それでもわたしたちは怒られるようにできている
「あなたたちのせいでとんでもないことになったんですよ。謝ってください。」
シンとした薄暗い公民館の一室に声が響いた。
「吉本課長、そろそろ、花井も3年目になりましたし、マウステージ西大島を引き継ごうと思うんですが」
「そうだな、、桐生がいつまでもやる組合じゃないしな」
「確かにそうなんすけどね、まあ、言ったらアンチな組合ですからね、、大丈夫かな…」
マウステージ西大島は、築16年を迎えた、低層ファミリーマンションである。
桐生が担当してもう4年になるこのマンションは、小規模ながら、とにかく全ての工事を修繕委員が牛耳っていて、通常12年程度で計画されている大規模修繕工事もまだやっていない。二言、三言目には、不要な工事を提案してきて、管理会社は暴利を貪っている、しか言わないのだ。
桐生も毎年、期が変わり、役員が変わるたび、何度も理事会に、そろそろ大規模修繕工事やりませんか、検討しませんか、と提案したものの、修繕委員の人たちがそういうし、と聞く耳を持たれなかった。
「花井、今度俺の担当のマウステージ西大島引き継ぐからよろしくな。これ、総会資料だから見ておいて。」
桐生から受け取った総会議案書をめくりながら、花井は、桐生に質問した。
「ここ、もう16期なのに、積立金まだまだ結構あるんですね、、すごい」
「ああ、ここ大規模もインターホンも何にもやってないかはな」
「え、なんでですか?さすがに防水とかやばいんじゃないですか?屋上大丈夫でも、シーリングとか…」
「お、花井も分かってきたなw そうなんだよ、でもここ、修繕委員が実権握ってて管理会社の言うことは一切聞かなくてさ」
持っていた議案書を机に置いて、桐生は言った。
「だから、漏れるまで待つしかないんだよ」
「漏れるまで待つ…?でも、それって、その修繕委員じゃない人の家でも漏れる可能性ありますよね?」
「そうだな」
「…一般の居住者の人たちもそうなっても仕方ないって思ってるんですかね?」
「それはどうだろうな、何も知らないんじゃないかな」
「桐生さん、わたし」
「「納得いきません!」だろ?気持ちは分かる。でも、理事会も動く気ないから。今期だけじゃない。去年も一昨年もずっとだ。ここまできたらそういう修繕委員に任せてる組合の責任だから、…仕方ないよ」
明らかに不満気な顔の花井は、
「それでも、担当わたしになったら、わたしの思うようにやらせてもらいますから」
そう言って、担当を桐生から引き継ぐ旨を説明した最初の理事会の準備に取り掛かった。
理事会で、花井は漏水についての資料をまとめ上げていた。その上で改めて役員にこう説明した。
「わたしはまだこの仕事をして数年ですが、漏水の被害にあった住戸をたくさん見てきました。一度発生したら、被害に遭われた方は本当にお困りになられます。これまでの日常生活が送れなくなりますから。今日も漏れてます、今日は大丈夫でした。いつ直るんですか。そう不安になられる方がマンションの中で出てきてしまうかもしれないんです。是非とも、早めのご検討をお勧めいたします。」
理事長は言った。
「アドバイスとしてはお聞きしました。ただ、うちのマンションは修繕委員がYESと言わないと物事は進まなくてね、事前にいただいた資料も、委員会には出しました。…管理会社が工事したいがために言っている。言うことを聞いてはいけないと。防水は18年以上持つから問題ないんだ、の一点張りです」
「もちろん、弊社でやらせていただけるのならありがたいですが、もう、そういうことではなく、お安いところでもいいと思います。そろそろ進めないと、後々取り返しがつかなくなりますから…」
「あの、不安を煽っているというわけではありません、いう事を聞いて欲しいわけでもないのですが、、」
理事長が少しイラッとした雰囲気を出したのを察知し、桐生は左手をスッと花井の前にかざした。もうやめろ、の合図だ。
「失礼いたしました。花井は直近、別のマンションで上下階の漏水で苦労した経験しているものですから。つい、予防保全のご提案をさせていただきたいということで、お時間をいただきました。ありがとうございました。それでは次の議題に移ります。」
ガタガタ、バタン
役員が帰った後の公民館で、四角形の形にしていた机を元に戻しながら、桐生は花井に声を掛けた。
「さっきは遮って悪かったな」
「いえ、、桐生さんが言ってた意味わかりました」
「なんか悲しいですね、何言っても伝わらないというか、」
「花井、俺らの仕事は、委託契約だ。工事提案もした。議事録にもそれを記載した。善管注意義務は果たした。…後はもう、組合の問題だ。」
「俺だって、4年担当やって少なからず思い入れがないわけじゃない。でも、もう諦めよう。」
花井は、桐生も、花井が思っている以上にこの問題をなんとかしたかったんだと感じた。
なので、それ以上何も言わなかった。
