「立太子の礼」と「立皇嗣の礼」それぞれの御言葉を深読みしてみた
「立太子の礼」とは、今上陛下が平成3年2月23日に立太子された際、古式に則り行われた伝統の儀式である。
一方、「立皇嗣の礼」とは、長い皇室の歴史上、一度も行われたことのない前代未聞、異例中の異例、古今未曾有で奇天烈この上ない儀式のことである。
皇嗣は、皇太子と異なり、現時点での皇位継承順位1位を示す暫定的な立場上の呼称であり、次代の即位確定者を指すものではない。従って、皇太子殿下という敬称はあっても、皇嗣殿下などという呼び方は有り得ないのである。次男殿下とか三女殿下とお呼びするようなものだからだ。
昭和天皇ご即位後、現上皇陛下である明仁親王殿下がお生まれになるまでの数年間、皇男子が空位だったため、昭和天皇の弟君である秩父宮雍仁親王が皇嗣のお立場だった。しかし、この時、雍仁皇嗣殿下などと呼ぶ者は誰一人いなかった。当たり前のことである。
けれど現在、宮内庁は、秋篠宮皇嗣殿下、皇嗣妃殿下などという謎の呼称を使っている。(なぜそうなったのかについても述べたいところだが、統一教会に自国民を売った国賊安倍晋三のことを長々書かねばならなくなるので別の機会にしたい)
さて、話を二つの儀式の御言葉のことに戻そう。
①立太子の礼における浩宮殿下の御言葉は、
「立太子宣明の儀が行われ、誠に身の引き締まる思いであります。皇太子としての責務の重大さを思い、力を尽くしてその務めを果たしてまいります」
②立皇嗣の礼における秋篠宮殿下の御言葉は、
「立皇嗣宣明の儀をあげていただき、誠に畏れ多いことでございます。皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」
いくつか同じ言葉が出てくるものの、実はこの二つ、似て非なるものである。まず、出だしからして違う。
①は「~儀が行われ」に対して、②は「~儀をあげていただき」である。②は完全に受け身である。つまり、自ら進んで立皇嗣の礼に臨んだわけではないことが拝察される。
また、次の文言では、①が「身の引き締まる思いであります」に対し、②は「畏れ多いことでございます」となっている。
①は「皇太子になったので気を引き締めてしっかりしなくてはと思った」ということだろう。
②は「儀式をあげていただきましたが、私の身に余ることであり分不相応なことです」という意味になろうか。
さらにその次、①では「責務の重大さを思い」であるが、②は「責務に深く思いを致し」となっている。同じ「思い」の語であるが全く違う。
①は「その責務は重大だと考えている」という自分の思いの発露であるが
②は「その責務のことを深く考える」ということであり、責務の重大性には言及していない。
その次の文言に続けて解釈するならば、
①は「皇太子としての責務は重大なので、力一杯その務めを果たします」と明確に言い切っているのである。一方、
②は「皇嗣という立場のことを深く考えながら務めを果たしていきたいと思います」という一歩も二歩も引いた表現になっている。つまり、皇嗣の責務は重大なので頑張りたいということではなく、皇太子ではない皇嗣と言う立場をきちんと弁えて務めたいと言っているのである。
秋篠宮殿下は以前から、今上陛下とは年齢も近く、次代の天皇に自分が即位するのは現実的でないということを折々に御示しされていた。皇太弟という立場ではなく、傍系である宮号の維持を望まれたことからもそれを拝察できる。
しかしながら、時の政権である安倍晋三は、秋篠宮殿下や上皇今上両陛下の思い、そして、平成17年の有識者会議報告書を完全に無視し、伝統でもない男系継承を続けるための無理難題を天皇陛下はじめ皇族の方々に押し付けたのである。
前代未聞の「立皇嗣の礼」など、秋篠宮殿下はもちろん、今上陛下や上皇陛下もやりたくはなかったはずだ。
それでも、国政に逆らうことが許されない皇室の方々は、統一教会とそのシンパ達により汚染された政府の愚策に唯々諾々と従うしかない。
だから、せめてもの抗拒の思いを御言葉の中に忍ばせたのではないか、と私は思うのだ。
天皇及び皇族の方々には、一般国民が当たり前のように享受している自由がない。皇室に居られる限り御手盛りで出来ることなど皆無と言っていいだろう。生活の全て、否、人生の全てを宮内庁を通じ内閣府 (時の政権) に握られている方々なのである。
そんな、不自由極まりない環境下に在らせられる方々に対し、我々国民の出来ることは、心から感謝申し上げること、そして、件の御言葉や御製、御歌などから御気持ちを忖度し為政者に伝えること、この二つだと考える。
反日反天皇の極左や統一教会等のカルト集団、似非保守派御用専門家擬きなどの妄言に踊らされ、皇室の方々を罵るようなことは厳に慎まなければならないと強く思う。
2024.4.29 昭和の日に 重見 菜心
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