現時点でのヒノモトの社会問題の縮図の様な状況が招いた「幼い命の犠牲」だったのだ。

『このバスケ部時代の友人によれば、雄大は非常にプライドが高く、自分を良く見せようとするタイプだったそうだ。自分より上だと思った相手にはヘコヘコするが、下だと思ったら横柄になり、必要以上に自分を良く見せようとしたりする。同級生たちはそんな雄大を陰で笑い、「しゃみ将軍」とあだ名をつけた。北海道の言葉で「しゃみ=しょぼい」を意味していて、自尊心が高いくせに実態が伴っていないところからつけられたという。~後の事件で、雄大は優里と結愛ちゃんに「ダイエット」という名の異常な減量を強いたが、この頃からモデルのような細身の女性が好きだったという。彼が大学時代に3年間付き合っていた女性は優里にそっくりだったらしい。雄大の好みは「細くて、気が弱く、意見を言わないタイプ」だったようだ。友人の言葉である。「雄大は自分より弱い子を守ってあげたいみたいなヤツなんです。だからメンヘラみたいな弱い子が好きだった。北海道に帰った後のことですが、ある女性が小樽で自殺しようとしたんです。雄大はそれを聞きつけて札幌から車を飛ばして助けに行っていました。依存されるのも好きだったんだと思います」雄大の自尊心の高さは、港区のレインボーブリッジやお台場の花火が見える高級マンションの10階に住んでいたことからもうかがえる。このマンションが自慢だったらしく、よく友人を呼んでは「今度は車を買うつもりだ」などと言っていたそうだ。~だが、友人たちは真っ向から否定する。薄毛は大学時代からであり、毎月バスケの練習や試合には参加し、合コンにも来ていて、うつ病なんて一言も聞いたことがないそうだ。その代り、友人らが指摘するのは大麻や危険ドラッグの使用だ。「雄大は大学2年の時に海外旅行で大麻を覚えて、ちょくちょくやってました。頻繁に見かけるようになったのは、社会人になったからですかね。家で大麻を大切そうに持ってましたし、脱法ハーブ(現・危険ドラッグ)はしょっちゅうやっていました。俺たちが家に行っても普通にやっている感じです。何が入ってるかわからないから止めろよ、と言ってもやりつづけていた。東京にいる最後の頃はちょっと変な感じになっていて、友人の結婚式をすっぽかすとかもありました」~友人らによれば、当時は、父親が北海道で別の仕事に手を出して母親と妹が大変な状況になっていた。雄大はそこから母親と妹を苦境から救うために、転勤願いを出して札幌の支部に異動させてもらったというのだ。つまり、自分を虐待した父親から、母親や妹を守るために北海道に帰ったというのである。北海道にもどった後、雄大は家庭の問題を解決してから会社を辞め、札幌の歓楽街「すすきの」のキャバクラで黒服として働く。高校時代に付き合っていた不良たちがすすきのに出入りしていたことから、夜の世界に憧れを抱いたのだろうと友人らは推測している。すすきので数ヵ月間働いた後、雄大は香川県へ移る。これは、ある女性の誘いがきっかけだった。東京にいた頃、大学時代の友人が香川県高松市のキャバクラでホステスをしていた女性を雄大に紹介したことがあった。ホステスは東京へ遊びに行く度に、雄大の港区のマンションに泊まらせてもらっていた。雄大は北海道に帰った後、そのホステスから、高松市内のあるキャバクラ店が人材不足で困っているという相談を受ける。それで雄大は店を助けるために香川県へ引っ越したのだ。高松市にあるこのキャバクラ店で、雄大は黒服として働きはじめる。同じ店でホステスをしていたのが、後に妻となる優里だった。~雄大は東京の大学を卒業し、全国的にも名の知れた企業に勤めていたことを自慢げに語っていた。実際に仕事もできて店長からの信頼も厚かった。折に触れて、海外旅行の話など知らないことを話してくれる。優里は雄大に対して「年上で幅広い知識を持っていていろいろと教えてもらいたい」と思うようになっていった。二人を良く知る友人の言葉である。「優里は雄大にベタぼれで、『ドストライク』だって言ってました。彼女から猛アタックして付き合いがはじまったんです。