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【僕の本音:明日Nziuを離れる】

いつも

・ネガティブではなく
・中立な立場で

発信するようにしているけれど、
今回だけは、

・僕の感情を全面に

出させてください。


◯「しんどかった」 Nziu生活◯

先週金曜日に配属先で、1時間20分くらいかかった最終報告が終わり(笑)、
ついに明日、僕の任地である Nziu を離れる。

*最終報告の件は後ほど書くので、興味のある方は最後までお読みください。笑

Nziu 生活を一言で言うと、

「しんどかった」

につきる。正直、

「ようやく終える」

気持ちの方が強い。

◯家に「水道」がない◯

赴任したのは2023年3月。
家に「水道」が通ってないことから、

・シャワーはなし。2年間お湯浴び確定。
・家のトイレ使えない。外にある共有ボットントイレの使用確定。

日本でぬるい生活をしてきた僕には、これが本当にしんどかった。

今って2023年で、同じ時を過ごしているんだよね?

と何度思ったことか。
でも、「水・電気不安定」とみて、ンジウを第一候補にしたのは自分自身。応募前は自分がどこまで過酷な生活ができるのか試したかったから。

◯生活するだけで気持ちの体力が削られた◯

赴任してから初めの6ヶ月は、とにかく生活に慣れるのに気持ちの体力が奪われた。

・お湯浴びするためのベストな水とお湯の割り方の模索。
・家がトタン屋根なため、真夜中の土砂降りが大騒音になり起こされる。
・3日経っても戻ってこない電気。
・朝5時くらいから家事を始める隣人たち。時には爆音を流して歌いながら家事をする。
・朝6時くらいから遊び叫びまくる子どもたち。
・「お子たちかわいい!」と思って遊びすぎると、一人の時間を確保したい時でも玄関をボコボコ叩いてきて、「遊ぼう」と言ってくる。(お子たちはかわいいのだけれど)
・玄関ボコボコに反応しないと、玄関の隙間から色々と入れてくる。(これはJICAのセキュリティ的にアウトだったと思う)
・日曜の朝、家の近くにある教会の爆音音楽。
・平日夜22時に叫び散らかしている教会。(これはブチギレて、教会に足を運んだ。「イエスは人に迷惑をかけることをあなたたちに教えたのか!」と伝えた。その翌週から夜の教会はなくなった。笑 ちなみにこれだけ3ヶ月前くらいの話。)
・ンジウで井戸水が取れず雨水もなくて、本当に水がなくなった1週間。その時に「俺に任せろ!」と知らないケニアンが汲んできた「白く濁った水」を同僚と「これは安全だ」と信じて食器洗いなどに使った結果、翌週同僚と二人で一緒にお腹を壊した。僕は39度の発熱もした。
・このお腹が痛い時期の真夜中にトイレに行きたくても、必ず一度家の外に出なければならないシンドサ。あの時は、夜中に5回くらい外のトイレに行った。

◯しんどかった本当の理由◯

赴任して6ヶ月辺りからは

・自分はこの生活シンドイと思っているけど、周りのケニアンは楽しそうに過ごしてる、、、
・自分でンジウを第一志望にしたくせに、なんで弱気になってるんだ、、、
・「住」が整っていないと、僕は自分のパフォーマンスを仕事で発揮できないんだ、、、

と感じてた。
特に最初の6ヶ月は継続して活動を行いたいのに、体調を崩して活動を休んでばかりだった。

「頑張ろうと思ってきたのに、何しているんだろう、自分」と凹むことが多かった。

また、僕がしんどかったもう一つの理由は
(読者の皆様、お気を悪くされたらごめんなさい)

「僕と同じ生活レベルをしている隊員がケニアにはおらず、誰にもこの葛藤を共有できなかった」

ことだと、最近思う。
(その当時は感じていなかった)

もちろん当時も今も、たくさん仲間たちには話を聞いてもらって、たくさん支えて頂いた。みんな素敵で、優しい人たち。
でもやっぱりどこかで全てを話すことに遠慮している自分もいた。

◯Nziuならではの人の温かさに支えられた◯

いろんな感情を抱えながら、この2年間、ンジウにいた。
活動先で大きなインパクトや成果が出たかどうかは置いといて。
(先輩隊員たちが仰っていた、「いるだけで十分すごいから」という言葉は心の支えだった)

ンジウで生活して、自分と向き合う時間が増えて、自分の弱さに気付くことができた。
「もう一回ンジウに派遣」を提案されても、僕は断るけど(笑)、本当に多くのことを学ばさせてもらった。
僕が2年間ここにいることができたのは、ンジウにいるケニアの方々がいつも僕を気にかけてくれたから。

「ご飯食べてる?バナナ持っていきなさい!タダでいいから!」
「元気かー!アボカドでも持っていけ!」
「車乗って行くか?お金なんていらないぞ!」

ケニアに住んでいると地域によってはお金を騙し取られたりする。
でもンジウの人たちは一度もそういうことをしてこなかった。
むしろ無償の愛をたくさんくださった。

◯2年間相棒だったChegeさん◯

まさかここに書かれているなんて知らないであろう、学校の同僚でもあり、生活全般の面倒をみてくれていた スーパーChegeさん。笑
彼がいなかったら、絶対Nziuで2年間やりきれなかった。
これだけは断言することができるくらい、本当にいつも良い距離感で僕の葛藤を受け止め、見守ってくれた。
初めて風邪を引いた時も、わざわざ家に来て料理を作ってくれた。
彼には感謝してもしきれない。本当に。
こんなところに書いても読まないと思うけど笑、

本当にありがとう。

(ちゃんと直接伝えてきます笑)

この2年間、ンジウで頂いたたくさんの愛を今後の人生でいろんな方々に還元していきたい。


◯1時間半の最終報告。気合い入りまくり◯

1時間半に迫る最終報告
本来は自分の活動を報告する場。
でもどうしても伝えたい

・学習理論
・授業設計の方法
・Neurodiversity の子たちへのサポート

などがあり、最終報告というよりかは、

・教員研修

を行なった。
途中、同僚の教員にクイズを出したり、グループワークをしてもらってグループごとに発表してもらったり。
そんなこんなしていると、1時間半くらい経っていた。笑

最後だから、自分ができることは全てやっておきたい。
あとは活動先の教員次第。
知識がなくてできないのは当然だけど、

今は知識がある。あとは彼ら次第。

その状態を作って終わりたかった。
先日行われたKCSE(ケニア版共通テスト)は昨年に比べ、大幅に成績が落ちたンジウセカンダリー。

今後が楽しみだ。

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