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千尋の谷
親ライオンは子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきたものだけを育てるらしい。それが本当なら親ライオンはやべぇヤツなのだが、よく調べると、風評被害らしい。ライオンもあのタテガミ、怖そうな風貌のために勝手にそんな定説を作られて、いい迷惑だろう。
子を厳しく育てるのは、かつては父親の役割だった。江戸時代の封建制にはじまり明治から昭和まで続く家父長制は、フェミニストに言わせれば女性が権利を奪われ虐げられた暗黒時代だったのかもしれないが、見方を変えれば、家族の役割が明確化され、社会の維持繁栄の観点から、その最小単位としての家族がしっかりと秩序だてられ機能していた時代とも考えられる。
アメリカに占領された後にカタチ上の独立を果たしたサンフランシスコ講和条約以降も現在にいたるまで、日本の学校教育は見事な自虐史観で日本人のマインドセットを続けている。ほら、私も今マインドセットってワードを無意識に使ってしまった。日本教育の進化なのか崩壊なのかは、人によって受け止め方は大きく異なる。私は崩壊だと思う。
その崩壊した教育体系の中、多くの家庭で「父親の威厳」というものが失われていった。その成れの果てとして、我が家がある。家父長制の対極。5人家族の中で最も背が低く、ヒエラルキーの最下層にあるのが父親、つまり私なのだった。
三男が産まれる以前、長男と次男の幼少期は叱りつけることもあったが、次男から5歳離れた末っ子に対しては、生まれてから今に至る約20年間、一度も叱ったことがない。ミスターイエスマンとして甘やかし続けている。そのせいもあり、家族全員から舐められているのだが、つい先日、仙台に住む三男からSOSの連絡が入った。何事かと思ったら、彼の電動自転車が壊れたというのだ。昨年、私が東京生活のために購入したものだったが、ネット購入した中国製のもので、何度か故障した上にアフター対応の体制が弱すぎて、不安な自転車ではあった。北海道の生活に電動自転車は必要なかったし、坂道の多い仙台には電動がよいだろうと思い、この春からは三男が使っていた。
結局、三男は周りの友人たちがそうであるように、スクーターに乗ることにしたようだった。彼はずる賢い。どんなスクーターが良いか、LINEで私にいろいろと相談をしてきた。普段LINEなど滅多にしてこないのに。あれがいい、これがいいと、多分2.30回くらいのLINEの応酬があった。相談してくるスクーターは新品ではない。ジモティーからピックアップしてくる。中古で5.6万円というお手頃価格。それが可愛い。
威厳ある父親であれば「うむ、交通事故に用心するべし!! 」と突き放し、千尋の谷に突き落とすところだろう。結局、それができない。いつまで振り込めばいい?と返信した自分が情けなく、そんな自虐史観で昨日のやりとりを振り返った。