虎として生まれて
何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えように依れば、思い当ることが全然ないでもない。
理事長であった時、己は努めて人との交わりを避けた。理事は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、理事は知らなかった。
勿論、曾て建築に携わり凄腕といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。
そう、反省できるのは、山月記が物語であるからだ。
本物の虎は、そうはいかない。
気づけば、あっという間であった。私がマンションの為になることをして、管理会社や滞納する悪の居住者と戦い、マンションをよくしようと理事長を続けてきた私が、理事会から去る日がきたのだ。
手元には、来月開催される総会の議案書がある。
ページの最後に書かれた、役員選任の議案。
そこに私の名前はない。
どこで何を間違えたのか。いや、私は間違えていない。
分かっていないのは、誰だ?
始まりは、数年前に遡る。
中井は、過去に数回、理事会に加わったこともあるが、特にどうということはない、ただの一居住者であった。
中井が周囲から浮き始めたのは、仕事が上手くいかなくなってからである。
今まで、起きて仕事し、寝るために帰宅する。それだけの場所であったが、仕事が減ったことをきっかけに家にいる機会が増えた。それに比例して、マンションのいろんなことが気になるようになった。
そして、輪番が回ってきた。誰もなりたがらない理事長に手を挙げた。
そこから本格的に中井は虎になったのである。
私が理事長になって、一番許せなかったのは、3階に住んでいる、とある居住者だ。
管理会社から届く月次報告書面の中で何度も何度もこの居住者が管理費を滞納しているという記載を見た。
このマンションは、近隣でも有数の高値で取引されるマンションだ。そう自負しているし、そういうマンションにしていきたいと思い、理事長にもなった。
管理費も払わないくせに、のうのうとこのマンションに住んでいる人間がいるなど言語道断だ。
大切なマンションに傷をつけている。
資産価値を下げている。
本当なら今すぐにでも追い出すべきなのに、理事会も管理会社も訴訟は済んでいるから、などと言ってそのままにしている。
私は認めない。
こいつの郵便受けに使用禁止の札を貼ろうとしたら管理会社に止められた。
管理費を払ってないのに共用部を使用する権利があるのか?おかしいじゃないか。
私は納得がいかなかった。
そして、途中から気づいたが、許せないのは、こいつだけじゃない。
管理会社も、よくわからないことを言ってばかりで仕事をしないということに気づいた。
この前も自動ドアが壊れたと言って、勝手に部品を取り替えた。私は一度もそんな指示はしていない。
誰の許可があってそんなことをしたのか。奴らは聞いても契約がとかゴニョゴニョ言うくせにはっきりした回答をしない。
そんな仕事をするやつらに払う金はない。
支払いは全部拒否した。当たり前だ。納得のいく説明ができないのだから。
彼らはきちんと仕事をしない。きちんと仕事をしないくせに、金を取るなんておかしいではないか。
管理会社だけじゃない。メーカーの部長だかも呼び出すように言って確認したが、あいつらは、何も言えなかった。
当たり前だ、私は間違っていないのだから。
しかも何を血迷ったか、管理会社は今後何かあれば業務時間外はコールセンターに電話を架けろと言い出した。
管理会社のくせに電話に出ないなんておかしい。24時間何があってもお客様のために働くのが当たり前だろう。
そんな申し出は聞かず、担当者もその上司の携帯番号も聞き出した。すぐに出なかったら何度でも呼び出したし、電話に出ないことをコールセンターに苦情として申し立てた。
当たり前だ。理事長が困ってるのに助けないなんて何のために管理会社に委託しているのかわからない。
そのうち、担当者が変わった。主任が担当になった。理事会に課長もくるようになった。
それでも至らないことばかりするから毎晩毎晩電話をしなくてはならなかった。
私は管理会社を変えたかったが、他の理事から止められた。
他の理事はとにかくやる気がないのだ。何の発言もしないでつまらない顔をして理事会中黙って座ってるだけだ。
わたしの苦悩など誰にも理解されない。
理事長とは孤独なのだ。
そんなことが半年続いたある日、理事会の場で、副理事長から話が切り出された。
中井さん、管理会社から通知が来ました。貴方を理事長にしておく以上、来期の契約は続けられないと、更新拒否の通知です。
私たちは、理事長解任の決議を取りたいと思います。理事として残っていただく分には構いません。
ただし、管理会社に個人的に連絡を取るのは、今後一切、やめてください。これは理事会の総意です。
ふざけるな、そう思ったが、理事会のメンバーは誰も私の顔を見なかった。理事会後に部屋のインターホンを押しても、誰も出ても来なかった。
そうこうしている間に、私は理事長の地位を失った。
前任の担当者などに何度も事実確認のため電話を掛けたが、繋がることはなかった。着信拒否されていた。番号を変えてかけても、私だと分かるとすぐ切られた。あまりにも酷い対応だ。
そして議案書の役員選任の欄に、私の名前がないまま、総会が開かれた。
私は発言する権利すらなく、ずっと管理会社の担当者を睨みつけていた。
酷い話じゃないか、私は、私は、
私はこんなの認めない。
モンスターは、人の話を聞かない。
他の功績を認めない。
だから、理事会の他の役員から支持されない。
モンスターに対して、みんな何も言わない。
自分が標的になりたくないからである。
お通夜のような理事会をまだかまだかと耐えている。
管理会社への態度が横柄である。怒号を浴びせる。見ている他の理事が不快に思うほどに。
それでも、モンスターは、自己を振り返らない。
管理会社は共によいマンションを作るものだ、という意識があれば、一定のフロントは、多少その要求が無謀であろうと、全てを投げ出すことはしないし、闇討ちのように、解約通知を出すこともない。
でも、きっとこのnoteを読むこともないし、反省することもない。
彼らの中では永遠に、わたしたちが聞く耳を持たないモンスターで、彼らは、ヒーローなのだ。
誰からも理解されない、孤高のヒーローなのだ。
虎は、既に誰もいない集会室の天井を仰いで、二声三声何か呟いたと思うと、又、その場所を後にし、再びその姿を見なかった。
となればいいのだが、きっとまた総会に来て、吠えるのだろう。
私は認めない、と。
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