俺のX 2024年12月③ 2 草見沢繁 2024年12月31日 16:00 12/16Xに書いてもよかったような雑文を書きためて隔週で放出、というゆるいルールでやっております記事マガジン「俺のX」です。ライターの草見沢繁と申します。本年もお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。年末のご挨拶です。うまくいけばぎりぎり年内に更新できるはず。できてるはず。頼んだぞ再来週くらいの俺。この週末は久々に妻とゆっくりしました。ありがたいね。近所に古くからやってるぽい店構えの中華料理店があって、久々に二人で行きました。かなりご高齢のご主人おひとりのお店で、何を食べても絶品というわけではなく当たりはずれがしっかりあるので(失礼)毎回とても楽しいです。食べログやその他の情報によると、数年前には奥様がご存命でご夫婦でやられていたらしい。奥様に先立たれてなお中華鍋を振るうご主人。背負ったストーリーをかすめ考えて瓶ビールもすすみます。今後もなるべく通いたい。ご満足。12/18Netflix『さよならのつづき』を完走したので感想を書きますね。俺のXではそういうこともやります。ご視聴予定のある皆さまはご注意ください。では以下。前回更新分でもちょっと書いたけど、だいぶ手垢まみれの設定(記憶転移)なので、逆にどのポイントがエポックなんだろうな、という観点で観賞してました。ヒロインとその婚約者(死別)と、亡くなった婚約者の心臓を移植した男性とその妻、の四角関係を軸にしたお話。とりあえず不倫の要素がちょうどよかったので、そこはほっとした。死を受け入れて人生を続ける、という展開こそが肝であれ、と祈っていたので。心臓移植手術を受けて、ドナーの記憶が乗り移って別人のような雰囲気を醸すようになった夫の妻を描くとなると、どうしても可哀想な存在になり過ぎるところ、ぎりぎりで回避してたと思う。ヒロインよりこっちの妻のほうが感情面での情報量って大きいから、膨らまそうとすればいくらでもいける、というかこっちのほうが悲劇のヒロインじゃね? みたいになりそうだったもんね。心臓移植で変わってしまった夫と、その心臓の持ち主の婚約者(=ヒロイン)が心を通わせてるとか、妻としてどう処理すりゃええねん、みたいな。そこにフォーカスし過ぎると不倫ドラマになりかねないけど、フォーカスせざるを得ないところでもあって。危なかった。変なところでハラハラしちゃった。この神回避をエポックと捉えることもできるかも。なんかベタベタな部分というか、とにかく美しく描こうということでピアノとかコーヒーとかハワイとかカフェとか、そういうキーアイテム的なものが若干おハイソな感じで統一されてたのは、ちょっと鼻につくなーとは思ったけど、そういった美しさのためにいわゆる悪役を立てずに走り切ったのはさすが。ぶるんぶるん揺れる登場キャラクターたちの思いの先に何があるのか、どうなるのかという要素でちゃんと面白く観られました。ただラストは……どうなんだろう。こうするしかないよねということで展開に殺されてしまったようにも感じたけど、代案は思いつかないんだよな。ここで妻のほうの葛藤やらがあれば地に足が付いたような気もするが冗長だろうな……いやーわからない。ごめんなさい。俺はまだ連ドラを書いたことがない。全然ちなみになんですけど、脚本の岡田惠和さんは俺と同じ青山シナリオセンターのご出身だそうで大先輩でございます。勉強させていただきました。勉強になった。今もだいぶだけど、すでに年始以降の忙しさも見えてきていて億劫。話題のmixi2ですが、ノッツさんの招待リンクからとりあえず登録しました。もともとのmixiのほうも、誘ってくれたのはノッツさんだった覚えがある。ご利用の方、お気軽にフォローください。頼んだぞ。12/19読者からめちゃくちゃブチ切れたメールが来ましてね。本業の出版社のほうです。言ってなかったっけ。ライターをやりつつ、本業は都内の出版社勤務です。いま言いました。