雄大の方は、どちらかといえば年の離れた彼女の面倒をみてやっているみたいな感じでした」雄大にとって、年下の優里は自尊心を高めてくれる相手だったにちがいない。雄大は結愛ちゃんのこともかわいがり、週末には公園やテーマパークへつれて行って肩車をするなどスキンシップをしてかわいがった。結愛ちゃんも雄大のことを「お兄ちゃん」と呼んで懐いていたという。そんな中、優里が雄大の子を妊娠した。雄大は迷うことなく「責任」を取って結婚することを決める。この時、雄大は出産が終わって落ち着いたら、東京へ引っ越そうと話していたようだ。優里にしてみれば、大好きな相手と家庭を持てる上、地方の不安定な生活から抜け出せるという期待を抱いていただろう。2016年4月、雄大は反対を押し切って結婚をし、結愛ちゃんを養子として迎え入れる。この時の彼には、「明るい理想的な家庭」をつくりたいという意気込みがあった。結婚に反対した母親を見返したいという気持ちもあったはずだ。逆に言えば、そうすることが母親との和解の道だった。しかし、新婚生活は雄大の理想とはかけ離れたものだった。優里は若くして母親になったことも影響していたのか、日常生活から人付き合いにいたるまで様々なことに常識を欠いているように感じるところが多々あった。2歳の結愛ちゃんに好き放題甘いものを食べさせたり、ママ友と上手に付き合えないといったことだ。友人は、一例として雄大一家とバーベキューをした時のことを語る。「優里の周りにいたのは変な女たちばかりでした。バーベキューに来たのは、みんなシングルマザーのキャバ嬢で酒飲んでべろべろに酔って、自分の子供に『うるせえんだよ、死ね』とか『黙れよ!』とか怒鳴るような感じ。優里自身はそこまでひどくなかったけど、雄大からすれば、そういう友達との付き合いや言動に不安を覚えたのは当然だったと思います」雄大の理想と現実に大きな溝があったのである。さらにこの頃、彼が気にしていたのは「養父」という自分の立場だ。結愛ちゃんを養子にする手続きをした際、書類に自分が「養父」と記されているのを見てショックを受けたのがきっかけだった。理想の家庭を目指していたからこそ、「養父の家庭」というふうに見られるのだけは耐えられなかった。今の状況を改善したい。雄大のそういう考えが、「しつけ」という名の虐待のはじまりだった。入籍して間もなく、雄大はだんだんと優里に対して厳しくあたるようになる。仕事が終わってから毎日1時間、日によっては深夜まで、優里の日常の些細な言動や、結愛ちゃんに対する育児、それに性格のことまで執拗に注意するようになる。理詰めで追い込み、優里が言い訳をすると、こう言った。「育児もできないくせに、口出ししてくるな!」優里はもともと寡黙で、友人の家に遊びに行ってもまったくしゃべらないことさえあった。言葉のDVによる精神支配ということも加わって、雄大に反論するより、自分のために叱ってくれていると受け取り、説教の後は毎回LINEで「貴重な時間をつかって怒ってくれてありがとうございました」と送っていた。時を同じくして、雄大は結愛ちゃんへのしつけも厳しくするようになった。生活の細かなことだけでなく、読み書きなどを教え込み、やる気がないと見れば声を荒げ、殴る蹴るの暴行を加えたり、家の外へ出したりすることもあった。さらに、優里にも「子ども扱いするな」と言って結愛ちゃんを甘やかしたり、抱きしめたりすることを禁じた。9月、二人の間に長男が誕生するが、その後も雄大の妻子に対する厳しい態度はつづいた。これまでメディアの中には、雄大が実の子を授かったことで、連れ子である結愛ちゃんへの愛情を失って虐待をはじめたという論調で報じたところもあった。だが、前後のことを踏まえれば、雄大は息子の誕生とは別に、雄大は結婚に反対した母親を見返すために「理想的な家族」をつくりたいという気持ちから、優里の生活習慣を注意したり、結愛ちゃんに勉強を強いたりしたと考えるのが自然だろう。実際、友人たちによれば、この時期雄大は口癖のように「(家族の中で)まともなのは俺しかおらん」とか「優里がちゃんとしないから俺がやらなきゃダメだ」と語っていたという。自分の行為がDVや虐待であると認識しておらず、自分が家族を立て直さなければならないという思いを膨らましていたのだろう。』

