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未来をつくるのは、やっぱり心の声だ。

はじめての投稿にあたり、最初に、私のことを述べてみます。

大学生の時に思ったのは「デジタルではないのでは?」

経済的な理由もあり、私は、なんとなく地元の大学に進学し、工学部の情報システム工学科に進学しました。1998年、大学4年生になる時に、大学では東京及び周辺いある企業の研究所視察ができる機会がありました。JRではSuicaの実証実験がはじまっており、NTT横須賀研究所では、携帯電話の腕時計化など、デジタル社会、マルチメディアの夜明けを感じていました。まわりの同期は、ロケット開発の研究室などに進んでいきましたが、私は違う道を選ぶことになります。

「「マルチメディア」というけど、視覚と聴覚ばっかり。五感で生きているのに、人間の歓びの本質はそこではないのではないのでは?」「情報社会というのがはじまるらしいけど、「情報」とは「情けに報いる」ともよめるじゃないか。だったら、デジタル社会、マルチメディアにあわせて、逆張りで考えてみよう!」と思ったのです。結果、一般教養の研究室があり、ヒト認知情報処理への心理物理学的アプローチの研究を行っている先生の研究室に入りました。そして、無謀にも、視覚と触覚が及ぼす記憶の差異を研究したいという無謀な提案をして、卒研と卒論を行いました。当時の先生には、本当にご迷惑をおかけしました。そのこともいつか書き留めたいと思いつつ、本当に感謝したいと、つくづく思っています。

アナログな仕事に憧れて。

1999年、大学を卒業した後は、「デジタルじゃない!アナログだ!」という勝手な信念をもって、県内にあるタウン情報誌を発行する会社に入社しました。メディア・広告系の業界もあって楽しかったが、ちょっと違うことばかり考えていたように思います。リーマンショックを機会に、地域課題と共創互恵による課題解決の必要性を感じ、俗にいう「まちづくり」「観光」などの官公庁案件に取り組むようになりました。学歴とは違うが、「まちづくり」「観光」の様々な勉強会は、本当に面白かったです。いろんな所に提案を行い、県内外で様々な経験を積ませていただいた。ちなみに、今でも、NPOGPネットワークが毎年主催するセミナーが私にとってはこの上ない学びの場になっています。

2018年に、当時の会社を退職しました。退職理由は、メディア・広告系の業界の事業展開に対して、私はある意味勝手で広義な活動になっており、組織の統制とは違う場所にいたと思ったからです。当時の仲間には、優秀な人が多く、できるならこの先も一緒に共に仕事をしたいと思う人たちが多かった。今でも、そう思っています。

2018年以降、一旦、官公庁案件から手を引きました。理由は、民間だと思ったから。普及啓発や新たなプロトタイプを創る官公庁案件は、信頼をつきますし、やりがいも大きかったのですが、実体経済との剥離を感じていたからです。そこで、やはり、民間によるエコシステムが大事だと痛感し、いくつかのお手伝いをさせていただき、2024年の現在も続けさせていただいています。

しかし、私を取り巻く環境は、コロナで大きく変わり、ご縁で、北海道のある港町にも関わるようになりました。私の人生史上最大の刺激をもたらした女史との出会いをもたらしてくれました。女史は高い目線をもちながら、常に人間の本質をみつめていらっしゃいます。少し浮世離れしていることも多いですが、そのまなざしと行動にはいつも感服するばかりです。この学びなどは、今後改めて書き留めていくことにします。

2023年に出会った「本音」。

こんな私は、2023年、ある言葉に出会いました。

「町から早く出たいから勉強した。大嫌いだけど、大好きな町だ」。

出身者

私も外に行ってみたかったけど、覚悟と意思がなかっただけだと痛感しつつ。地方とか言うよりも、日本全体も、同じ状況になっていきそうな….

「街灯が暗い。暗い町から出ていきたい」。

現役高校生

まちづくりの意見交換会で高校生の女子が言ってくれた金言。本当によく言ってくれました! そして、この声に共感してくれる大人がいる、この町は、いい町だと思いました。

そんな言葉が、2024年の私の活動の道しるべになっています。
そんな物語のはじまりを刻み、その後のことを少しずつ刻んでいこうと思います。

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