では続けますね。長年雑誌を購入いただいていた方らしいんですが、雑誌アプリの購読で不具合があって、その対応が後手後手だったのに対してブチ切れあそばされ、怒りに満ちた長文メールを寄こしてきたのが社内共有されてきて、それ読んだんですけど。まあなんかこう、可愛さ余って憎さ百倍っていうのは、まああるよなという気持ちになった。数十年にわたって応援していただいてた方からの叱責なので、価値あるお言葉には違いないし、その読者の方からしたら、これまでの思い出に泥を塗られたということで失望してらっしゃるのでしょう。社として重く受け止めてまいります。ただ、限界もあるなということが正直なところ。薄利多売というわけではないけど、うちみたいな中小レベルの出版社でも、総冊数でいうと毎月ウン万部の書籍・雑誌を発行して、リアル書店・電子書店に限らず様々な流通経路でお客様にお届けしていることになる。なっている。そのお客様ひとりひとりの環境とか状況とかに寄り添った細やかな対応って。できないよね。もちろん努力目標というか理想論ではフォローしっかりしたいけれど。昨日テレビ観てて、小林幸子さんが今年亡くなった八代亜紀さんを偲んでおっしゃってたんですけど、何百回、何千回も同じ歌を歌うけど、聴いてくださる方にとっては一回きりかもしれない、だからこそ同じ曲でもちゃんと歌わないといけない、みたいなお話。それに通じるというか、まんまそうなんですけど、八代亜紀さんのお言葉には本当にめちゃくちゃ首肯するけれども、かといって一人一人の読者のニーズに細やかに応えるのって、当たり前だけどリソース的に限界がある。さらにいうと結局のところ「御社おかしいんじゃないか」ってご意見を挙げてくださる読者の方って総じて版元自体に愛着があったり、シンプルに著者のファンだったり、本を買ったけど役に立たなかったりして、ご不満で声がでかくなってる方なわけで。そういう人しかこっち側からじゃ見えないんですよ。体感ですけど、書籍を買って「思ってたんとちゃうやんけ」ってなって版元に殴り込んでくる方ってだいぶ少数(いらっしゃるにはいらっしゃる)。ご不満があってもSNSとかAmazonレビューに書き散らす程度が多数派。加えて「書籍を購入したのに生活がままらなくて困る」みたいなことにはならないから(推し活やってるとあるかもだけど)買って損したわーとぷんすかすることはあっても、そのお気持ちはエネルギーとしては小さいのでこっちに届かない。結果的に殴り込み勢を含む声がでかい人の対応に終始することになる。それでいいはずないですよね。買った書籍の価格は同じなのに。買って下さった皆さん全員に対して考えなければいけない。声のでかい人だけのゴネ得になってはいけない。わかる。わかるけど、限界です。あーすみません。無理です。ごめんなさい無理でーす。脳内お花畑ではございますが、これ関連で考え出すと一気にパンクしそうになるのよ。マスメディアに向いていない。ごめんね。12/20昨日はまあまあの長文で繰り言を述べたけど、お怒りメールがだいぶキツかったんだろうね。まあ考えても仕方ないことはほどほどに悩んで、疲れたらやめようね。年末だし。年始のロッキンオンソニック2日目に行くことにしました。ウィーザー、ジザメリにデスキャブときたらもう行かないわけにはいくまい。と思いつつも、チケット代18,000円(1日券)はさすがに高いかなーという感じだった。しかしながら「来日公演ひとバンド7000円としたら、3バンド観られたらお釣りがくるよな…」というよくわからない損得勘定で決断しました。なんか来日公演って今そのくらいじゃないすか。今はもっとするかな。オエイシスのチケット抽選に外れた腹いせという側面もありますが。楽しみだなー。12/24クリスマスイブですが特に何も準備していません。「しなきゃ」になるととたんに億劫になるんだよな。よくないなー。イベントごとを億劫がるのは本当によくない。義務感が「楽しい」を凌駕する状況って精神的余裕もクソもないぞ。焦るー。