なかに、綿を詰めただけの見た目だけ膝枕だとか、穴の開いたレンコン膝枕だとか雑然と置いてある古膝枕屋が一軒。なに?筋の通った蕗膝枕があるかって?置いちゃないですよ、お姉さん、からかわんでくださいな。
どうやらまったく商いをしようという気が無いのでございますね。そんな有り様ですから。それでいて、なんかあったら一攫千金なんて、虫のよいことばかり考えてる。まぁ、こういう家はたいてい おかみさんの方がしっかりしているものでございました。
おかみ お前さんが、お客と話しているのを聞くとね、もうね癇癪が起きるよ、商売下手め!
膝屋 な...何がだよ?
おかみ 何がじゃないよ! 何であのお客を逃がしちまうんだい!
膝屋 何だって...逃げちゃうものはしようがないだろ、ふん捕まえて、無理に売りつけるってぇほど強い商売じゃないんだ...
おかみ 何を言ってんだよ、お前さんが逃がしちゃったんじゃないか。
あのお客はね、店の膝枕をみて惚れ込んで入って来たんだよ、それで、「おやじさん、この膝枕、いい膝枕だねぇ」って言ったとき、お前さん、なんて答えたよ。「ええ、いい膝枕ですよ。うちに13年ありますから」...そんなことを自慢する人があるかい?そんなに長く売れ残ってた品を買う人がどこにいかい!?
え、それで、「ちょっと頭を乗っけてもいいかい?」って聞いてきたら「いえ、これがすぐに乗っけさせるくらいなら、とうに売れてますんで」
「じゃ乗っけさせてくれないのかい?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど、頭のっけてをくっついちゃった人がおりまして」
「くわばらくわばら。そんな危ねぇ膝枕は要らないよ」って言われてお前さん、何てったよ。
「いえいえ、腕のいい外科医も紹介します。河崎って名なんですけどね」...あんた、どうしてそういうバカなことを言えんだろうねぇ?
あんまりバカバカしいから、あのお客さん、「えっ?」て言ったきり、お前さんの顔をじっと見て固まっちゃったじゃないか。お前さんはお前さんでお客の顔をボーッと見てたろ。ふたりでしばらくの間、見詰め合ってた。そのうちにお客の方がハッと我に返ってプイッと出ていっちゃった。本当にしょうがないねぇ。売れるものを売らないで、そのくせ売らなくていいものを売っちまうんだから。
なにがかって? 忘れたのかい! 去年の大晦日だよ。お向かいの米屋の旦那がうちに遊びに来たときに、うちの座敷で使ってるぽっちゃり膝枕みて、「膝右衛門さん、この膝枕はいい品だねぇ」って言ったら、あんた「じゃぁ、売りましょうか」って売っぱらっちまっただろう。
おかげで、うち用の膝枕が無くなっちまって、しょうがないから、お向かいに膝借りにに行ったりしてさぁ...お向かいの旦那、言ってたよ。「膝右衛門さん付きで膝枕買ったような気がします」ってさ。
ほんとうにしょうが無いんねぇ。どうせまた損するんだ。あたしゃねぇ、まともな物を食べたことがないんだよ、お前さんが儲けないもんから、あるものなんでも食べなきゃならなくって。おかげで、すっかり胃が丈夫になっちまったよ。
膝屋 ぐ、ぐずぐず言うんじゃないよ。亭主のすることにいちいち口を出すんじゃねぇ
おかみ ふん、何を言ってんだい。お前さんが一人前だったら、何にも言いやしないよ。あんた、今朝も膝の浜の市に膝を仕入れに行って来たんだろ。何を仕入れて来たんだい? お見せ!
膝屋 え...いや、何でもいいじゃねぇか...
おかみ よかないよ! 言えないのかい? やい!
膝屋 な、なんだよ、その「やい!」ってのは...別に悪いことをしてきたわけじゃねぇや...ほれっ、膝太鼓だよ。腹んところ叩くとポーンっていい音がするんだ。ポンポン聞きながらいい夢が見れるって、結構な膝枕じゃないか。
おかみ 膝太鼓!? だからお前さんはおかしいって言うんだよ! 膝太鼓ってぇ物は際物と言ってね、お祭りだとか初午だとか、そういう太鼓を使う行事がある時でないと売れないんだよ。もーっ、弱ったもんだ...で、いったいどんな膝太鼓を拾ってて来たんだい、ほれ、お見せ!あたしが普通に言ってるうちに見せたほうが身のためだよ
膝屋 ...ほ、ほんっとうにヤな女だなぁ...あぁ 見せるよ。..ほら、これだ! ど、どうだ。
おかみ ゥンッマァ~ッ! きったない膝太鼓じゃないかぁぁぁぁぁっ!!!
