ツクヨミは忘れられるし、神様は結局すけべなんだなと思った話
漫画版の古事記を読んでから、もう少し詳しく古事記について知りたいなと思ったので『NHK「100分 de 名著」ブックス 古事記』を読みました。
面白いと思ったことをダラダラ書いていきます。
お時間あればぜひ最後までお読みください。
古事記は国家権力を確立させるためのものではなかった!?
政治的に利用された古事記
古事記は、「天皇が自分の支配の正統性を確立させるために作成した歴史書である」という印象があるのではないでしょうか。
実際、僕もこの本を読むまではそのイメージがありました。
そのようなイメージが広がった原因として、近代国家が天皇制をヨイショ(賛美)するために、古事記と日本書紀を混ぜ合わせて創作した神話を教科書に載せたという政治的な要因があります。
この件から、古事記は天皇が正統性を高めるための歴史書であるという認識が国民全体に広まってしまいました。
教科書に天皇がいかに正統であるかを示す神話が載っててその出典が古事記・日本書紀だったら、古事記と日本書紀は天皇が正統性を示すために作られたものなんだなて思っちゃいますよね。
"目的"と矛盾する古事記
古事記を「天皇が正統性を示すための歴史書」だとすると、以下のような古事記の内容が目的と矛盾してしまいます。
正統であるはずの天皇が悪役になっているところがいくつもある
天皇の支配に屈した敗者の心情を同情的に描いている
これらは、「いや、天皇悪者やん、支配された方可哀想」みたいな感情を呼び起こしかねず、正統性を主張する際に不利に働くと考えられます。
もし僕が、正統性を主張するために作らせるのであれば、絶対に天皇が悪者にならないように編集しますね。
このように、古事記を「天皇の正統性を示すための歴史書」と考えてしまうと内容が目的と矛盾してしまうのです。
古事記の読み方
古事記は「天皇の正統性を示すための歴史書ではない」ということを書いてきました。
では、古事記はどのようなものとして読むべきなのでしょうか。
古事記の読み方として筆者は以下のように述べています。
また、古事記には数多くの神話が収録されていますが、その神話について
と述べています。
つまり、古事記は「古代の人々の世界に対する感覚を感じられるとっても面白い物語」と言えそうです。
天皇とか、権力とかは、一旦忘れて、純粋な心で古事記を物語として楽しむことで、単純な物語としての楽しさ以外にも当時の人々の暮らしや、世界に対する考え方や感覚などを感じ取れるのではないでしょうか。
まっさらな心でレッツリーディング古事記
なぜツクヨミは忘れられたのか
古事記において、ツクヨミは忘れ去られます。
ツクヨミの影が薄すぎる
漫画版の古事記を読んだ時から不思議に思っていたことがあります。
それは「ツクヨミ、影薄すぎじゃない?」です。
ツクヨミの登場シーンはツクヨミが生み出されたシーンのみで、そこからツクヨミの登場は一切ありません。
あのツクヨミですよ!?結構びっくりじゃないですか?