この記事によると強すぎる「正義感」と「変なプライド」から「虐待」の連鎖が始まってしまったのか…

なぜ4歳女児は死んだのか?目黒事件「マスコミが報じなかった真相」
目黒女児虐待死事件の「真相」(1)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68057

『結愛ちゃんにしてみれば、理不尽なことを押し付けられ、手を上げられるので、身を守るために嘘をついただけなのだろう。雄大はそれを理解しておらず、さらに結愛ちゃんが怯えて敬語をつかってくることにも距離を感じていら立ちを覚えていた。児童福祉司はくり返し暴力をふるわないように説得した。雄大も優里も、それを受け入れなければ結愛ちゃんを返してもらえないことをわかっていたため、今後はやらないと約束をする。こうして児相は2月1日に一時保護を解除。結愛ちゃんを自宅に返し、その後はカンファレンスや家庭訪問で見守ることにした。だが、雄大は自分のしたことをまったく悪いと思っておらず、帰ってきた結愛ちゃんに再び手を上げるようになった。ただ、雄大は雄大なりに、結愛ちゃんが思い通りにならないことに悩んでいたらしく、友人に度々悩みを打ち明けている。友人の一人は語る。「雄大は育児に悩んでいて、『娘が全然言うこと聞かんのや』ってつぶやいていました。それで罰として家の外に出してるってことも言ってましたから、本人には虐待っていう意識はまるでなかったんだと思います。ただ、結愛ちゃんは3、4歳ですよね。そもそもイヤイヤ期や、大人の言うことを聞かない年齢でしょ。そこにもって、本当の父親でもない男からあれこれ言われたら反抗するのは当然じゃないですか。雄大はそこらへんを理解してなくて、自分がちゃんとしなきゃという思いを募らせていったんだと思います」雄大が悩んでいら立ちを募らせれば、間に立つ優里も結愛ちゃんに言うことを聞くように強いる。だが、結愛ちゃんも言われれば言われるほど反発したのだろう。優里も周りに「(結愛に)歯磨きをさせたいが言うことを聞かない」と相談するようになった。理想的な家庭を目指して立派な父親になろうとする雄大、暴力を受け義父に懐けない結愛ちゃん、夫も娘も愛しながら適切な対処が取れない優里。このように親子三人の関係がバラバラになっていたのだ。~児相は再び7月30日まで結愛ちゃんを保護し、雄大や優里と面談を重ねる。この間、一時保護所が満員だったため、児童養護施設に預けられた。結愛ちゃんは施設の生活を「遊園地にいるみたい」と話して、他の子とも仲良くやっていた。雄大から離れられるのが嬉しかったのだろう。雄大はそんな結愛ちゃんの態度が気に入らなかったようだ。施設で雄大と結愛ちゃんの面接が行われた際、こんなやり取りがあった。雄大「家に帰りたいのか帰りたくないのか」結愛「帰りたい」雄大「なんで帰りたい」結愛「オモチャがあるから」雄大「この施設にもあるけど、どっちがいいんだ。本心なのか。本当はどう思うのか」雄大は結愛ちゃんに「家に好きなお父さんとお母さんがいるから帰りたい」という答えを望んでいたと思われる。だからこそ、距離を置いて表面的な回答をする結愛ちゃんにいら立ちをぶつけるような言葉を投げつけたのだろう。児相は結愛ちゃんを児童養護施設へ入れることも提案したが、雄大はそれを拒否して引き取ることを主張した。施設に入れれば月々の入所費用がかかるし(所得に応じて負担金が必要)、施設での生活がつづけば結愛ちゃんがよりだらしなくなると考えたのだ。この場に及んでも、自分のしつけの正当性を信じていたのである。児相は両親から同意を得られなかったことから、結愛ちゃんを家に帰す代わりに、次の五つの条件を守るようにつたえた。(1)幼稚園へ通わせる。(2)週末を祖父母の家で過ごさせる。(3)病院の外来を受診させる。(4)定期的な結愛ちゃんの面接。(5)暴力の禁止雄大は、このうち(1)と(2)を拒絶した。(1)については他の保護者も一時保護のことを知っているために優里のストレスになることと、来年には東京へ行くことが決まっていることを理由として挙げた。