膝屋 そりゃぁおめぇは素人だってぇんだ。いいか、これは汚いんじゃないんだ。これは時代が付いてるってぇもんだ。いいか、これだけ古いものだからきっと儲かるぜ
おかみ バカ言うんじゃないよ! お前さんが古いもの買ってきて儲かったためしがあるかい? こないだだってそうだよ。光源氏のひざ掛けての買ってきて大損したじゃないか!
膝屋 ふん、てやんでぇ、損をしたってたいしたことなかったじゃないか。光源氏のひざ掛けも、聖徳太子の腰巻も、宮本武蔵の草履だってよ...
おかみ ばかも休み休みお言い!!膝枕屋なのに肝心の枕がないじゃないか。もう、ほんっとーに...でっ、今回はいったいくらでもって仕入れたんだい?
膝屋 ...にぃ~、・・・二分だよ
おかみ に~、二分・・・?
そんなもの、店に出して売れやしないよ!
膝屋 うるっせぇ、売ってみせるぜ! おれが仕入れて来たんだ、ガタガタ言うな! おい、久五郎! ヒザ公! その膝枕ァ表出してほこりを払いな。
おかみ こらこら、だめだよ! ホコリ払ったら、膝が無くなっちまうよ! その膝枕、ホコリが固まってできてんだから
膝屋 ふん、てやんでぇ! いいから、とっとと表へ持ってってホコリ払え!
久五郎 へーい...伯父さんと伯母さん、ケンカばっか...ヤんなっちゃうな。けど、これほんとに汚ないわぁ...はたきで、えぃっ...うわぁ、凄いや、ホコリで向こうが見えなくなっちまった...伯父さん、これホコリが凄いや
膝屋 うるせぇ! おめぇまでホコリ、ホコリ言うな!
久五郎 へーい...怒られちまった。ホコリはたこう...
(ドンドンドンドンドンドンドン)
あれ? 面白いや。
(ドドドン、ドドドン、ドドドン、ドン)
膝屋 何を遊んでるんだい、どこを叩いてるんだよ、お前のおもちゃに買って来たんじゃないんだよ! ホコリをはたけ!
久五郎 いや、伯父さん、ちゃんとはたいてんだよ。太鼓叩いてんじゃないんだよ。膝枕お腹のところを叩いてんだよ。それなのにこういう音がするんだよ。これなんだか太鼓みたいな膝枕だよ。いいかい
(ドンドンドンドンドンドンドン...ドンドンドン...ドン)
ほらね(ドドン、コ、ドン、ドン...ツードンドン)
膝屋 遊んでるじゃねぇか!
侍1 ああ、これこれ
膝屋 ヘッ...これはいらっしゃいまし...久五郎、お前はこっちへひっこんでろよ...
侍1 いま、膝太鼓を叩いていたのはその方の店であるか?
膝屋 へぇ...うちのような、無いような・・・
侍1 お上 がお駕籠で御通行のおり、膝太鼓を叩いたのはその方の店に間違いはないな?
膝屋 へぇ...いやぁ、あたしじゃないんです。あそこのいる小僧が叩いたんですがね、ええ。はたきなよって言ったのにたたきやがって、ロクなことをしねぇんだ、馬鹿野郎...こっちへ引っ込んでろ...ったく...
いや、うちの子って訳じゃなくて親戚の子なんですけどね、へえ、顔をごらんなさい、バカな顔してましょう? 「バカ顔」と申しまして、夏になると朝昼夕も分からずに咲いたりするんでございます。「はたけ」と「叩け」がわからない。この界隈一のバカなんです、この辺の小僧の中で...こんな大きななをしてますが、まだ十一なんですよ。まだほんの子供なんでございます。まぁ、子供のしたことでございますので、どうぞご勘弁を...