なんか億劫さとか常飲しているお薬の副作用とかで一気に気だるさMAXで昨日は会社をしっかりサボった。以前はさすがにちょっとなーという罪悪感もあったけれど今は大丈夫、仕事はできるときにやってるから。ここぞ、でパフォーマンスを出せればいい。出せなかったらごめんなさい。正論ロボ「社会人を舐め過ぎでは?」……そうかなあ。そうかも。でも自分の面倒をみられるのは結局のところ自分だからな。自分で面倒を見きれてなかったというのがここまでの人生の反省点でもある。トリプルファイヤーの『今日は寝るのが一番よかった』をみんなで聴こう。そういえばこの週末で、ドラマ『全領域異常解決室』を完走しました。楽しかったな。神様設定を5話まで匂わせだけでしっかり引っ張ってたの、たいへん好印象でした。終始うさんくさい藤原竜也(同い年)もすごくよかった。自分にもっと日本の神様たちについての知見があったらなーとも思った。アクションその他、どこかニチアサっぽい質感は評価が分かれるところだろうけども、こういうクセの強いジャンル(伝奇異能バトル?)を実写ドラマでやってくれたのがまず嬉しい。ちょっと前ならあり得なかったんじゃないかな。どうだろう。テレビ局やスポンサーの方々が「もうよくわかんないから、とりあえずやってみろ」的な判断をするようになってるのかしら。イケイケ90年代の「とりあえずやってみろ」とは違う感じね。でもやぶれかぶれな状況で本作みたいなのが出てくるわけないよな。ゴーを出したご判断に感謝せねばなるまい。礼を言うぞ、ありがとう。続編にも(あるよね?)期待しております。「みんなお金がない中で苦労しているのに」という考えはシンプル呪いに繋がりやすい。政府やら会社やら「あいつらが悪い」に集束することで怒りが溜まってしんどくなってしまう。それはもう呪いよ。でも本当にみんながみんなお金がなくなりつつある気がするし「もうよくわかんないから、とりあえずやってみろ」的なことが起こりやすくなっているようにも思う。他責の限界を迎えてみんながもう優しくなるしかない世界はすぐそこだ。それが豊かさと呼ばれるものになるかどうかはわからないけれど。12/25昨夜サンタさん来たっぽくて、起きたら枕元にちゃんと二つ置いてあったんですよ。朝から夫婦で「わー」って言い合った。わたしにはスマホ使える手袋、妻にはちいかわ最新刊の特装版が届きました。サンタさんはいい子にしていれば中年にもやさしい。ありがとうね。年末の世間のなんとなくソワソワした感じ、ようやく出てきたな。秋のはずなのにクソ暑いなどの季節感の変化が体感に影響している。新作のアナウンスもあったということで『人喰いの大鷲トリコ』を数年ぶりに遊んでいるんですが、よく言う「記憶を消してもう一度やりたい」的なやつ。なんかその状態に近い感じになっている。なんとなくぼんやり覚えているんですけど、イベントシーンとかで「えっ」とか声が出る。いや一回クリアまでやったやん。これがね。新鮮な驚きというわけでもなく、やってるうち「あっこの場所は来たことある」とか「このギミックってこうするんだったな」とか思い出すことはあるんですよ。なんか久しぶりに飲み屋で会ったかつての常連さんで、顔はなんとなく覚えてるけど名前は出てこないなーっていうあれ。その状態。その常連さんとのエピソードとかはぼんやり思い出せるけど、肝心なところが抜け落ちている。遊んでいて新鮮さはほとんどなく、だからこその「味」みたいなのもあるんだろうけど、その境地にはまだ至っていない。久々のトリコと一緒に進めていたら、記憶の先の新しい地平へ辿り着けるだろうか。トリコ関連でちょっと思い出したんですけど。ディレクターの上田さんがインタビューで、トリコの性別は雌雄いずれかに限定していない、父のようにも母のようにも、あるいは子どものようにも見える存在にしたかった、みたいなことを確か仰ってて。※探したらあった。