にじいろのさかな
4月25日・土曜日、晴れ。
今日は幼稚園時代を少し回想していました。
子どもの頃の記憶は年々薄れていくものですが、それでもなお鮮明に覚えている出来事があります。
クラスのみんなで『にじいろのさかな』という絵本を題材に絵を描いていたときのこと。
よく描けた絵をいくつか展覧会に出すということを先生から言われていて、その最後の作業時間でした。
給食の時間になって描くのをやめましょうと言われ、ほかの子たちはみんな思い思いに描いた絵を出していきます。
そして片づけ終わると、当番の子たちは給食を取りに行き、残った子たちは机と椅子を動かして食べる準備を始めていました。
そんな中、私はまだもうちょっと描いていたくて、一向に片づけようとせず画用紙に向き合い続けていたのです。
それも、上手に描いて褒めてもらいたかったからとか、自分の絵を展覧会に出して欲しかったからとかではなく、ただただ自分が納得いくまで描き切って完成させたかったのだと思います。
教育実習にきていた背の高いお兄さんに、給食の時間だから片づけようと言われても、まったく聞こうとしません。
普段から自分勝手な行動を繰り返すような問題児ではなかったけれど、ときどき自分の世界に入ってしまって周りが見えなくなるくらい没頭してしまうのです。
あるいは、自分がこうやると決めたら最後までこだわり、やり抜こうとする、少し頑固なところのある子どもだったように思います。
そのときの私は、一人だけみんなと違う行動をとる”ちょっと困った子”だったに違いありません。
しかし、クラス担任の先生は私の様子を見て何も言いませんでした。
代わりに、私に声をかけていた実習生の先生の方を向いて、
「この子は最後までがんばりたい子なんです、だからもうしばらくそっとしておいてあげてください」
そんな風に言ってくれたことを今でもよく覚えています。
クソガキな私は「しめしめ」と思いました。
引き続き色とりどりのクレヨンを繰り出しては画用紙を汚し、出来上がったころにはもう給食の時間が半分ほど過ぎていたでしょうか。
そうして描き上げた絵はめちゃくちゃ上手な絵というわけではなかったけれど、なんと担任の先生は展覧会に出す絵として選んでくれたのです。
選ばれるためにがんばって描いたわけではないけれど、とてもうれしい気持ちでした。
みんなと違ったことをして困らせたことだけをとらえて注意したってよかったはずです。
でもあのとき先生は、私の行動を一切否定せず自由にやらせてくれ、そして最後まで一生懸命やり遂げたことの方を見ていてくれた。
そんな”がんばり屋さん”の自分を受け入れ認めてもらえた、それが何よりうれしかったんじゃないかなと、いまになって思います。
もちろん、まだ幼稚園児だったからこそ許されるようなわがままだったとは思いますが、それでもあのとき私を止めないでいてくれたことは本当に感謝したいです。
というのも、”がんばり屋さん”なところをまず長所として受け止め伸ばそうとしてくれる人がいたからこそ、私自身もそれを長所として大事にしてこれたのだと思うし、逆に私の頑固な部分を強く否定されていたら、またちょっと違った価値観や自己認識が形成されていたんじゃないかと思うからです。
そしてよくよく振り返れば、幼稚園時代だけでなく、小中高時代を振り返ってみても、私はいい大人の人たちに恵まれてきた気がします。
歳を重ねるにつれさすがにもっと周りを見て行動できるようにはなったけれど(?)、ときどき何かに異常なこだわりを見せ、ときにがんばりすぎてしまって周囲に心配をかけてしまう、そんな私をまずは受け入れ、その上でつまずいたら「じゃあどうすればうまくいくと思う?」と問いかけてくれる。
そんな人たちに多く出会えたことは本当に幸せだったと今になって思うのです。
同時に、人としてまちがっていることは「まちがっている」と厳しく教えてくれる人たちでもありました。
そうやって大切に育ててきてもらった私自身も、子どもというか、自分よりも若い世代に対してというか、に対して、正しきを示しながらも決してそれを過度に押し付けることなく、可能性を信じてあげられるような大人でありたいなということを思うのであります。
ちなみに、『にじいろのさかな』はどんな話だったかまったく覚えていなかったので(笑)、実家に帰ったときにまた読み返してみようかなと思います。
おしまい。