たどりついた金曜日
「みなさま、よくぞ、よくぞ、金曜日までたどり着きました。」
ことごとく自分の意思と逆方向に巻いてくる潮に翻弄され、無抵抗のまま、途中からは意識を失い、気が付くと金曜の夕方に漂着する。
冒頭の文言は、ジェーン・スーと堀井美香、2人のパーソナリティによって毎週金曜に配信されるポッドキャスト番組の冒頭で繰り出す定型文。この魔法の言葉で私はようやく我に帰る。昨年の後半は、本当に、こんな精神状態で日常を送っていた。私は紛れもなく互助会員(この番組のリスナーのことをそう呼ぶ)であり、言葉の意味的には被助会員であった。私の場合は、誰も助けてはおらず、この番組に助けられてばかりだったのだ。オーバーザサンという番組名からも、オジサンではなくオバサンメインでターゲティングされていることは重々理解している。でも、私は、この番組にひどく共感を覚える。トークの8割くらいはほぼ記憶に残らないし、聴き流してしまったからといって、再度聴き直すこともしない。ただ、軽妙洒脱なトークの応酬が心地よく、それなのに、若者にありがちなカタチを取り繕う嘘が見当たらない、そこがホッとさせてくれる。二人も圧倒的なホームを感じているから互助会員に甘えた油断しまくりのトークもある。そこはまさに互助精神で、許しあう。ここは互助会員たちの自由解放区なのだ。女だらけの解放区に、少なくともここに一人のハゲたおじさんもいる。二人がもし20代だったら、きっと共感する前に嫉妬してしまうだろうが、そこは同世代、手放しで受け入れる。
ふざけたトークが満載の番組の中で、際立った超シリアス回(確か昨年末くらいの配信回)が印象的だった。1997年に起こった「東電OL殺人事件」を扱った回。わざわざ配信の数週間前から「シリアスな話が苦手な人は聴かないで」と告知をしてまで、なぜこの事件を、この事件だけを特別視したのか。事件についての概要は端折らせていただくが、この事件には「女性が社会で生きるということ」の本質的な問題と切り離して考えることのできない、社会と女性のある種普遍性を感じさせる何かがある。「この女性は、私だったかもしれない。」番組の中でジェーン・スーは何度も、そう口にした。LGBTQを好い加減に十把一絡げにして多様性の尊重をすれば平等社会の出来上がり、といえるほど世の中は単純に出来てはいない。そういう、「嘘くさい正義(ポリコレという言葉に置き換えてもよい)」へのアンチテーゼとして、この事件を扱ったのかもしれないし、「OL」というある意味蔑称のついた事件名でレッテルを貼られ死後もなお蔑まれ疎まれる一人の女性を成仏させたかったのかもしれない。この事件の解釈について、二人のパーソナリティは、真摯にこの事件に向き合い、用心深く、慎重にこの事件を扱い、そして、その解釈のすべてを互助会員に委ねた。おそらく、番組とリスナーとの信頼関係がない限り、このテーマを扱うことはできない。
最近は、互助会員を外に連れ出すリアルイベントも開催されるようになって盛り上がりを見せる中、このようなシリアス回も、私は密かに期待している。