自己紹介② 原体験
「世界中に日本のファンを創る」を目標にしている、と初めての投稿で書きました。
このWhyの部分について大切にしていることでもあるので書き記しておきます。
「世界中に日本のファンを創る」に至った原体験
2010年、20歳の僕は南米エクアドルの首都キトというところに住んでいました。
大学3年生を休学し、病院や孤児院などで当時自分の関心の強かった国際開発ボランティアとしてです。
結論、「自分の人生を通じてこの道に進みたい」と思うことはなく、代わりに価値観に影響を与える体験がありました。
エクアドルの子どもたち
1つは、現地の子どもたちから。
ボランティア活動の多くは対象が子どもでした。
初めて会う時、彼らは僕を"chino"と呼びます。
"chino"は辞書的な意味としては「中国人、中国語」なのですが、アジア人全般を指し、時には侮蔑的な表現も含まれます。確かにナメたニュアンスで言ってくる子がほとんどです。(これは子どもに限った話ではないです。但し、chinoと呼ばれること=差別、と言う人もいますが、議論の余地があるトピックだと思っています)
単語がどうというより言い方がイラっとするので、「僕は日本人だ」と紹介すると、と180度テンションが変わります。
自動車なのか家電なのか「日本=技術があるすごい国」というなんとなくのイメージは持っている子が多いんです。接していたのは貧困や病気でまともな学校教育を受けられていない子も多いのに、です。(あるいは「日本と中国は同じじゃないの?」というのも定番の反応です。まあそれなら仕方ないって思える気もします)
そうすると、続けて「お気に入りの日本の映画あるんだ」と言ってきて、ジャッキー・チェンやブルース・リーを挙げます。定番のジョークなのかと思うほど何度もありました。親も同様です。
ものスゴイことだと思うと同時に、メチャクチャもどかしい気持ちになりました。
世界中の旅人から
2つ目は、世界中の旅人から。
3ヶ月ほど、ホステルに長期滞在していました。当然世界中からのバックパッカーと大勢会います。名前と出身国程度の挨拶から入ることが多いです。
何十人とこの話をしたか分かりませんが、その何気ない会話で「日本行ってみたい!」率は100%でしたが、「日本に行ったことある」率は0%だったんです。
「え?旅好きな人たちなのにそんなことある?」が当時の感想でした。
今考えると、2010年当時の訪日客数は860万人で、2019年比で1/4程度。かつ、大半を占めるアジア系の人と会うことが少なかったのもあったと思いますが、1つ目と同じように日本は知られてない・訪れてないことによって大きな機会損失してる!と思うにはインパクトのある経験でした。
こういった経験から「世界中に日本のファンを創る」に至りました。今でも変わらない想いを持てる何かに出会えたことはとても幸運でした。
帰国後、しばらくして当時まだ「インバウンド」という言葉さえ知られていない中、とあるインバウンドベンチャーに入社し、日本のファンへのキャリアを始めることになります。
長い自己紹介になりましたが、ご一読ありがとうございます。
では、素敵な1日を。
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