侍1 いや、別に膝太鼓を叩いたことをとやかく言っておるのではない。その方で叩いた膝太鼓の音をお上がお聞きになって、どのような膝太鼓か見たい、とおっしゃっておる。ことによるとお買い上げになるやもしれんぞ。
膝屋 ...あ...あぁ...へへっ、うまく叩きゃぁがったな...へへっ。いや、あの小僧が叩いたんです、へぇ、うちの親戚の子でして。これがが、よく働くんです、えぇ、へへっ。いい顔してますでしょ? この界隈で一番利口でして。年より小さくみえましょう? 今年、十五になりまして へぇ。
侍1 さきほど十一と言ったのではないか?
膝屋 十一のときもあったという話しで
侍1 何を申しておる! はっはっは、面白い奴じゃ。屋敷は分かるか?
膝屋 へい、お屋敷はどちらさんで? ...あぁ、はいはい、よく存じております。へい、へい、かしこまりやした、へぃ! どうも、ありがとうございましたぁっ! へぃっ、では後ほどうかがいやすっ!
どうでぇ...店に出すか出さないかのうちに、もう売れちまったじゃねぇか。ざまぁみやがれ。
おかみ 売れちゃいないだろ! お前さん、だから、お前さんは甘いってんだよ!いいかい、よーく考えなさいよ。お殿様はお駕籠の中で音だけ聞いたんだよ。金蒔絵かなんかしてあるような どんなきれいな膝枕だと思ってるかもしれないところへ あんなうす汚いホコリの固まりみたいなもの持ってってごらんよ、「これは無礼な!逃がすでないぞ!!」御家来衆もお殿様のご機嫌をそこねちゃいけないと、「はっ、かしこまりました!古膝屋! こっちへ来い!!」
なんて寄ってたかってズルズル引きずられて庭へ引き出されるだろうよ。ぶたれたり、蹴られたり、酷い目に合わされて...
ああいうお庭に大きな松の木が植わっててさぁ、その枝に吊るされて、お前さん晒し物だ。そうするとね、クモが顔のうえをこう、這ったり、アリやハチに刺されたり、ヘビが出てきてお前さんの首に絡み付いたり、足の裏を舐めたり、ひどい目にあうんだよ...お前さん、ヘッ...面白いねぇ。
いっといで!
膝屋 ...おれ、やだ。もうおれ、よすよ!
おかみ ふっ、お前さんが「売れた、売れた」なんて浮かれてるからクギを刺すために言ったんだよ。いいかい、物事は内輪、内輪に考えなきゃ。あのお侍は「ことによるとお買い上げになる」ってそう言ったんだよ。「ことによると」ってぇことは「ことによらない」とお買い上げにならないってことじゃないか。だから、売れたと思うといけないの。膝太鼓を見せに行くんだって思いなさい。で、万が一「古膝屋、この膝太鼓はいくらだ?」なんて言われたとき、欲の皮つっぱらかして儲けようなんて考えちゃだめだよ。「この膝太鼓は二分で仕入れました。口銭はいりません。二分で結構でございます」と、こう言いなさい。そうじゃないと、この太鼓売り損なうよ!もう二度と売れないよ。あたしとお前さんが死んじゃってもこの太鼓だけ残るよ。。終いにはしっぽが生えて、化けるよ。
膝屋 ふん、てやんでぇ。そんなことあるわけねぇじゃねぇか!
おかみ それくらい大変なことになるってことだよ。いいかい、この太鼓売っぱらっうんだよ。良くなんか起こすんじゃないよ!
膝屋 分かったよ、じゃ、おれ、行ってくるよ。膝枕しょわしてくれ
おかみ もう、世話が焼けるねぇ...よいしょ...
膝屋 ああ、任せとけ。ちゃんと売って来るから
おかみ 頼んだよ。あたしゃまともに物を食べてないんだ。おへそが背中に出ちゃうよ。今日、お前さんが損をして帰って来るようなら、お前さんにも当分なにも食べさせないからね。
膝屋 ど、どうしてだよ。
おかみ 口で言っても分からないんだから、食べ物で教えるんだよ!
膝屋 犬じゃねぇ!! こん畜生!
おかみ お前さん、バカなんだから。バカが膝枕をしょって歩いてるんだから。
膝屋 やかましい!!
ったく...「バカが膝枕をしょって歩いてる」たぁどういう言い草でぇ。亭主のことを何だって思ってやがんでぇ。冗談じゃねぇや。
ぅるせぇや! こん畜生! 女なんぞ世間にいくらでもいるんだ! ガタガタ抜かしやがっと向こう脛かっとばっぞ! って...へへへ、こんちわ... 人が変な顔で見てるよ...