ツクヨミは、イザナキが黄泉の帰りに穢れを落とした際に、アマテラス・スサノヲと共に生まれた神です。アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三姉妹は、神の中でも特にえらいので「三貴子」と呼ばれています。
この3人の神の名前は日本人ならば必ず名前を聞いたことはあると思います。
三貴子の中で、アマテラスとスサノヲはどんどん登場してきて、神代の神話の中心的な役割を担っています。
しかし、アマテラス・スサノヲと同格な神様であるはずのツクヨミの出番が全くないのです。
ツクヨミの話がいつ出てくるのかなと思いながら、古事記を読み進めてたら神話の時代が終わってしまっていました。
ツクヨミ影薄すぎです。
ツクヨミが忘れられた理由は古事記の伝承方法にあり
ツクヨミが忘れられた理由は、古事記が「語り」によって伝承されていたからだと考えられています。
文字と違って、音声で伝える伝承では、扱い切れる情報量に限りがあります。一回の電話で覚え切れる情報量には限りありますよね。
登場人物を、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの3人にしてしまうと、情報量が多くなりすぎてしまうのです。
登場人物が2人から3人に変わるとどれくらい情報量が増えるのでしょうか。
簡単のために、二者間の関係が「友好」か「敵対」の2種類だと仮定して考えてみます。
登場人物が2人:関係のパターンは「友好」か「敵対」の2通り
登場人物が3人:関係のパターンは、AとB、BとC、CとAがそれぞれ「友好」か「敵対」かの 2x2x2 = 8 通り
二者間の関係を「友好」「敵対」の二つに絞っても、登場人物が1人増えるだけで関係のパターンが4倍になってしまっています。
二者間の関係としては「友好」「敵対」の二つ以外にもさらに考えられるので、登場人物を3人にしてしまうと情報量が非常に増えてしまうことが想像できます。
このように、口伝という、伝承方法の制約のせいでツクヨミは忘れられてしまったのです。
なぜ、忘れられるのに登場させられるのか
ツクヨミが忘れられるのは音声による伝承の情報量の制約のせいだということがわかりました。
では、なぜ、ツクヨミを登場させたのでしょうか。どうせ情報量オーバーで伝えられないのなら最初から登場させる必要などあったのでしょうか。
ツクヨミが登場した理由、それは
「ツクヨミが重要だから」です。
「は?重要ならもっと登場させろよ」ですよね。僕もそう思います。
ツクヨミが重要であるという根拠は、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲの「3」人で登場しているからです。
重要だから、「3」なのか、「3」だから重要なのかはわからないですが、古事記において、重要な人やものが登場する時の数はたいてい「3」なのです。
世界を作った創世の神様も3人、天皇が受け継ぐ宝物は三種の神器などなど、古事記では、重要な人、ものは「3」で登場します。
ということは、そう、ツクヨミ以外にも「重要だから登場させられたけど、その後一回も出てこない」という被害者はまだまだいるということです。
3人の創世の神様の中の「アメノミナカヌシ(天之御中主)」もその被害者の1人です。
天之御中主は「天の真ん中にいる偉い神様」という、いかにも最高神みたいな名前なのに初回の登場以降一回も登場しません。かわいそうです。
一番偉い神様が忘れられているということは、「3」のうち忘れられているのは意外とその中でもっとも偉くて、重要な存在なのかもしれないな、なんて思いました。
ツクヨミは三貴子の中で一番偉いのかもしれませんね。
重要だけど、忘れられていく存在が古事記にはたくさんあることを学べました。いつか、忘れられた重要人物・重要物特集やってみたいです。
話に込められた寓意に気づくとさらに面白い!
古事記は、単純に物語としてとても面白いです。加えて、物語に投影されている当時の状況や、文化的な意味などを気づくとさらに、物語が奥深く面白くなります。
ここからは、いくつかの物語とそれに込められた寓意について紹介していきます。
スサノヲのヤマタノオロチ討伐
スサノヲがヤマタノオロチを倒して、生贄となるはずだったクシナダヒメと結ばれるというお話です。
この話には「暴れ川を人の知恵によって治水し、その水を利用して水田稲作が始まった」という寓意が込められています。
対応関係は次のようになります。
「暴れ川」=「ヤマタノオロチ」
ヤマタノオロチはこの話の舞台となっている出雲に流れる暴れ川イメージ重なります。この川は、度々氾濫して、多くの人々の命を奪い自然の脅威として恐れられていました。
「人の知恵」=「スサノヲ」
スサノヲは、非常に濃い酒でヤマタノオロチを酔っぱらわせてから討伐するという作戦を立てて、ヤマタノオロチを討伐しています。
「治水」=「ヤマタノオロチ討伐」
ヤマタノオロチを倒すということは、自然の脅威である暴れ川の治水に成功したということを指しています。
「水田稲作」=「スサノヲとクシナダヒメの結婚」
クシナダヒメは稲作の神です。稲作の神様と五穀の種をもつスサノヲが結ばれるということで、稲作の始まりを示しています。
