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「モネのあしあと」と心に残る風景
故郷の雪景色をモネの絵に見る
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モネがこの時期に住んでいたノルマンディー地方のエトルトという町で描かれた雪景色の絵。木枠にとまる黒いカササギがポツンと目立っている。
モネがまだ20代のときに描いた珍しい冬景色の絵。私はこの絵が大変お気に入りで引き込まれそうなほど愛着を感じる。なぜなら北海道の片田舎出身の私にとってまさにこの絵は故郷の冬の風景だから。
雪がしんしんと降った翌朝、冬の晴天の日の太陽の光が雪の表面を真っ白に照らし、その反射の眩しさに目を細めながら、長靴でひたすら学校へ向かって歩いている幼少の自分を見ているような感覚におちいる。
通学の途中には、絵の右にドンと構える大きな農機具などの用具小屋があり、その屋根には真っ白な真綿で編んだような分厚い雪が乗っかっており、眩しい光の反射を放っていた。木の枝には白い綿アメのように雪がまとわりつき、静かな風にヒラヒラとなびいて宙を舞う。降り積もった雪の上に朝一番で歩いた人の足跡が刻まれている。まったく正に私が18歳まで毎冬見ていた片田舎の晴れた日の冬の風景である。
アート作家である原田マハのエッセイ。とても素敵な表紙でついつい見入ってしまう。私の好きな「かささぎ」はモネの代表作である「睡蓮」や「積み藁」「ルーアン大聖堂」などのように取り上げられることは少ない。原田氏のこの本にも書かれていない。1869年作であるから、かの有名な「印象 日の出」より数年前に描かれた作品である。
「かささぎ」はそのタイトルにある鳥の存在もさることながら、眩しい太陽の光を反射する白い雪の存在感がぐっと私にせまり、郷愁を誘うのである。本当に見たものをそのまま現実的に描いており、印象派的な作品のはしりではないかと思う。
もう一つ私の好きなモネの作品が(モネの作品は全部好きである。その中からあえてお気に入りを選ぶのは大変^^;)、「ラ・ジャポネーゼ」である。10年くらい前に世田谷美術館でモネ展が開催され、この絵を見たような記憶があるが、場所は世田谷ではなかったかもしれない(最近はとみに記憶悪し)。しかし、2016年に短期留学中の大学生だった長女を訪ねてボストンを訪れた際に、ボストン美術館にて私は「ラ・ジャポネーゼ」を見ている。しかし、うっかり写真の角度が悪く、このような写真しか残っていない。
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モネの日本画に対する収集は知られるところだが、愛妻カミーユをモデルに、とても可愛いらしい笑顔と着物に浮き出るように描かれたサムライのいかつい表情が何ともユーモラスなコントラストとなっている。扇子を片手に持ち、サイズの合わない鮮やかな赤色の着物をまとった金髪の西洋美人が日本の舞を踊っているようである。
初めて海外の美術館に赴いたが、驚いたのは著名な絵画がすぐ目の前にあり、簡単に写真に写せること。日本の美術館ではあり得ないことだ。
ボストンのあとに寄ったニューヨークのメトロポリタン美術館でも全く同じ。とても絵画が身近に感じられる。
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「モネのあしあと」によると、モネの作品のパトロンであったオシュデ氏が事業の失敗により破産し、モネの家へ家族5人が同居することになる。しかし、そのオシュデ氏は家族を残してモネ宅から失踪、アリス夫人と3人の娘が残される。当時、モネも貧しく生活が苦しいとき。しかし、それを全く感じさせず家族同様に暮らした。モネの懐の深さを感じる。
モネが終の棲家としたジヴェルニーの家にもオシュデ一家と一緒に移る。
そこで永遠の名作「睡蓮」の制作が始まるのである。
ジヴェルニーでのモネの制作の様子は、同じく原田氏の「ジヴェルニーの食卓」にくわしい。オシュデ家の次女であるブランシュの目を通して語られる。後年モネはオシュデ夫人であったアリスと結婚する。先妻のカミーユが亡くなって13年後である。アリスの次女ブランシュはモネの義理の娘となり、小説で語られるようにジヴェルニーではモネの絵の制作に必ずお供をし、世話をしていた。その中で絵を覚え、またモネから教わり、彼女も絵を残している。ジヴェルニーでの食卓の風景は実に印象的である。
原田氏は、モネの「睡蓮の間」のあるオランジュリー美術館を訪問するなら、朝一番を勧める。なぜなら現在のオランジュリー美術館は天井から自然光が入るようになっており、朝の光のもとで大睡蓮画を見ることができるからであると。それを想像するだけで、暖かなジヴェルニーの光がモネの睡蓮を照らしている様子が目に浮かぶ。
いつか現役を引退したら、家内とフランスを訪問し、のんびりと美術館を訪ねたいと夢見ている。「モネのあしあと」は将来の訪問ルートを私に示してくれている。もしフランスへ行けたら、先日のゴッホのあしあとも訪ねなければならず、のんびりどころか、忙しい年寄りの旅になるかもしれない。
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