大人の炊き込みごはん
わが家では、五目ごはんのことをいろご(色のついたごはん→色ごはん→いろご)と呼んでいた。子どもたちが小さかった頃は、頻繁に(週に一度くらいは)食卓に上った。このいろごという言葉は、家庭だけで使っていた特別な「ごはんことば」だったが、子どもは気がつかないで、人前でも使ってしまう。長男が小学2,3年だったろうか、好きな食べ物を先生に聞かれ「いろご!」と答えたらしく、その日の夕方、長男がプンプンに怒って帰ってきたことを楽しそうに妻が話していたことを思い出す。
出汁、醤油、みりん、酒で調味された味のついた五目ごはんは、ずっと大好きではあるものの、歳を重ねて、同じ炊き込みごはんでも、よりシンプルなものを求めるようになった。素材と塩だけ。素材の持つポテンシャルを最大限に引き出す料理として、このシンプル炊き込みごはんは秀逸なのだと、少しずつ認識するようになった。さつまいもごはん、栗ごはん、豆ごはん。どれも美味しい。
そして、先日、生の落花生「おおまさり」を妻がメルカリで購入。外皮を剥いて、薄い桃色の薄皮そのまま土鍋に入れて、塩をひとつまみして、強火で炊き上げる。
シンプルな料理ほど、その丁寧さが求められる。丁寧な生き方と程遠い私の生活でも、米を食べる時だけは、そこそこのこだわりがある。美味しんぼの京極先生のようなコメントを独りごつ。
「この飯のツヤツヤとした輝きはどうや、まるで宝石のようやないか…、そして一粒一粒が立っとる…、しかも粒の大きさが全部そろうとるで…。」(京極先生まるパクリ)
「この落花生の香り。優しく香るのは、土の匂いの混じった鼻をくすぐるナッツの香り…、米にもほんのりその香りが乗っとるで…。うんうん、これは水と塩がいい役割を果たしとる。素材の味を素直に引き出す軟水と、釜炊きの塩じゃなければこうはならん…。」(完全オリジナル)
本当に美味しかった。シンプルに、あとは味噌汁だけでよい。おかずはいらない。この日、私は一人で2合の生落花生ごはんを平らげた。秋はいろご。そのいろごの色は年々薄くなり、洗練されていく。