自然の恐ろしさと、どんなに恐ろしいものでも知恵を絞れば脅威から転じて恵みにすることができるという当時の人の教訓が込められているなあと感じました。
稲羽のシロウサギ
稲羽のシロウサギには、「サメ」「シロウサギ」「オホナムヂ(後のオオクニヌシ)」「オホナムヂの兄弟」が登場します。
物語の流れは、次のようになります。
まず、シロウサギがサメにいたずらを仕掛けます。このいたずらの報復でシロウサギは皮を剥ぎ取られてしまいました。
そこに、性根の悪いオホナムヂの兄弟たちが通りかかり「海水を浴びて、風が強い山の尾根で寝そべってれば治るよ」という嘘のアドバイスをシロウサギに伝えます。最低ですね。
そのアドバイスを実行してしまったシロウサギは余計傷が酷くなり、道端で泣いていました。
そこに、通りかかったオホナムヂは「真水で体をよく洗って、河辺に生えている蒲の穂を撒き散らしたところで身をおいておくと傷は治る」という治療法を教えてやります。
シロウサギは、オホナムヂに教わった通りにすると傷がすっかり良くなりました。恩を感じたシロウサギは後に、オホナムヂを助ける存在となります。
この物語からどよのようなことがわかるでしょうか。
最初に読んだとき、
「優しい心を持った人物が動物を助けて、動物の恩返しによって動物を助けた人は得をする」
という、よくある話だなと思っていました。
しかし、稲羽のシロウサギの話はそれだけにとどまりません。
この話で重要な点は「オホナムヂがシロウサギに正しい治療法を教えることができた」ということです。
正しい治療法を教えることができるということは、オホナムヂが医療の知識を持っているということになります。この時代において、医療の知識を持っていることは王の資格の一つでした。
この話は、オホナムヂの優しさだけでなく、王の資格も持っているということも表しているのです。
この後、オホナムヂが出雲の王であるオオクニヌシへと成長する伏線がこの時点で張られているのです。
古代の考察班がいたら、「古事記の衝撃的伏線第5選!!」には選ばれていたと思います。
スサノヲは幼稚園児
古事記を読むと、神様に対するイメージを覆されることが多くあります。その中で最も僕が衝撃を受けたスサノヲについて紹介していきたいと思います。
スサノヲに対してどのようなイメージがあるでしょうか。
スサノヲはアマテラス・ツクヨミに並んで三貴子の1人であり、ヤマタノオロチを討伐した人物でもあります。
このことから、神威が凄まじく武勇にも優れている超偉い神様みたいなイメージを持っている人が多いではないでしょうか。
そんなイメージを持っていた時代が私にもありました。
しかし、古事記を読んでみると、全くそんなことはありません。
一言で言えば「幼稚園児」です。
そんなスサノヲの幼稚園児エピソードを紹介していきます。
ママに会いたくなり、大地がボロボロになるまで泣き叫ぶ
スサノヲは、イザナキから誕生したときに海原の統治を任されます。
しかし、スサノヲは「ママに会いたい!!」と泣き喚き続きます。
スサノヲが泣き喚き続けた結果、山や海の水は枯れ上がって地上は無茶苦茶な状態になります。
統治者がそんな状態なので、悪しき神たちが活発に行動して、各地に災いが降りかかりました。
スサノヲは統治者を任されたにも関わらず、自分の「母親に会いたい」というわがままを抑えきれず、泣き喚き、結果として大地をボロボロにしてしまったのです。
精神が十分成長しておらず、自分のことしか考えられない精神的未熟さが伺えます。
幼稚園児が総理大臣になったらそりゃ国は無茶苦茶になりますよね。
愛嬌で意外と優しい世界が誕生するかもしれませんが。
勝手に勝利宣言
大地をボロボロにしたスサノヲは統治者を辞めさせられて、追放されることになります。当然と言えば当然ですね。
スサノヲは追放される前に姉であるアマテラスに挨拶に行くことを思い付き、アマテラスが住む高天の原(天上世界)にズンズン進んでいきます。
天上世界に向かってくるスサノヲを見て、アマテラスは、「スサノヲが高天の原を乗っ取りに来た」と、スサノヲを警戒します。
地上の世界をボロボロにしたんですから、当然の警戒といえます。
スサノヲが高天の原を乗っ取る気が無い、ということを証明するために、アマテラスとスサノヲは占いを行うことにします。
占いの方法としてそれぞれの持ち物から神様を生み出すことにしました。
占いの結果、スサノヲの持ち物からは3人の女神が生まれ、アマテラスの持ち物からは5人の男神が生まれました。
すると、スサノヲは「心優しき女神を生んだから、私には邪心がない。私の勝ちだ。」と一方的に、勝利宣言をしてしまいます。
占いの結果をどのように判断するかを占いの前に決定していなかった点はアマテラスにも落ち度があるとは思います。
しかし、アマテラスの持ち物から生まれた神の中に
正"勝"吾"勝""勝"速日天之忍穂耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
という名前の神がいます。
明らかに、この神を生み出した方が勝ってそうですよね。名前に3つも「勝」が入ってるんですもの。
スサノヲは「自分論理」で自分の都合の良いように勝敗を決めつけ、宣言してしまうのです。
調子に乗って高天の原でムチャクチャする
占いに"勝った"スサノヲは調子に乗って高天の原で大暴れします。
どれくらい大暴れしたかというと
やばすぎじゃ無いですか?
