ひとり旅のノートより「小豆島」
風がでてきたらしい。
昼間よりも海鳴りがさらにけわしくなり、夜目にも海がいっそう黒ずんでくるのが分かる。岩礁をとりまく白波の部分がしだいに多くなり、人の足もほとんど絶えた今、島は地を揺するような海鳴りの中に、カなく伏しているように思われた。
昼間の明るさの中に包まれていた暗さを、次第に拡大しながら、海は島の夜を染めていくようだった。
宿の部屋の明かりを消し、窓際で膝を抱えながら、私はひとり、思いをめぐらせた。
だれにまっさきに見つかるだろうかと、楽しい空想をのせて船はすすみ、緑の木立や黒い小さな屋根をのせて岬はすべるように近づいてきた。
ふたりの女の子が砂浜に立ってこちらを見ている。一年生ではないらしい。ふしぎそうにこちらから目をはなさない。変化にとぼしい岬の村では、海からの客も、陸からの客も見つけるに早く、好奇の目はまたたくまに集団を作るのだった。
たちどまっている子供が五人になり、七人にふえたかと思うと、その姿はしだいに大きくなり、がやがや騒ぎとともに、ひとりひとりの顔の見分けもつきだした。
しかし、子供のほうではだれもまだ着物の先生に見当がつかぬらしく、真顔でみつめている。笑いかけてもわからぬらしい。
しびれをきらして思わず片手があがると、がやがやは急に大きくなって、叫び出した。
「やっぱりおなご先生だァ」
「おなごせんせぇ」
「おなごせんせいがきたどォ」
高松から一時間あまり。土庄港の桟橋を一歩出ると、オリープの木陰に大石先生と十二人の教え子たちのブロンズ像が、島を訪れる人たちを歓迎するかのように置かれている。
壷井栄の作品により数多くの人たちに知られ観光地化したために、ひなびた島の姿がこわれたという人もあるが、よその地からの単なる旅行者である私には、そんな印象は感じられなかった。それは小豆島そのものが、ふんだんに美しい風光を持っているからであろうか。
日本の代表的な海のひとつである瀬戸内海のような、小味な風景から培われた小豆島は、見せ場がうまく島のなかに散らばっており、しかもそれらがことごとく小豆島らしい、小粒なものであるからなのだろうか。
それを観光客に手際よく、短い時間で楽しませるように観光バスが走り、ロープウエイが岩山を上下するのも、私にとってはいっこうに差し障りなかった。
バスの車窓からながめる風景にも、結構この島の素朴な生活が見られて、それが旅情を満たしてくれるのだった。
そしてこの島の人情の豊かさも、宗教的なものと、おだやかな気候と、美しい風光に培われたものなのだろうか。しかもその人間的な素朴さは、小豆島がより観光地化しても、けっして変化しないのではないかと、私には感じとれるのだった。
小豆島は、これらの要素が互いに影響を与えながら、凝縮されているように思われた。
瀬戸内海に浮かぶ島のなかで、淡路島についで広い面積をもっていながら、海に囲まれた島という限られた広さのためか、見て歩くのにもなぜか安堵の心で、丹念に見られるのだった。
島の南部に突き出た三都半島めぐりが、私には本当の島の姿を見たような、そんな気がするのだった。
池田という素麺をつくっている町から、海づたいに進むと、杖をつき鈴をチリンチリンと鳴らして歩いている、お遍路姿の人達に出会った。小豆島には、弘法大師の開いた八十八カ所の霊場があるという。おそらく札所めぐりを兼ねて島の風光を楽しんで、旅をしているのであろう。
しかもそれが、観光地らしいにぎやかな華々しさと別に反発しあうでもなく、むしろ互いにしっくりととけあっているのだった。私はそんなお遍路さんの姿を見て、しみじみとした感慨にとらえられている自分に気がつくのだった。
小さな集落に着いたとき、道は行き止まりになっていた。観光ルートの裏に、このような取り残された場所のあることが、私にはなぜかうれしかった。それでも海の風光は美しかった。痛々しいほどの美しさだった。
私は集落のはずれの小高い丘にのぼり、そこで三人連れの若い女性たちに出会った。
彼女たちは、かなり無遠慮な高い声で話したり笑ったりしながら、海を背にしてポーズをつくり、カメラのレンズを向けあっていた。
「こんにちは」
私はカメラをのぞいている彼女に声をかけた。あとの二人も寄ってきた。
「きみたち、どこから?」
「ハイ、東京です」
「学生?」
「いいえ、社会人一年生です」
私が実際の年齢よりも老けてみえるせいか、さっきからの騒ぎぶりとは違った、しおらしく素直なひびきの声であった。
私も年長者のような口ぶりで話しかけた。
「どうしてここに来たの?」
「やっばり、ここに来た人の話を聞いたのがきっかけね」
三人は顔を見合わせて、うなずき合った。口からロへと伝えられて行く評判は、馬鹿にならないものだなと思った。
「いつからこの島にいるの?」
「今日、ついたばかりです」
新幹線と連絡船を乗り継いで、 いまこの島ではしゃいでいるのである。
「つぎはどこに行きたい?」
「北海道です!」
三人がいっしょに声を出して、そう答えた。
身なりがいかにも清潔であった。地味に暮らしているらしい服装の質素さが、かえって魅力をひきたてていた。無理をしているような中途半端に贅沢な服装よりも、教養とセンスの良さは、はるかに女性を美しく見せるものだと、私はあらためて気づいた。
昼間すれちがったお遍路さんたちは、いまごろどこで眠っているだろうか。あの女性三人組は、小豆島の夜を楽しく過ごしていることだろう。
海鳴りなのか、それとも地鳴りなのか区別のつかなくなったとどろきに満たされて、島はいま真夜中である。
明け方から空模様がかわり、霧を吹くような小雨が降りつづいている。なまあたたかい雨だった。
坂手港から小豆島を離れた。
岸壁を離れると、たちまち港の風景がかすれてしまった。船はのろのろ動いているのに、普段の何倍もの時間が過ぎてしまったような、そんな思い違いをしてしまいそうだった。
船室に入って仰向けになると、私は軽く眼を閉じて妄想にふけった。
私はまず、この島に自転車を持ち込みたかった。観光ルートを走るのもいいが、三都半島のひなびた漁村から漁村へとペダルを踏んで行く。まるで大石先生のように。海の景色はいつでも眼の前にひろがっている。自動車はほとんど通らない。出会うのは、お遍路さんだけである。
つぎに私はお遍路姿で歩こうと考えた。八十八カ所の霊場めぐり。巡拝者の団体に供し、年配者の多い同行の人たちと、お遍路宿を泊り歩くことになるに違いない。
毎日の雑踏のなかで、あわただしく生活している私たちに、人間というもの、生きている意味、それから死についてなど、自分の人生を深く考える良い機会を与えてくれることだろう。そんな雰囲気のそなわっている島のように思われるのだった。
背中の皮膚に異常な感触があって、目がさめた。目をつむるまで体に伝わっていたエンジンの振動音が止まっていた。耳障りなはずのその音が止まったことで、かえって目がさめた。
船上に出ると、船は停止していた。すでに甲板では、下船客用の渡しを架ける作業がはじまっていた。
旅のノートに記された、私が青春の一ページである。