えー、お頼みもうします。
門番 む、何だ、その方は
膝屋 へい、古膝屋でござんす
門番 おお、その方か、聞いておるぞ。よいから奥へ通れ
膝屋 へい...
へへ、おれが来るのがちゃんと分かってんだよ。へへ、恐れ入ったね、どうも...
へぇ、きれいなもんだねぇ...こういうお屋敷へ入ったのは初めてだけどねぇ、へぇ、砂利なんか一粒ずつ揃えたようだねぇ。きれいなもんだ、...植木の手入れなんかも、手間も暇もかかるよ...屋敷がきれいな割にゃぁ...膝枕、汚いなぁ...こりゃカカァのいうとおりだなぁ...
まぁ、いいや。今日は見せに来ただけなんだから...
あぁ...大きな松の木があるよ...はぁ...あそこにつるされちゃうのか。ヤなこと言いやがったなぁ、カカァの野郎...でも帰ってもいずれ迎えが来るんだろうなぁ...ま、いいや。「この無礼者!」ときたら「ごめんなさい」って、膝太鼓置いて逃げちまおう...
えー、お頼み申します!
侍2 どうれ! む、なんじゃ、その方は
膝屋 えぇ、ど、古膝屋でございます
侍2 なに、古膝屋とな...ちょっとそこへ控えておれ
ええ、古膝屋が参っておりますが、どなた様か...
侍1 ああ、拙者じゃ。これは先ほどの古膝屋。よく参った。まあ、こちらへ上がれ。苦しゅうない、上がれ。
膝屋 いや...こちらで、いざというときに...
侍1 何を申しておる。で、膝太鼓は持って参ったか?
膝屋 も...持って参りましたよ...持って参っちゃぁまずかったんですか!?
侍1 な、何を怒っておる。たいそう気が高ぶっておるな。いや、拙者の方が持って参れと申したのじゃ。お前ひとりが来たのでは何もならん。今一度、拙者があらためる。こちらへ持ってきなさい...ほほぅ、さきほど店先で見たときよりも一段と時代がついておるな。
膝屋 じ、時代...へぃ、なんせ、この膝太鼓から時代とると太鼓が無くなってしまう、それくらいのものでございます。
侍1 おかしな世辞を申すな...うむ...よし。ではさっそく殿にお見せしよう。
膝屋 え!? この膝太鼓、殿様に見せるんすかぁ!? よしましょうや、やめたほうがようござんす。こんなにじだいがついたものなんか。よしましょうや、ね、ね、お侍さん、お侍さんが買ってください。
侍1 いや、拙者か買うわけには参らん。殿がお求めになる。とにかく殿にお見せする間、ここで待っていなさい。
膝屋 重いでしょ...時代ものだから汚く見えますよねぇ。おもきたないってやつで...
ありゃあ、持って行っちまった。だめだ...買わねぇよなぁ...「汚い.無礼な!」ってのが聞こえたら、すぐに逃げちまわないと...あ、帰って来た...
どうでございました...殿様、お怒りでは?買わないですよねぇ?
侍1 いや、まことに御意に召してな、お買い上げになる。
膝屋 え...さようでございますか!? ...はぁ
侍1 な、なんじゃ、気の抜けたような声を出して。がっかりしておるな...売らんのか?
膝屋 いや、売ります! 売りますよ!
侍1 で、そなた、いくらなら手放すな?
膝屋 へ? いくら...? いくら、というくらいだから、ああた、いくらか、ということを聞きたいんで?
侍1 そうじゃ。いくらなら、手放すな?
膝屋 いくら、というのは...いくらくらいでしょうな?
侍1 何を訳の分からんことを...あぁ、言いそびれておるな。いやいや、このようなことを言うてはお上に対して申し訳ないが、商人というものは儲けるときに儲けておかんと後で損がいくものだ。いいから、手いっぱい申せ。
膝屋 手いっぱい...ですか? じゃ、じゃぁ、手いっぱい言いますから、そのかわり、まけろってぇのなら、いっくらでもまけますから、そうおっしゃってください...じゃ、これだけ
侍1 なんじゃ、手をいっぱいに広げて。いったいいくらじゃ?
膝屋 えぇ...と、ン両・・・。
侍1 はっきり申せ。
膝屋 十万両。
侍1 それは高いのではないか。
膝屋 へぇ、手いっぱいですから・・・。そのかわり負けるのはいくらでもおまけしますので、どんどん値切ってください。今日一日まけ続けてもよござんす。
侍1 変な売り方だな・・・。では、どうじゃ、古膝屋。拙者、あの膝太鼓、三百金で買い受けたいと思うが、手放す気はあるか?
