続・「時刻表が読めない鉄道ファン」から始まる18きっぷ旅〜三重県を中心に〜
青春18きっぷを使った一人旅をしている。
なお、本記事は続きものであるが、ここから読み始めた人のために、経緯を少し。
今年の8月に神田神保町の「書泉グランデ」にて、私が所属していた大学の鉄道研究会の顧問にばったりお会いしたのが、今回の旅に出るきっかけだった。
顧問の先生と話している中で、時刻表の話になり、「今の鉄研の学生は時刻表が読めない」と嘆いていて、さらに18きっぷの話についても触れられていた。
そのような話をしているうちに、私も18きっぷを使って旅行へ行くことを思い立ち、金券屋で18きっぷの残り3回券を購入して旅へ出ることに。
旅の初日はとりあえず目的地を大阪・難波とだけ決めて出発し、途中三重県を少しかすったり、京都で模型屋を物色するなどいろいろ寄り道しながら、難波に到着した。
1日目について詳しくは下記の記事にて!
2023年9月2日、18きっぷ旅の2日目。
今日は大阪を後にして、三重県の津駅方面を経由し、名古屋まで行く。
ドミトリー宿を朝7時頃にチェックアウトしたのち、まず私が向かったのは大阪の通天閣方面である。
通天閣は泊まっていた宿から歩いて10分くらいのところにあったので、せっかくだから見ていこうと思ったのである。
朝の大通りはとても閑散としていた。
周りを見渡す限り、店はまだ営業していなくて、人気もあまりなかった。。
それと同時に、周辺にはいわゆるチェーン店の類はあまり進出していないのか、個人経営の商店、居酒屋、それから昔ながらの喫茶店が軒を連ねていた。
それらが(まだやっていなかったとはいえ)どこか昭和レトロを想起させてしまうような雰囲気を感じる。
通天閣の前に来た。
こちらもまだ営業時間外だったので、外からその景観を眺めるだけ。
当初、私は通天閣とはもっと大きな感じなのかと想定していた。
実際に行ってみると、意外に小さいではないか!
それでも、この小ささがコンパクトで、意外にこの商店街のアーケードとマッチしているのではないかとも思った。
通天閣のふもとには、王将の駒のモニュメントが建っていた。
キャプションによると、何でもこの地の出身の棋士、坂田三吉を讃えるものらしい。
通天閣をバックに何枚か写真を撮影し、この近くにある恵美須町停留場から阪堺電鉄阪堺線に乗車する。
恵美須町停留場は、以前はもっと立派な駅舎があったそうだが、今は元あったところから少し手前側に移転してしまったようで、注意深く見ていないと見落としてしまいそうだった。
阪堺線は専用の線路を通る区間もあるが、基本的に路面電車である。
東京でいうところの、都電荒川線や東急世田谷線のようなものと考えておけばよかろう。
一両の電車は、住宅と住宅の合間をくぐり抜けて走る。
先頭の走っている光景が見える席に座ったが、めくるめく世界観が変わっていくので見ていて飽きない。
このまま乗っていくのも悪くはないが、JRの駅から離れてしまうので、途中の住吉停留場で天王寺方面に乗り換え。
ここの停留場は、道路の真ん中に位置していて、停止位置が少しマーキングされているだけ、柵で区切られているでもなく、横を自動車が駆け抜けていく有様であった。
まったく何とも野手あふれる停留場だろう、と思うのと同時に、それなりに交通量もあるので、電車を待っている人にとっては危ないんじゃないかと内心思う。
反対側の天王寺行にはすぐに乗り継げた。
こちらは、通勤路線なのか、それなりに混んでいた。
さて、天王寺まで戻ってきた。
ここから、18きっぷを使っていく。
天王寺駅は、通常の通過式のホームの他に、当駅始発の列車が発車する行き止まり式のホームもある。
同様の設備があるところで有名なのは上野駅だろう。
こちらは上野ほどではないが、番線がいくつかあって、かつてのターミナル駅の様相を醸し出していた。
8時45分、大和路快速・加茂行に乗車。
誰かが言ったことだが、関西圏は、都市部を出発して1時間も乗車していると、たちまち民家もまばらになり、山と川とトンネルが連続して、一気に別世界になると。
まさに乗車していると、1時間も経たないうちに住宅地になり、水田や工場が多くなり、さらにトンネルを超えるともう完全に山の中になった。
さらに、古都・奈良も大阪と近く、そのものズバリ法隆寺駅も通り過ぎた。
もっとも法隆寺駅では下車しなかったが、駅から法隆寺までは少し歩くよう。
奈良駅を過ぎ、終着加茂駅に到着。
ここから関西本線をさらに東へ行く。
2両編成の気動車が出発を待っていた。
1日目に乗った車両と基本同じなのだが、こちらは少数ながらクロスシートの部分もあったので、こちらに座る。
休日も手伝ってか、2両編成の列車の乗車率は高い。
持ってきた文庫本を読みつつ、1日目に通った車窓を再び眺めていく。
12時5分、亀山駅に到着。
約15分ほど待って、紀勢本線の普通列車に乗り込む。
乗った列車は出発した時、ガラガラに空いていた。
しかし、津駅の一つ手前の一身田駅に着くなり、制服を着た地元の高校生と思わしき集団が一斉に乗り込んできた。
どうやら始業式か何かがあったようだ。
とにかく、あまりの人の多さで、列車に乗り切れない高校生たちもいた。
彼らは、次の列車が来るまで1時間以上も暑い駅で待っているのだろうか。
少し気の毒。
まるでライブか、野球観戦終了直後の列車内みたいで、熱気がこもって息苦しかったが、5分ほど我慢すると、列車は津駅に到着した。
そして、先ほどの高校生の集団がドッと降りてゆく。