それから、3ヶ月が過ぎた頃のことだ。
直行先から昼過ぎに戻ってきた桐生は、作業ジャンパーを持った花井と廊下ですれ違った。
「桐生さん、マウステージ西大島、漏水しました。最上階の角部屋です。わたしこれから居住者さんの所に行ってきます」
起こるべくして起こったのだ。それでも。
「…お電話いただいた居住者の方はお怒りです。出来る限りのことは説明してくるつもりです。併せて理事会に漏水調査の提案します。」
「…申し訳ない、ありがとう、頼むよ」
「桐生さんが謝ることじゃありません。今は、わたしの担当ですから」
大抵、理事会役員じゃない居住者は、理事会でどんなやり取りをしているかなんて知らない。理事会の議事録にいくら書いたところで、あの理事会の温度感は伝わらない。
そして、何故自分の部屋でこんなことが起こったのか、プロとして提案が足りないのではないか。
そう、管理会社が怒られる。
そういう風に出来ているのだ。
エレベーターに乗り込む花井の後ろ姿は、前よりも随分と頼もしく見えた。
結局、予想通り外壁からの漏水であることが発覚し、すったもんだの末、3ヶ月以上かけ、復旧まで辿り着いたのであった。
復旧工事が行われたちょうどその頃、管理組合の通常総会の時期を迎えた。
議案の最後に、何か質問はありませんか、と議長である理事長が尋ねたときであった。
「質問ではないんですが、よろしいですか」
後ろの方に座っていた女性が、すっと手を上げた。
「理事長、先日発生した漏水のこと、何故もっと詳しく説明されないのですか。」
「わたくしの部屋のリビングは、漏水で大変なことになりました。クロスやフローリングも家具もダメになりましたし、一時期はどこが原因箇所か分からないと、毎日部屋の天井や壁を見て回りました。友人も呼べず、何度も在宅をすることとなり、本当にくたびれました」
会場が騒然とし始めた。
「わたくしの部屋が漏水した日、管理会社の花井さんはすぐ駆けつけてくださいました。気が動転してなんでこんな目に、と思っていたわたしの不満や行き場のない怒りを一人で受け止めて聞いてくださり、その後も何度も足を運んでくださいました。」
「結果として、先週、無事に工事は終わりました。」
「理事長、委員の皆さん、あなた方はわたくしの部屋の漏水を知ってから、どうされましたか。
一度として、部屋に様子を見に来てくださることも、お声を掛けてくださることもしませんでしたね」
「花井さんは、これまでの理事会のやり取りを教えてくださり、今日この場でこういう被害が出るから、大規模修繕工事を進めた方がいいと思いますと、発言していただけませんか、とわたくしに頭を下げにこられました」
「管理会社の意見は通らないけれど、こうした被害をもう出したくないと」
「あなたたちのせいでとんでもないことになったんですよ。謝ってください。わたしにだけではありません。花井さんにもです。」
その後、総会の場で修繕委員と理事長から謝罪の言葉があり、まもなく修繕委員会は解散した。
大規模修繕工事は、組合からの要望で、管理会社元請で実施することになった。
花井は、透明性のある設計監理方式を提案していたが、花井さんの会社でやって欲しいと言われ、ありがたくお申し出をお受けすることとなった。
大規模修繕工事の竣工引き渡しに立ち会いした帰りに、事務所に戻った花井に桐生が声を掛けた。
「一件落着、ってとこだな。おつかれさん」
渡されたプリンを受け取り、花井は言った。
「ありがとうございます。でも、結局、たまたま最上階の上原さんがいい方だったから、、運がよかっただけです」
「珍しいじゃん、そんな言い方して」
「たまたま上原さんのお子さんがわたしと同じくらいの歳だそうです。娘見てるみたいだから、応援してる、頑張ってって言われました。」
「わたし、分かってたんです。管理員さんから過去の話とか色々聞いて、漏水が発生したとしても、絶対に修繕委員や理事会は動かないって。だから毎回足運んだら、勝ちだって。その通りになりました。結局、あの場で上原さんが発言されて、周りも、若い女の子なのにかわいそうね、ってそう思われただけです。…実力なんかじゃありません。」
「桐生さん、わたし、もっと頑張ります。プリン、ありがとうございました。」
立ち上がった花井の後ろ姿が遠ざかる。
桐生は思った。
花井は、自分が若い女だから、と言っていたが、あの最上階の上原のおばさまは、そんなに簡単な人じゃない。人への評価はかなりシビアだ。亡くなった旦那さんの後を継いで会社をやってる人だ。その人にあれだけの評価を貰っている。
しかも、あそこの管理員、のらりくらりした爺さんかと思ったら以外と色々知ってるんだな。俺は4年担当してたけどそんな話聞いたこともなかったし…。
「…なんか、やばいの覚醒させてしまったかもしれないな」
おしまい
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