膝屋 な、なんです? いま、何とおっしゃいました?
侍1 三百金ではどうだ?
膝屋 あ、そうでござんすか。さんびゃっきん...と言いますと、どのような...さんびゃっきんで...
侍1 分からん男じゃな。三百両じゃ。
膝屋 あぁ、なるほどね...さんびゃくりょうね...さんびゃくりょうというのは...えぇ?さんびゃくりょうで?
侍1 何を申しておる。早い話しが小判で三百枚の三百両じゃ。
膝屋 えぇ、小判て言いますと、こう、小判の型をして、金ピカに光ってる、あの小判ですか?それで、さんびゃくりょうでございますか?
侍1 そうじゃ。
膝屋 あぁ、はっはっははははは...さんびゃ...は...うは...うぇ...うぇっ、うぇっ...
侍1 な、なんじゃ、泣いておるのか?
膝屋 うぉーぃ、おぃおぃ...三百両! 三百両下さい!
侍1 これこれ、すそを引っ張るな! その前に受け取りを書きなさい。
膝屋 受け取りなんぞいりません!
侍1 こっちがいるんじゃ!
膝屋 あぁ、そうですか...あ、判子持って来て無いんで...あなたのを押しといてください。
侍1 何を申しておる・・・その方の爪印でよい、
膝屋 あぃすみません。...へぃ、あ、ここに...いくつくらい押しましょうか? 一つでいい? あの、おまけでもう十個くらい...ポンポンポン...あ、要らない? そうですか... へい、じゃ、これでお願い申しあげます。
侍1 なんじゃ、これは...真っ赤ではないか...まぁ、これでいい。よし。では金子を渡すによって、よう確かめよ。
膝屋 へい!
侍1 さ、まずは五十両じゃ!
膝屋 へい...ご、五十両...
侍1 百両
膝屋 はぁ・・・ヒャウァ・・・(百両といえない)
侍1 百五十両!
膝屋 あはぁ・・・あり、ありがとう・・ござ・・・(涙声でのどを詰まらせる)
侍1 泣かなくてもよい。ああ。二百両じゃ!
膝屋 にひや、にひゃ・・・ぅぅぅっ...ぅぅぅぅっ
侍1 また泣いておるな。それ、二百五十両じゃ!
膝屋 に...ひ、ひ、ひゃく...ごじゅううぅぅぅぅっ
侍1 どうした?
膝屋 あ...は・・・み、水をいっぱい...
侍1 世話の焼ける奴じゃな...それ、これを飲め
膝屋 へい、ありがとござんす...(グィグィグィ)こ、これで終わりですか
侍1 まだあるぞ。あと五十両 締めて、三百両じゃ!!
膝屋 さんびやくりよううぅ!
侍1 これこれ、しっかりいたせ! そこの柱に捉まれ。
膝屋 こ、こ、こ、これ...ほ、ほんとうにあたくしがもらってっていいんでござんすか?
侍1 その方の商いによって得た金子じゃ。持って帰るがよい。
膝屋 ああ、そうですか...あ、あの、断っときますが、うちの店はいちどお売りしたものは決して引き取らないことになってますから、よろしゅうございますか? ...これはじいさんの代からのしきたりでごさんすから、よろしゅうございますね!
...で、ちょぃと教えていただきたいんですが...あんな汚い膝太鼓がなんで三百両で売れたんでございましょうか?
侍1 なんじゃ、その方も知らんのか。拙者もよくは分からんがな、お上はこのようなものにたいそうお目が高い。あの膝太鼓はな、徳川様の家紋の入った「将軍家膝太鼓、或いは徳膝太鼓」と申すもので世に一つ、二つという銘器だそうだ。よく掘り出したな。
膝屋 は、じゃほんとに売れたんっすね...ありがとうございます...失礼いたします。
侍1 これ、風呂敷きを忘れて行くな。」
膝屋 あなたに上げます。
侍1 いらん!
膝屋 あ、そうっすか...へい...どなたさんも失礼さんで...
侍1 大丈夫か、しっかりいたせ。金子を落とすな。
膝屋 冗談言っちゃいけねぇ! 自分落としたって金は落とさねぇ。
門番 おお、先ほどの古膝屋がフワフワ飛んで来た。どうじゃ、古膝屋。商いになったか?
