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『メルカリ』という映画の中で、ネオのように目覚めて、タイラーのように生きている。episode 10
●オレの名前を言ってみろ
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開始早々、
仕掛けたテイクダウンを上から潰されて、
僕は亀状態にされて、
彼の超太い右腕と、彼自身のラペラ(柔術衣の裾)で、延々と首を絞められ続けた。
おそらく
『片腕で極められる技』のアイデアをいっぱい出して、
その中で辿り着いた必殺技なんだろう。
『このまま秒殺負けかな・・・』
脳みそは半分諦めモードになっていたが、
スラムダンクの三井寿や、
キャプテンアメリカのスティーブ・ロジャース
が大好きな僕は、
脳みそとは裏腹に、
絞められ続けながらも
何とか諦めずに、頸動脈だけは守っていた。
白帯時代、毎日毎日絞められて極められて、
『ガード!ガード!!まずは守ること』
『エスケープ!エスケープ!!何とか逃げること』
仕事中もデート中も常に考えていたことが、
この時活きたのかもしれない。
何分過ぎたのかは分からない(試合時間は6分)。
とにかく長く感じた。
ただ、対戦相手がだんだん息が上がってきたのが分かった。
首を絞める力が弱まって、動きが止まった。
UAE柔術ルールなのか、パラ柔術ルールのなのか不明だが、
膠着したと判断されて、
僕と対戦相手は離され、もう一度立った状態から再開になった。
これも
UAE柔術ルールなのか、パラ柔術ルールのなのか不明だが、優勢だった相手に2ポイント入って、
この時点で僕は、
『0-2』で負けていた。
『もう・・・ビビらず前に出るしかない・・・』
僕は思いっ切り低空飛行でタックルに行って、
テイクダウン成功、この時点で
『2-2』
とにかく不器用で、いろんなことが出来ないから、
毎日50回以上、このパスだけを打ち込みしていた
クロスニーパスを何回も何回もアタック。
綺麗にパスは出来なかったけど、
アドバンテージ・ポイントを何回か貰った。
試合終了。
諦めなければ、
時々"奇跡"って起こるもんです。
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●『パラ・アスリート』
これは謙遜でも何でもなくて、
間違いなく
10回闘ったら、
9回は負ける相手。たまたま1回が来ただけの話。
それが試合後の素直な感想である。
I became a "miracle man".
僕は、
Abū Dhabī WORLD パラ柔術 FESTIVAL
初代世界チャンピオンになった。
そして、
それと同じぐらい重要なこと。
障害を持って生まれてきた僕は、
生まれて初めて『パラ・スポーツ』を闘った。
僕は44歳にして、
『パラ・アスリート』になった。
(続く)
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