(2)については祖父母宅へ預けられれば余計に甘やかされると語った。後者は、連載第1回で述べたように、雄大にしてみれば優里の実家の家庭環境は決して良くないという考えが根底にあったものと思われる。児相は、(1)(2)を諦める代わりに、(3)(4)(5)を守ることを約束させ、結愛ちゃんを自宅へ帰した。~優里は児相との約束通り、結愛ちゃんを連れて定期的に病院の外来を受診した。医師は虐待を専門にしている女医であり、結愛ちゃん、優里の双方から現状を聞きながら、生活上の問題点を改善しようとしていた。女医によれば、結愛ちゃんは雄大を怯えていて「パパが怖い」「怒らないでほしい」などと言っていたものの、優里のことは大好きで甘えていたという。優里の方も結愛ちゃんをかわいがっていた。ただ、優里はしつけについて悩んでいたという。女医が公判で述べた言葉である。「診察の最中に、(優里から)『食事は食べさせすぎか』『ごはんじゃなく、コンニャクを食べさせるべきか』と訊かれました。ご飯の量についてはかなり気にしていたようです。私からは子供に対して食事制限をする必要はないことを説明して、栄養士の指導を受けてもらいました」優里が結愛ちゃんの食生活のことで悩んでいた背景には、雄大が家族に課していた食事制限のことがある。入籍後、雄大は連日のように優里に対して生活上の注意をしていた。雄大が折に触れて口にしたのが、優里が太りすぎだということだった。優里は20代前半の女性としては、ごく普通の体型だが、雄大はそれでも太っていると考えており、ことあるごとに説教をした。そのせいで、彼女は夫の前ではキャベツしか食べられなくなり、隠れて炭水化物を取っては下剤を飲んだりしていたのだ。雄大の食事制限は優里だけでなく、結愛ちゃんも及んでいた。結愛ちゃんが食べすぎると方々に悩みを打ち明け、家では厳しく制限をしていたのだ。そのため、優里は結愛ちゃんに何をどれくらい食べさせていいのかわからなくなっていたのである。なぜ雄大はここまで体重にこだわったのか。友人らの話では、雄大が細身の女性を好きだったことはたしかだが、体格そのものに過剰なほどの執着があったわけではなく、「体重の増加=生活習慣がだらしない」という固定観念があり、そこについて言及することが多くなったのではないかということだ。雄大のことが大好きで結婚した優里にしてみれば、女として体重のことを言われれば傷つき、過度なダイエットに取り組むのは当然だろう。そして、同じことを娘にも強いていたのだ。~4月から結愛ちゃんは小学校に進学することになる。ならば、その前に東京へ行って新しい仕事に就いて、入学準備を整えなければならなかった。こうして雄大は勤めていた食品会社を辞め、12月に単身で東京の目黒区のハイムへと引っ越しをする。目黒区を選んだのは、このハイムから世田谷区のダイニングバーが近かったためだ。逆に言えば、それほどこの知人を頼りにしていたのだろう。優里は結愛ちゃんと弟と1ヵ月香川県に残り、1月に東京にいる雄大のもとへ向かうことになっていた。この間、雄大がいなくなったことで、優里は解放されたように結愛ちゃんに対して肉、魚、炭水化物、それに好きなチーズなどをたくさん与えた。結愛ちゃん自身も、東京へ行くことを楽しみにしていたという。』

この記事によると苦悩と葛藤があったことは解る。

若き妻が、娘と自分に暴力をふるう夫から離れられなかった理由
目黒女児虐待死事件の「真相」(2)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68058