馬の生皮剥いで、それを小屋に投げ込んで、殺人を犯しています。
そもそも、占いはスサノヲの潔白の証明するものであったはずです。勝って調子に乗る意味がわかりません。
なぜスサノヲを幼稚園児にしたのか
こんなにも幼稚な行動を取るスサノヲも三貴子の1人でとっても偉い神様です。
そんな偉い神様にわざわざ幼稚園児のような精神的未熟さを持たせているのには何か理由がありそうです。
「精神的に成熟していないものに強力な力を与えると、悲惨な結果を招く」
という教訓を示してるんじゃ無いかなと個人的には思いました。
リーダーがめちゃくちゃだったら、その共同体は滅びますから、統治者を選ぶというのは古代においても、とっても重大なイベントだったと考えられます。
そんな重大イベントにおける教訓は確実に伝承する必要があります。
そこで、神話の中でも非常に目立つポジションに幼稚な神を配置して確実に後世に伝えていけるようにしたのかなと想像します。
スサノヲのイメージがガラリと変わったのでは無いでしょうか。
スサノヲ以外にも、一般的なイメージとは異なる神様が古事記には登場してくるのでぜひ古事記を読んでみて欲しいです。
神様も結局すけべ
スサノヲの高天の原で大暴れに怯えてしまったアマテラスは、岩屋に引き篭もってしまいました。
アマテラスは太陽の神ですから、アマテラスが引きこもってから世界は闇に包まれてしまいます。
困った神々はなんとかしてアマテラスを岩屋から引っ張り出そうとします。
そこで、作戦の責任者に選ばれたのは、オモヒカネ(思金)という知恵の神様です。
オモイカネの作戦は「岩屋の外で"大騒ぎ"して、アマテラスが外の様子が気になって少し覗いたところを強引に引っ張り出す」というものでした。
引きこもってしまったアマテラスが気になるほどの「大騒ぎ」です。並大抵のことではいけません。知恵の神、オモイカネはどのような作戦を実行したのでしょうか。
それは、「ほとんど裸の女性の踊りを八百万の神がみに見せる」というものでした。
その女性を見た八百万の神たちは喜んで、「闇に覆われた高天の原もどよめくばかりの大声に包まれ」て世界一の大騒ぎになりました。
それを何事かと思って外を覗いたアマテラスを引っ張り出し、作戦は成功したのです。
神様もすけべなんです。人間をや。
おわり
漫画版古事記を読んで、腑に落ちていなかった箇所が、この本を読んで解消されたのが良かったです。
特に、「忘れられるツクヨミ」についてはだいぶスッキリしました。
この本は、古事記の物語としての面白さというよりも、古事記の構造や物語の元ネタ、内容から古代の人の感覚を読み解いていきます。
なので、漫画版の古事記など、ひと通り物語を楽しんでからこの本を読むのがおすすめです。
今回紹介したもの以外にも、さまざまな点が指摘されているのでぜひ読んでみてください。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!