正解はひとつじゃない〜新人教育の難しさ〜
これの続きっぽい話です
🐀「全く…桐生は、教育担当のくせに受け身っていうか人事っていうかだから惜しいんだよなあ…」
「でも桐生さんはいい先輩ですよ!」
🐀「なんか花井ちゃんは、桐生のこと結構信頼しているよね。意外。頼りない!とか思ってそう」
「そんなことないですよ〜 あと、わたし、桐生さんにフロントマンとして大切なこと結構教わってるんです」
🐀「…あいつ、そんな気の利いたこと出来たのか?」
ー1年前の9月某日ー
🐀「花井ちゃん、半年間の研修お疲れ様〜事務所のこともだいたいわかったよね。今日からは正式に部署に配属になるからね。ちなみに教育担当は桐生くんだよ。」
「は、はい!あの、改めまして新入社員の花井さくらです!今日からお世話になります!不束者ですが、よろしくお願いします!!!」
「そんな嫁入りじゃないんだから笑 俺そんなに出来る奴じゃないし、気が利く訳じゃないけど、聞かれた事はちゃんと答えるから。」
「は、はい!色々教えてください!!!」
「あ、あと、これ一番大事なこと。一応教育担当は俺だけど、俺の答えが納得いかなかったら納得するまで他の人にも同じ質問していいから。」
「????」
「顔に?って書いてあるなw まあそのうち分かると思うけど、簡単に説明するわ。研修受けてきたからある程度実務は分かってる理解でいいか?」
「はい!!!一通りは分かるはずです!」
「頼もしいなw じゃあ質問。居住者から、"ポーチに植木鉢を置いてもいいか?" という質問が来たとする。お前はまずどうする?」
「そのマンションの規約細則にはどう書いてあるか、確認して回答します」
「その通り。じゃあ、このマンションは、使用細則〇〇条にポーチには物を置いてはいけませんと記載があるとしよう。でも、このマンションはみんなポーチに物をたくさん置いてある場合、どうする?他の人みんな置いてますよね?と聞かれたら?」
使用細則には物を置いてはいけませんと書いてある。
でも実情、住民のほとんどは物を置いている。
「…それでも、使用細則にはダメとあれば、私たちはダメと言わざるを得ないですよね?」
「そう、俺らは管理会社だからな。聞かれたらどこにどう書いてあるかを基に回答するのが必要だ。」
「じゃあ次の問題。"上の人の騒音がうるさいのでなんとかしてもらえませんか?" これはどうする?」
「え、、とりあえず上の方に注意してみます…って言うと思います」
「でも、その苦情言ってる人が過敏すぎるだけで上の人は普通だったらどうする?」
「…え、」
「ごめん、意地悪言ったわw 悪い悪い。えっと、上の人がたしかに騒音を発してるとして、どう対応するか。」
「俺だったら、専有部の問題なので原則は対応出来ませんが、全戸に向けて掲示文を貼ることであれば対応いたしますって答える。」
「なるほど、、桐生さんっぽいですね」
「でも、お前、もし俺にどうしたらいいか分からなくて相談した時に、これが答えだぞって俺が言ったら、なんかモヤモヤするだろ?」
「…確かにしますね」
「素直でよろしいw たぶん、有田とかだったら、大丈夫ですか?とかいって、わたしもお立ち会いしますので、上の方とお話合いする機会設けましょう!騒音はコミュニケーションで軽減されます!とか前のめりでやると思うんだよね」
「有田さん言いそう!!!すぐ現場行きますもんね!」
「なw で、たぶん金子さんだったら、それは何時何分でどんな音でしょうか?頻度は?間隔は?どのくらい継続しますか?とかって聞きまくって、詳細びっしり書いた注意書きを全戸配布とかすると思うんだよな」
「金子さん真面目ですもんねー」
「そうそう。でも、それぞれ、どれも間違いじゃない。俺らの仕事で大事なのは、組合との契約書に書いてあることを漏れなくやること。これはミスったら業務不履行だから絶対守らなきゃいけない。ただ、実際に扱う実務の大半は、契約書や法律や規約細則に書いてないことの方が多くて、どう解釈して対応するかは、フロント次第だ。」
「そういう場合、正解はない。だから、お前が俺の回答が腑に落ちなかったときは、自分が一番しっくりくる回答を出してくれる人に当たるまで聞き続けていいから。俺そういうの気にしないし、たぶん、俺とお前タイプ違う気がするからさ」
「はい!」
「まあ、三人に聞いて同じこと言われたらたぶんそういうことだから納得いかなくてもちゃんと従えよw あと、法務絡むやつは俺じゃなくてちゃんと法務に聞いてくれ w じゃ、そんな感じでよろしく頼むわ」
🐀「へー桐生そんなこと言うんだ」
「わたしの周りの同期や後輩は、みんな自分のモヤモヤを抱えて悩んでる例、結構多いんです、先輩は自分とは違う、気持ちを汲んでもらえないって」
「わたしは、最初にそう言ってもらったので、気が楽ですし、めちゃくちゃ色々聞きまくって、成長して今に至るわけです!(えへん)」
🐀「なるほどねえ…(桐生も大人になったんだなあ)」
思い返せば昔、桐生が教育担当をしていた後輩が、急に異動願いを出して部署から居なくなっだことがあった。
理由は教育担当とのコミュニケーション不足だとされた。桐生さんみたいに私は色々割り切れないんです、そう言って異動していった。まあ桐生本人からすると無駄を省いて必要なことを淡々と教えていただけで間違った指導ではなかったし、別の教育担当だったらあの子は異動しなかったか、というとかなり怪しいと思っている。
マンションフロントはだいたい自立出来るようになるまで短く見積もっても2年はかかる。そして3年でほぼ一人前、なのだが3年以内で辞める人間は少なくない。
そして教える側としても、激務だとされる業界の中で、自分の実務を回す傍ら、新人のために時間を割いて指導し、結果辞められてしまうというのは、結構堪えるものだ。
🐀…必要なのは、教えられている新人本人自身が描ける未来をちゃんと見せてあげられるかということに尽きるんだろうな。
ー事務所ビル通用口ー
バツが悪くなった桐生はコンビニへ向かう道すがら考えていた。
「花井はあの感じだと当分は大丈夫だ。いい担当になると思うし、来年には新人のフォローも出来るだろう。頭いいし、真面目だし。…でもまた主任になったくらいで壁にぶつかるんだろうな」
マンション管理業界は、男性社会だ。花井のように新卒でフロントをやるケースはあるが、その後、主任や課長になる人間は多くはない。彼女のあのタイプを考えると、このままの道を進むのは茨の道だし、ロールモデルを彼女自身が探して体現していかなくてはならない。
「まあ、今俺に出来ることは、あいつの今のモチベーションを保ってやることくらいだな」
桐生は、棚に並べられたロールケーキを一つ取って、レジへ向かった。
おしまい