死を恐怖ではなく楽しみに待てる境地になりたい。友の死を自分に素直に置き換えられる年齢になった。
本当の感動は饒舌ではなく、短く抑えた言葉がいい。言いたい言葉が無限にあろうとも、それは飲み込んだ方がいい。
短い的確な言葉は聞く人の想像力を湧きたたせる。湧きあがった本物の感動はうねる波となって遠方まで伝わって行く。
魂の波動のエネルギー、宇宙の重力波の如くに、大空間の無限の彼方まで…そんな事を心に浮かべながら死を意識した、ひとつの人生を想っている。
死を意識した人間は変わる…とニィチェは言っていたが、俺はそのような友を何人も見て来たし今も見ている。それでも人間は無意味な努力を繰り返す
アルベール・カミュの「シーシュポスの神話」のように…山頂に大きな転石を運ぶという同じ動作を何度も繰り返すのだ。やがていつかは力尽き、自分がその転石の下敷きになるのが分かっているのに…。
俺も無駄な努力を積み重ねている。俺の存在など、この空間の一角にいるモノに過ぎないのに…。人と人との見えない距離を見つめ、美しい距離感と云う名の理想のコミュニケーションを探している。
俺も必ず、いつの日か病に倒れるだろう。自分だけは不死身だと思い込んでいてもだ。でも、その時は口笛でも吹きながら、最後の闘いに臨みたい。多分怖いだろうな。泣き叫ぶかな。笑っていたいけれどね。間違いなくその時が、自然にやって来る年齢だもんなぁ。
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