【自己紹介】しげのぶ真帆と申します。
高度成長期、真っ只中の頃。
愛媛県八幡浜市で誕生し、すぐさま瀬戸内海を渡り広島県で育ちました。
幼少期のあだ名は「はぶて」、もしくは「はぶてんぼう」。
むくれる、すねるという意味の広島弁です。
きっと自分の感情を持て余し、鬱屈している子どもだったのでしょう。
外遊びや運動は、あまり得意ではありませんでした。児童文学と漫画、テレビで放映される新喜劇や宝塚の舞台中継、放課後の教室のごっこ遊びが、私の土台を築いてくれたように思います。
「文学少女的傾向が強すぎる。要注意!」
通知表に大きな赤字で記載されたのは、小学5年生。学校生活と折り合いが悪く、寝てもさめても空想の世界を漂っているような私を、親も教師もかなり案じていたようです。
けれど卒業前の謝恩会で、コメディ「ロミオとジュリエット」の企画・脚本・演出を担当したことで評価が一変します。
終演後、担任の野村先生が私の手を取り静かに言ったのです。
「私はこの1年間、あなたのことがよくわからなかった。ちゃんと見てあげられなくて、ごめんなさい。ようやく、わかった気がする。あなたはね、この道を行きなさい」
目の前の霧が一気に晴れて、私の行く道に、強烈な光が差し込みました。
「はい!この道を、行きます!!」
はぶてんぼうの私は、おっちょこちょいでもありました。野村先生にこの道がどの道なのかを確認しないまま、勢いだけで18歳の時に上京。
俳優の勝新太郎氏主宰の俳優養成所に入り、数年後には役者ではなく、浜田真実という名を名乗り、東京の銀座・新宿あたりで夜な夜な歌う人になりました。
どうやら道に迷ったらしい私は、結婚し39歳で出産。
同時に精神科のデイケアや子どもシェルターなどで発声指導の仕事を続け、心と身体を発声でケアする、一風変わったボイストレーナーとして活動を続けました。そして、ふと気づくと50代も半ばです。
ある日、唐突に、湧き立つように「物語が書きたい」と思いました。
10代の終り頃から、自分の声や身体を使って表現することを続けて来ましたが、文章を書くこと、物語を創作し表現をすることが、何よりも自分自身を自由にしてくれることに気付きました。
12歳の時に野村先生から手渡された「この道」へのナビゲーションシステムが、ようやくカチっと本道を捉えたような気がしています。
そして今。
評価というご褒美があるなしに関わらず「書きたい」「表現したい」という気持ちは、まったくおさまりません。どうやらこれが、私の持って生まれた本質のようです。「この道を行きなさい」とは、「あなたの道を生きなさい」という意味だったと、今は理解しています。
私は、しげのぶ真帆と名乗るようになり、60代になった今も、浜田真実としげのぶ真帆の間を漂いながら、エッセイや小説を書き続けています。
創作へのエネルギーは、マグマのように私の深い場所でたぎり、時々私の土台を大きく揺るがします。この先、火砕流となって暴走するか、温泉となって人を癒すかは私次第です。
世界が新種のウィルスに息を潜め、戦争や自然災害で心穏やかに過ごすことが厳しい時代に、自発的に「文学婦人的傾向が強すぎる。要注意!」警報を発令して生きる私は、はぶてんぼうから脱した幸せもんとなりました。
どうぞ、末永くよろしくお願い致します。
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