見出し画像

賢治の作品:手紙一、手紙四、星めぐりの歌




グループ「おといろかたり」の朗読演奏会においては、南木千絵さんが作曲された「セロ弾きのゴーシュ」の演奏と、この作品にまつわるトーク、及び、賢治の小品にピアノ演奏をつけたもの他をお届けします。朗読演奏会の演目にまつわる話を一日一話ずつ、SNSに投稿してきましたが、「セロ弾きのゴーシュ」については30話をまとめたノートを作成していますので、それを御覧ください。

ここには、「セロ弾きのゴーシュ」以外の演目について、ご紹介させていただきます。

朗読演奏会の詳細については以下のリンクをご覧ください。次は、11月3日14時からの横浜公演です。

lit.link/otoirokatari


手紙一~手紙四

手紙と言うタイトルがついていますが、四つの話には、話の内容としての関連はありません。いずれも小品で、賢治の宗教観、哲学が表れた作品となっています。執筆されたのは、最愛の妹、トシを失った翌年の1923年ではないかと考えられています。この年、賢治は26歳(誕生日は8月27日ですので、それ以降は27歳)。一月に、大きなトランクに童話原稿を詰めてやってきますが、出版社をあたりますが、うまくはいきませんでした。

それでも、制作熱が高かったようで、童話「やまなし」、「シグナルとシグナレス」他を発表し、また、花巻農学校創立記念行事としての自作の劇を上演しています。

この年に、賢治は、津軽海峡を渡り、北海道へ、さらに、樺太に渡っています。そのときに作られた青森挽歌、オホーツク挽歌、樺太鉄道、噴火湾(ノクターン)などの作品が、詩集「春と修羅」に加えられました。これらには、妹トシを失った喪失感が色濃く表れています。

手紙四は、トシの生前に描いた双子の星の物語を使いながら、トシの死を悼むストリーとなっています。それは、トシが亡くなった日に作られた「永訣の朝」とも呼応しています。

朗読演奏会で、この四編すべてを紹介することは時間の都合でできませんが、手紙一と手紙四を、ピアノのメロディーをつけて朗読させていただきます。その美しい響きを味わっていただければと思います。

#宮沢賢治 #手紙一 #手紙四 #おといろかたり #朗読演奏会 #わけの由美子 #中原敦子

グループ「おといろかたり」の朗読演奏会は、11月3日14時、横浜人形の家あかいくつ劇場にて開演です。詳細は、以下のリンクで。

lit.link/otoirokatari


手紙一

原作:青空文庫


手紙一は、短いながら賢治の宗教観が色濃く表れた作品です。竜が、自らの皮と身を猟師と虫に与えて命を落とすが、その竜が生まれ変わりお釈迦様になるという話。賢治は、法華経の熱心な信者でしたが、その教えである「一切衆生悉有仏性」(すべての生命が仏となり得る可能性を持つ)に深く共鳴していました。また、自己犠牲を伴っても他人のために為す「利他行」によりより崇高な境地に辿り着くことを信じ、自ら実践していました。手紙一の話は、まさに、賢治が信じる法華経の世界です。

この話は、宮沢賢治の実弟・宮沢清六さんが協力されて、1983年に戸田幸四郎さんが重厚な油彩で描いた絵による絵本「竜のはなし」として出版されています。ぜひ、お手に取ってご覧いただければと思います。

朗読演奏会においては、中原敦子さんの語りに、わけの由美子さんがピアノ伴奏をつけてお届けします。澄んだ美しい世界、音をお楽しみください。

#宮沢賢治 #手紙一 #おといろかたり #朗読演奏会 #わけの由美子 #中原敦子  

 

手紙四


原作:青空文庫

手紙四は、賢治の最愛の妹、トシの死を悼む作品です。

チュンセとポーセは、元となる話は「双子の星」。チュンセ童子とポーセ童子は、天の川の西の岸に見えるすぎなの胞子ほどの小さな二つの星に住んでいて、空の星めぐりの歌に合せて一晩銀笛を吹くのです。銀笛の演奏は、宇宙の秩序を維持する役割を担っているのかもしれません。

「双子の星」は、トシの生前に書かれた作品です。チュンセ童子とポーセ童子が献身的に他人を助ける話ですので、これも賢治が信じる法華経に通じるものです。

手紙四では、チュンセが兄、ポーセが妹で、チュンセが賢治を、ポーセが賢治の妹トシを表していることがわかります。チュンセは、病に伏せたポーセに「雨雪をとってきてあげようか?」と尋ねます。ポーセがうんと答えると、チュンセは外に飛び出して両手に一杯雨雪を取ってきます。ポーセはおいしそうに三匙ばかり喰たべてから死んでしまいます。

「永訣の朝」では、熱にうなされるトシが賢治に「雨雪をとってきてください」と頼んでいます。賢治は、かけたお椀二つに雨雪を取ってきてトシに食べさせたのでした。

「永訣の朝」は、まさにトシが亡くなった日に作った詩。それに対して、「手紙四」は、それから数か月たって、少し客観的になってから作った作品なので、その違いが表れています。

チュンセは、ある人から言いつけられて人にポーセのことを尋ねる手紙を書いたと言っています。その一方で、この人は、チュンセはポーセをたずねることはむだだ、と矛盾することを言っています。その理由を、「あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがいのきょうだいなのだから」と言うのです。「ポーセをほんとうに可哀そうに思うなら大きな勇気を出してすべての生き物のほんとうの幸福を探さなければならない。それはナムサダルマプフンダリカサスートラというものだ」と。