『1月23日、母親の船戸優里は、5歳の結愛ちゃんと一歳の長男をつれて新幹線に乗って東京へ向かった。行先は、1ヵ月前に東京へ引っ越した父親の雄大が待つ目黒区のハイムだった。優里も結愛ちゃんも東京での新生活を楽しみにしており、香川県で通っていた病院の女医にもそのことを告げていた。東京には、香川県とちがって輝かしい生活が待っていると信じて疑わなかったのだろう。新幹線の車内で撮った写真が、結愛ちゃんにとって最後のものになるとは誰一人として想像していなかった。目黒区のハイムは、築40年の2階建てだった。最寄り駅から徒歩15分。一家の暮らす部屋は2階の端にある2DKで、ダイニングキッチンの他に4畳と6畳の部屋、それにトイレ兼脱衣場の奥にバスルームがあった。不動産屋のホームページによれば、家賃は9万円前後となっている。ハイムに引っ越してきた日、雄大は妻子を温かく迎えた。結愛ちゃんが自分に敬語をつかわずに、笑顔で明るくしゃべりかけてくれたことが嬉しかったという。だが、すぐに雄大は虐待を再開させる。理由は、自分が家族から離れていた1ヵ月の間、優里が教育や食事制限をしっかりとしていなかったからだった。引っ越しの翌日、雄大は家でじっとしていた優里にこう言う。「家でゴロゴロしているのが信じられない。俺がいない間に、結愛が太った。俺の努力が水の泡だ。締め直す!」そして香川にいた頃と同じように優里に長時間の説教をし、結愛ちゃんに対して勉強を強いたり、食事制限をしたりしたのである。なぜ雄大はこんな些細なことに我慢できずに怒りを爆発させたのだろうか。実は、ここには彼なりの事情があった。~雄大が仕事を辞めてか2ヵ月目になっており、引っ越しでも多額の費用がかかっていたことからすれば、貯金はほとんどなかったと思われる。彼は慌てて別の仕事を探しはじめていたが、なかなか見つからなかった。そんな時に、妻と子供二人がやってきて一家を養わなければならなくなっていたのだ。雄大が小さなことで怒りを爆発させるほど焦燥感にかられていたことは想像に難くない。東京に暮らす高校時代からの友人は語る。「雄大は東京に来てから事件を起こすまでずっと無職でしたが、友達から誘われれば普通に会って遊んでました。競馬、バスケのゲーム、飲み会などですかね。とはいっても、雄大は金づかいが荒いタイプじゃありません。むしろ牛丼を食べてから合コンへ行くくらいの節約家です。彼が金がないのに遊びに付き合ったのは、プライドがあったからだと思います。彼は昔からプライドが高いので、友人に誘われても『金がないからムリ』とは絶対に言えない。だから普通に金のあるふりをして付き合っていた。俺もそれをわかっていたから金のことは訊くに訊けませんでした」雄大は金に困っていたにもかかわらず、プライドの高さから友人や家族に相談することができなかった。しかし、貯金はどんどん減っていき、4月からは結愛ちゃんを小学校に通わせなければならない。そうした状況が雄大の精神を追いつめ、今まで以上に余裕を失わせていた可能性は高い。雄大はその焦りからか、就職活動の邪魔になるので息子をパソコンの傍に近づかせるなと言って、日中は優里に長男を連れて外出するように命じる。一方で、ハイムに残った彼はパソコンで職を探しながら、結愛ちゃんのしつけをすることになった。この環境が、さらに状況を悪化させる。雄大は密室の中で思うようにいかないいら立ちをぶつけるように結愛ちゃんに次々と無理難題を押し付ける。「朝4時に目覚ましをかけて自分で起きる」「息が苦しくなるまで運動をする」「九九を覚える」「『アメニモマケズ』の詩を暗記する」「16時には風呂掃除をする」……。密室で二人でいる時間が長かったために、より多くのことを強いることになったのだろうが、5歳の女の子にとっては虐待以外の何物でもなかった。2月になってすぐ、優里にとってショッキングな出来事が起こる。雄大は結愛ちゃんに時計の読み方の勉強を指示した。だが、結愛ちゃんは言うことを聞かず、布団を引っ張り出して寝てしまった。雄大は激怒し、彼女を浴室につれていって顔面を殴りつけ、さらに、シャワーで冷水を浴びせかけたのである。優里は別の部屋で息子に授乳させている最中にそれを目撃したが、恐ろしくて何も言うことができなかった。翌日、結愛ちゃんの目のあたりが青くなって大きく腫れていた。雄大はそれを見て「ボクサーみたいだな」とつぶやいた。優里が「(暴力を振るうのは)止めて」と言うと、雄大は「わかった」とだけ答えた。目のアザは、その後もアザとなって残りつづけた。結愛ちゃんは優里にこう言う。