(聞き手がキャプミラさん!)https://www.gendesign.co.jp/qa_01/interview02.htmlで、前回だいぶ長文で映画『ロボット・ドリームズ』の感想を書いたんですけど、そこで「なぜロボットだったのか」がけっこう引っかかった、みたいなことを書いてましてね。そこと「トリコ」がなんか繋がったというか。あーそうかという気付きがありまして。要するに、雌雄も年齢も何もかも除外した「隣にいる誰か」の概念として「ロボット」が適当だったのかもなーと。ロボットはしっかり「隣にいてくれる誰か」として描かれるんだけど、劇中でも初っ端から「製品」として示されてるし、そのへんはっきりとしたパーソナリティを持たせないことで替えが利く・代替可能な存在なんだと端から表現したかったのかもなーと。そして「ロボット」は、鑑賞者それぞれが持つ「最初に隣にいてくれた誰か」とか「ずっと一緒にいたかった相手」とかの概念でもあるわけですよ。だから受け手・鑑賞者に、存在を限定させないようにする必要もあった。鑑賞者の思い出をデフォルメ化するために。終盤の『September』がガッと胸に迫ったのも、まんまとうまいこと乗せられたというか。あり得ないと思っていた奇跡の再会、そんなんあるわけないやろ、という自分の諦めとか決めつけとかを、映画の力で超えさせられてしまった。「ロボット」という代替可能な存在が、あり得なかったはずの「再会」を引き寄せた。観賞中の、その夢のような瞬間こそが「ロボット・ドリームズ」ってわけ。また観たいなー。せっかくまとめたのに、最後の一文が「股みたいなー」と変換されたので台無しだ。12/26仕事終わりに妻と丸ノ内イルミを冷やかしに行こうぜとなったとたんに折り返し運転を始める地下鉄。こういうのよく引くー。別ルートでも行けたのでよかった。こういう「引き」について笑って付き合ってくれる妻でさらによかった。明日までしっかり仕事だー。12/27俺は昨夜、うまい寿司を食べた。最高だぜ!妻に請われて『イカゲーム』シーズン1を観はじめた。なんか昨日はじまったらしいシーズン2を観ようぜーと誘われたけど、俺みたことないよって言ったらエッなんで、となった。当然観てるものと思われていたらしい。ということで「とりあえずシーズン1を観ろ、わたしも振りかえりたいから」という妻の要請により視聴することになったわけです。いやーなんか「デスゲームもの」というだけで『Saw』シリーズを思い出してしまって、いやだなーとなってて。なんていえばいいかな、登場人物があまりに理不尽にかわいそうな目(ケガするとか死ぬとか)に合うような流れがちょっとしんどいというか……ホラー映画ってだいたいそうだし、そういうの元々好きじゃないんすよ。ゴア表現とか残酷描写とか、それら自体はまだいいんですけど。そこに前後してある状況というかシーンというか、ストーリーがあるとなんだか急にしんどくなるの。そういう目にあった人が苦しんでいる、ということがつらい。つまり「かわいそう」がしんどい。『エイリアン』とかはクリーチャーデザインのカッコ良さがあるから観られるけど。あと怪談も好き。『バイオハザード』やら『サイレントヒル』もめっちゃハマってたし。なんかなー映像作品になると苦手なのかもしれない。「こえー!」つって楽しめるところとなんか違うんだよな。とかうじうじ考えつつ『イカゲーム』1話を観たんですけど。ショッキングな描写はあるけど、まだ観られるなという感想。思ったより主人公の背景描写がしっかりあって、こういうデスゲームに乗っちゃうやつ=自業自得、な感じがあるからかな。これで脚を切り落とすかどうか的な展開がなければいい。いいのか?少なくとも今んとこ「かわいそう」感はあまりないかな。モブがあまりにどんどん死んでくから「かわいそう」が追いつかなくて麻痺っちゃっただけだろうけど。あとはお話の軸というか見せたいポイントがどこにあるか、自分の中だけでもいいから醸成できるといいな。続きも頑張って観よう。妻の要請にはなるべく応えねばならない。 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