津駅は、全国でも珍しい、ひらがな一文字の駅である。
余談ながら、JR東海側の駅名標は遠目で見ると、疑問符「?」に見えるというネタをどこかで耳にしたことがある。
実際に「?」に見えるので、思わず吹き出してしまった。
当駅は、三重県の県庁所在地である津市の中心駅という。それにしては、駅前は人気が少なく閑散としていた。
中心街は、どうやら駅から少し離れた場所に位置しているようで、駅の周辺には、駅ビルと、地方銀行くらいしか大きな建物はない。
昼ごはんを食べようにも駅付近に、マクドナルドなどの安いファストフード店がなかったので、仕方なく駅改札隣にある吉野家で一番安い牛丼を注文した。
ところで、津市には観光名所として、津城址というものがある。
テレビか何かで、津市をPRするCMがやっていて、津市の観光キャラクター・ゴーちゃんの着ぐるみがこの公園をPRしていた。
その縁で、津城に行ってみることに。
公園は、中心街同様、駅からだいぶ離れていたが、バスを使わず、ひたすら歩いて向かった。
海岸線が近く、潮風が吹いてくるので、東京の狂った暑さほどではない。
それでも結構汗はかいた。
津城址公園に行ってみると、入り口にわずかながらに石垣と、戦後になって復元したという模擬隅櫓がまず目に入る。
この櫓は調べたところによると、もともと建っていた櫓とは別の位置に立っているどころか、完全に復元した櫓ではなく、観光用らしい。
他に公園内には、この地にあったという藩校の正門(入徳門)が移築保存されていた。
しかし、それ以外は特に目立った建物はなく、木々が鬱蒼と茂っていて、あちらこちらにカラスの糞が落ちている有様。
おまけに、私以外付近に全く人の姿はなかった。
みんな暑いからここに来ないのか。
ちなみに公園の裏には、津市役所や裁判所などが所在しているが、うち市役所の垂れ幕によると、この公園は、「続日本100名城」に認定されているようである。
日本100名城かどうかはさておき、私にはまさに「荒城の月」に歌われている城跡のそのものにも見えた。
日没までまだ時間があったので、このまま名古屋駅に戻らず、津から先の鳥羽駅へ向かうことに。
15時31分、参宮線直通の快速みえに乗車。
紀勢本線は遥か先の新宮まで非電化なので、気動車が運行されている。
快速みえも二両編成の気動車だった。
指定席もあるが、一両目の半分しかないため、みんな自由席を利用している。
伊勢志摩エリアは近鉄と競合している。
JRは非電化であるが、近鉄は電化されていて、さらに鳥羽の先の賢島まで線路が伸びている。
したがってシェアの面では、近鉄に軍配が上がっている。
列車は津駅を出発後、しばらく内陸を通るため、畑や田んぼが広がる風景が続くが、多気駅を過ぎ、参宮線に入ってしばらくすると、伊勢湾の入江が見えてくる。
かつて、池の浦シーサイド駅があった場所を過ぎる頃には、海が線路と近接していた。
16時22分、終着の鳥羽駅。
鳥羽駅は立派な作りの駅舎であるのだが、近年の合理化の流れで駅員のいない無人駅になっていた。
その代わりに、駅舎の二階では、昭和の頃から営業していると思わしきお土産屋と近年オープンしたオシャレでオーシャンビューなカフェが営業していた。
このように、二つの対極的な要素が同居しているのも、観光地でよく見られる光景だ。
まるで、タイムマシンか何かで別の時代へ来たような感覚になる。
駅周辺の観光地には、鳥羽水族館や真珠の養殖で有名なミキモト真珠島もある。
しかし、さすがに時間が遅かったので、それらの施設には行けなかった。
再び駅に戻り、乗ってきた列車を折り返す。
列車は来た道を、まるでビデオテープを逆再生するかのように進んで行く。
このまま、快速みえに乗って名古屋へ行ってもいいが、間に伊勢鉄道という第三セクターを挟んでしまう。
伊勢鉄道は18きっぷの適用外なので、別に520円ほど運賃を取られてしまうのである。
そういうわけで、津駅で降り普通亀山行に乗り換え、亀山経由で名古屋へ行く。
関西線の普通列車に乗車する頃には、もうすっかり日が落ちて、真っ暗になった。
窓の外は建物や工場の灯りくらいしか見えないので、また文庫本を開く。
ちなみに文庫本は、鉄道関連で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(新潮文庫)を読んでいた。
名古屋駅には20時30分に到着した。
特にカプセルホテル等を予約していなかったので、名古屋市の栄エリアにあるネットカフェへ歩いて向かう。
栄は、有数の歓楽街であることも知らないで行ってしまったので、そのせいで飲んだくれて酔っ払った若者が、路上でどんちゃん騒ぎを繰り返している光景を見てしまい、正直たまげてしまった。
同時に、どこか殺気じみたものも感じてしまったので、そそくさとネットカフェに入った。
幸い、マット席が最後の一部屋空いていたので、すぐに入ることができた。
ただし、鍵付きの完全個室ではないので、あまりよく眠れなかったが。
そんなわけで、旅の2日目が終了した。
この日はとにかく、いろんなところへ行けた。
大阪で路面電車に乗り、そのまま乗り継いで三重県まで。
さらに足を伸ばして、鳥羽まで行けた。
今回時間がなかったので、鳥羽観光は割愛してしまったが、伊勢志摩の一部だけに、次回またチャレンジしてみようと思う。
もっとも、18きっぷは使えないが、近鉄特急のしまかぜに乗車してみたいとも考えている。
それも含めて、伊勢志摩方面に行ったら、またnoteに投稿するつもりだ。
(↓3日目へ続く↓)
(↓1日目の記事↓)