「パパのいないところに行きたい」優里は「頑張ろう」と答えたものの、心は揺らいでいた。東京へ来れば何かも変わると考えていたのに、現実は香川での生活と何一つ変わらない。それどころか、実家や友人と離れてしまった分、孤立していた。傷害事件の日から3、4日後、優里は思い切って雄大に言った。「離婚したい。結愛と二人で暮らしたい」雄大が家族を一度に全員失うのを嫌がることは自明だった。ならば、結愛ちゃんだけでもつれて実家のある香川へもどりたいと言ったのだ。雄大はその場にいた息子に目をやり、厭味ったらしく言った。「お前は母親に捨てられたんだな。かわいそうだな」雄大はさらにこう言った。「離婚なんてヤクザみたいなこと言うな。おまえは苦しさから逃げているだけだ。おまえに(結愛ちゃんの)育児はできない。これから俺がする」そして、この日から雄大が結愛ちゃんのことを見るようになり、優里は息子と過ごすことになったのだ。ここから結愛ちゃんにとって最後の1ヵ月が幕を開けるのである。~なぜここまで雄大は体重を減らすことに執着したのか。一部では雄大が結愛ちゃんを「モデルにしたかった」などと報じられてきた。だが、雄大自身はそれを否定した上で、「体型・体格というより、数字にしか着目していなくて、結愛が太っているという認識はなかった」と語っている。就職活動がうまくいかない焦燥感と、自分がしつけをしなければという思い込みで冷静な判断ができなくなり、ひたすら数字を下げることだけに執着していたのだろう。彼自身公判の中で「どうしていいかわからなくなっていた」とこの時の状況を説明している。優里は、そんな結愛ちゃんを積極的に助けることはしなかった。雄大に隠れてチーズやチョコレートを少しだけ与えることはあったが、ハイムから連れ出したり、人に助けを求めたりすることはせず、むしろ雄大に怒られないようにと日々のルールを紙に書いて部屋中に貼った。〈何かをする時は終わった後に何分かかったか確認する〉〈勉強する前に「結愛は一生懸命やるぞ」と言う〉〈終わった時に「終わったぞ」と言う〉〈うそをつない、ごまかさない、あきらめない、にこにこ笑顔で〉……。このような貼り紙が余計に結愛ちゃんを追いつめることになった可能性はある。こうした状況下においても、雄大は結愛ちゃんが死ぬとは微塵も思っていなかったという。それは就職活動がうまくいかずに経済的にも困っていた時期に、小学校の入学に備えて高価なランドセルを購入していたことからも裏付けられている。この場に及んでも、雄大にとって虐待は「しつけ」でしかなかったのだ。~こうしたことからすれば、雄大が結愛ちゃんを病院へ連れて行かなかったのは、家宅捜索によって違法薬物の使用が見つかることを恐れていたという可能性が否めない。このように、両親が結愛ちゃんを死ぬまで自宅に閉じ込めていた背景には、虐待の発覚以外にも別の要因があると考えられるのである。~次は消防の記録に残る雄大の声である。「子供の心臓が止まったかもしれない! 目黒区×××。船戸です。もうすぐ6歳になる5歳児です。救急隊が来るまでどうしたらいいですか。数日前から嘔吐が止まらず、経口補水液を与えていました。救急隊が到着するまで心臓マッサージをした方がいいですか?」救急車が到着した時、結愛ちゃんはすでにAED(自動体外式除細動器)が作動しない状態になっていた。そして運び込まれた病院で死亡が確認されたのである。死因は栄養失調からくる敗血症だった。これが目黒区女児虐待死事件の全容である。』

この連載記事によれば…
「虐待の連鎖」「情報化社会による知識の偏り」「誘惑の多い社会情勢」「核家庭である父親と母親だけでの子育ての限界」等、現時点でのヒノモトの社会問題の縮図の様な状況が招いた「幼い命の犠牲」だったのだ。

立派な父親に憧れた男が、娘を凄まじい「虐待死」に追い込むまで
目黒女児虐待死事件の「真相」(3)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68059

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