この「ナムサダルマプフンダリカサスートラ」とは「南無妙法蓮華経」だそうです。ここにも、昨日紹介した手紙一のテーマである「一切衆生悉有仏性」(すべての生命が仏となり得る可能性を持つ)と「利他行」が込められているようです。トシを悼む思いを、法華経の教えの「利他行」に変えていこうとした賢治の気持ちなのでしょう。

朗読演奏会においては、中原敦子さんの語りに、わけの由美子さんがピアノ伴奏をつけてお届けします。悲しみと大きな愛の世界を、朗読と演奏で楽しみください。

#宮沢賢治 #手紙四 #永訣の朝 #トシの死 #おといろかたり   #朗読演奏会 #わけの由美子 #中原敦子

グループ「おといろかたり」の朗読演奏会は、横浜人形の家あかいくつ劇場にて、11月3日14時開演です。詳細は以下のリンクを御覧ください。

https://www.lit.link/otoirokatari

 



あめゆじゅとてちてけんじゃ


前回、手紙四が、賢治の最愛の妹トシの死を悼むととのに、賢治の宗教観を重ねて法華経の教えを説くような作品であることを紹介しました。

「春と修羅」の中で、妹トシが亡くなった1922年11月27日の作品として「永訣の朝」、「松の針」、「無声慟哭」の三編の詩が収められています。春と修羅は、最初の詩が1922年1月6日で、それから、数日~ひと月あまりの間隔で詩が作られています。長さはまちまちで、一日に何篇も作った日もあります。11月27日の前は10月15日、後は1923年6月3日と間が空いています。トシが他界する前の最後のひと月余りと、トシを失って半年以上は詩をつくるような心境にはなかったのでしょう。1923年8月には北海道からさらに樺太まで渡っています。妹の死から立ち直ろうとした旅行だったようです。8月1日の作である「青森挽歌」の中には、このような一節があります。

「とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ
ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで
ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない
そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が
つぎのせかいへつゞくため
明るいいゝ匂のするものだつたことを
どんなにねがふかわからない」

「永訣の朝」は、賢治の作品の中では有名なものの一つです。鈴木憲夫さんが美しく物悲しい合唱曲を作られています。詩の中には、熱にうなされた妹が、賢治に、「雨雪をとってきてちょうだい」と頼む声を、「あめゆじゆとてちてけんじや」と岩手の方言で、なんどもリフレインのように響かせて、静かに雪が降る中で悲しい終わりが迫っていることを視覚的に、音楽的に伝えているようです。

賢治がチェロを習った新交響楽団の大津三郎は、この詩を目にしたとき、泪なく読むことができなかったと後述しています。そして、教え子が、卓越した詩人であったことを知ったのでした。

少し長い作品ですので、朗読演奏会では、その全部を紹介することはできませんが、詩の響きを味わっていただこうと考えています。

#宮沢賢治 #手紙四 #永訣の朝 #トシの死   #おといろかたり   #朗読演奏会 #わけの由美子 #中原敦子 #永訣の朝 #春と修羅

グループ「おといろかたり」の朗読演奏会は、横浜人形の家あかいくつ劇場にて、11月3日14時開演です。詳細は以下のリンクを御覧ください。

https://www.lit.link/otoirokatari


星めぐりの歌


天の川の西岸の小さな星にいる双子のチュンセ童子、ポウセ童子。二人は夜になると、空の「星めぐりの歌」に合せてお日様の通り道を掃き清めるために、一晩銀の笛を吹ふくのが役目でした。

歌詞には、夜空を飾る星座が大きく広がっている様が謳われています。その中には、二人の童子が助けた蠍(さそり)もいます。賢治は、星雲が星の誕生のもととなったことを知っていましたが、そのような思いでオリオン座の星雲を眺めていたのであろうことも分かります。


この曲が作られたのは1921年。賢治が25歳のときでした。実は、この曲は、1918年に北原白秋が作詞、中山晋平が作曲した「酒場の唄」に似たところがあります。「酒場の唄」は、戯曲「カルメン」の挿入曲であり、賢治は、浅草で聴いていた可能が高いものです。

当時は、今よりも著作権についての意識は弱かったかもしれませんが、賢治は、曲をまねたというよりも、自然に旋律を覚えて口ずさみ、それが「星めぐりの歌」となったのかもしれません。似た旋律とはいえ、曲の歌詞と雰囲気はかなり違うものです。

なによりも、「星めぐりの歌」は、100年たっても歌い継がれている曲で、その美しさ、歌詞のすばらしさが人を魅了しているということでしょう。

朗読演奏会においては、最後にこの曲で締めさせていただく予定です。

さて、朗読演奏会の演目にまつわるお話は、これで終わりとさせていただきます。ご愛読に感謝します。明日は、横浜公演の会場のご案内などをさせていただきます。明日夕刻までは前売りとして受け付けさせていただきます。当日でのご来場も大歓迎ですが、入場料が少し高くなります。よろしければ、早めにご予約下さい。

#宮沢賢治 #手紙四 #永訣の朝 #トシの死   #おといろかたり   #朗読演奏会 #わけの由美子 #中原敦子 #星めぐりの歌

グループ「おといろかたり」の朗読演奏会は、横浜人形の家あかいくつ劇場にて、11月3日14時開演です。詳細は以下のリンクを御覧ください。

https://www.lit.link/otoirokatari


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?