チョコレートドーナツを観て
上田映劇で観た映画について
[あらすじ]
1979年、カリフォルニア。シンガーを夢見るルディ。弁護士のポール。母に見捨てられた少年・マルコ。世界の片隅で3人は出会い、幸せな家庭を築き始める。しかし、ゲイであるがゆえに法と好奇の目にさらされ、マルコを奪われてしまう……。血はつながらなくても、法が許さなくても、奇跡的に出会い深い愛情で結ばれる3人。見返りを求めず、ただ愛する人を守るために奮闘する彼らの姿に我々は本物の愛を目撃する。
上田映劇HPより http://www.uedaeigeki.com/now-showing/6267/
2012年の公開で見逃していたのでこの機会に観れてよかったです。
驚くほどにすっと体の中に沁み入ってきました。3人が幸せに暮らす1年間の映像は涙が出るほど美しかった。あの瞬間はこの世界のまま、自分も映画の世界にずっと浸っていたいと感じました。
しかし、物語は現実がそうであるようにハッピーエンドではなく、幕が下がる前に夢から目を冷ます形となりました。
ゲイの2人は法の下で差別され、少年マルコも法により自由を奪われた。真実に美しいもの、愛や絆の存在は常に法の外側にある。まさに彼らはそういう存在として描かれていました。
僕はたまたま法の内側に生まれ落ち、成長させてもらえているから、こういう映画を観ると現実の見えかたがやはり大きく変わってきます。
仮にこの映画の時代に白人として生まれていたら、果たして差別偏見なく彼らに手を差し伸べ、守ることができていただろうか。じゃあ現状はどうだろうか、法の外側にいる人たちに手を差し伸べられているのだろうか。と振り返り、胸が痛くなりました。
つい最近も迷子の認知症のおばあちゃんを通じて、自分は何もできず胸が痛い思いをしたところです。
この作品はアートとして僕の心の深いところに触れるものでした。アートは心を傷つける営みであり、観た後は観る前と同じようには生きることはできない。文化と芸術の力を強く感じる体験でした。
コロナ以後の社会においても、不要不急と言われるものが社会をより良くするための”気付き”を与えてくれるいかに”重要”なものかと、1年が経過した僕たちは考える必要があると思います。
そしてマジョリティ側がニューノーマルへの移行をする中で取りこぼしているかもしれないものに、想像を及ぼすことができるのか。映画あるいは映画館にはそういう価値(宝箱)があるなということを思い知りました。
最後に映画の中で印象的だったセリフを(だいたいの記憶ですが)
”お金が全てではないけど、もう少しだけお金がほしい” ルディの歌のフレーズ
”正義なんてない、だから戦う” 黒人弁護士のセリフ
上田映劇にて29日までやってます。
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