膝屋 へぃ、おかげさまで。
門番 いくらに売れた?
膝屋 大きなお世話で!
冗談じゃねぇや、人の懐狙ってやがる...カカァの馬鹿野郎、二分で売れって言いやがった...ざまぁ見やがれ、これからたんとおまんま食わせて、動けなくしといてから、くすぐってやるんだから!
やい、こん畜生め! いま帰った!
おかみ まぁ、この人は、顔色変えて。しくじったんだろう、いいから早く、裏へお逃げ、裏へ。あたしが上手い具合にごまかすから。
膝屋 そうじゃねぇゃ、畜生め! やい、あ、あの...あ、ああ...まぁ、落ち着け!
おかみ お前さんが落ち着きなよ。
膝屋 あ、あぁ...いいか、お屋敷に行ったらよ。松の木があって、ああっ、ここに吊るされるのかて思ってすぐ逃げられるようにしてたんだぃ。そしたら、驚くじゃねぇか。あの膝太鼓は大変な膝太鼓なんだ...なんとかいう膝太鼓で、この世に一つ、二つてぇ銘器だったんだ。
おかみ で、お前さん、二分って言ったんだろ。
膝屋 言おうと思ったら、舌が突っ張らかって言えねぇんだよ。
おかみ 肝心の時になると舌が突っ張るんだねぇ、この人は...こんど、舌抜くよ。
膝屋 何言ってやがんでぇ! 舌抜くたぁどういう言い草でぇ! こっちがなにも言えねぇでいるとね、向こうが「手いっぱい申せ」ってぇんだよ。それでね、おれ、こうやったんだ。
おかみ なんだよ、それ。高いこと言わなかったろうねぇ
膝屋 いや、十万両って。
おかみ バカだねぇ、お前さん、バカが固まっちゃってるよ!
膝屋 向こうが高いって。
おかみ 当たり前だよ!
膝屋 それからトントン、トントンまけてな、三百両で売れちゃった!
おかみ この人は...なんでそういうウソをつくかねぇ...ははぁ、損して帰ったってえとおまんまが食べられなくなると思って...そんなにおまんまが食べたいかねぇ。まあ、お前さんも可愛いところがあるよ。
膝屋 このやろう...ここに持ってんだ、おれは。懐が膨らんでんだろう?
おかみ ほんとに? うそなんだよ、どうせ。持ってるなら見せろ。早く見せろ、このバカ。
膝屋 バカァ!? このやろう...よーし、いま見せてやる! ここんとこに三百両並べてみせてやる! てめぇ、ビックリして座りションベンしてバカになるなよ!
おかみ 大丈夫だよ。
膝屋 へっ、さ、どうだ! 五十両だ!
おかみ ま! お、お前さん、本当なの!?
膝屋 ほんとなんだ、どうだ。 百両だ!
おかみ まぁ、百両だなんて...ヤダァ。
膝屋 ヤダァじゃねぇや、こん畜生め! そら、百五十両だ! ほれほれ、百五十両だ。どうだ。
おかみまぁ、百五十両だなんて...弱るよ、あたしゃ...あ、あぁぁぁぁ。
膝屋 おいおい、しっかりしろ、後ろの柱に捉まれ。
おかみ え? こ、こうかい?
膝屋 ああ、それでいいや。いいか? それ、二百両だ!
おかみ あぁ、お前さん、商売上手!
膝屋 何を言いやがる! そら、二百と五十両だ!
おかみ あらー、やっぱり古いものはいい!
膝屋 へっ、さぁ、三百両だ!
おかみ まあ~ぁっ...お前さん、水を一杯飲ませておくれ!
膝屋 それ、見やがれ! おれだって水飲んだんだぞ。膝五郎、もって来てやれ! ...さ、どうだ?
おかみ(グビ、グビ、グビ)はぁーっ...お前さん、ありがとう...けど、よくあんな汚い膝太鼓が三百両で売れたねぇ。これから、鳴り物にかぎるねぇ。
膝屋 そうともよ、だったら喋るもんだったらもっと高く売れるな。もう迷わねえ、俺ァ、今度、ナビ子膝枕仕入れようじゃないか・・・
おかみ ナビ子?いけないよ、あんた、路頭に迷っちまう!
朗読用テキスト
クラブハウスでのリプレイ
2024年9月7日 関成孝
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