大規模修繕工事のすゝめ(後編)
前編はこちら
会社に戻った花井は、早速理事長の田辺に連絡を取った。出来る限りの手伝いをするので、なんとか無事に総会を迎えましょう、そう声掛けしたものの、田辺の声は暗かった。
花井は、手元資料に、必要と思われる内容を列記していった。
今回の大規模修繕工事の概要、施工会社、予算、予備費の使途、下地数量の工事前後比較、建物の特徴、今回の工事の要点、次回工事のための注意点、引き継ぎ事項、今回工事の除外箇所、アフターサービス概要、アフターサービス点検予定、保証期間一覧…
「桐生さん、いただいている情報が少なくてこちらで作成、全て出来ないですね。」
「とりあえず概要だけまとめたら、理事長に送ろう。こういうものを作ったらどうですか、と提案するだけでも今の理事長の役に立てるかもしれないから。」
花井は急ぎ資料をまとめて、勝手ですが、とメールで送付した。
「今日はこれで帰るぞ。明日からは総会乗り切るための作戦会議するから、今日は早く帰って、飯食って寝ろ。」
田辺からは、翌日返信が返ってきた。
-これを見て整理ができました。作成ありがとうございました。追記して、再度お送りします。-
桐生は胸を撫で下ろした。田辺が資料をまとめてくれれば、あとは、総会当日の運営だけだ。
桐生は花井に声を掛けた。
「いいか、総会運営で大事なのはな、、」
総会当日を迎えた日の朝。
役員と花井は、事前に集まって議案の説明の割り振りを行なっていた。田辺は、大規模修繕工事の総括は、私がやるのがいいですね、それ以外は皆さんで分担しましょう、と言って役員全員で流れを確認した。
「田辺様、大規模修繕工事の報告の最後で、私少し発言させていただいてもよろしいでしょうか?」
「構いません、手を挙げてくださればこちらから振ります」
総会は新型コロナウイルスの感染防止のため、広い会場に空間を設けて行われた。
例年とほぼ同数が集まったものの、がらんとした空間にパラパラと資料をめくる音だけが響く。
「それでは、定刻になりましたので、総会を開催いたします」
そう議長である田辺の挨拶から、定期総会が始まった。
大規模修繕工事は、第一号議案。事業報告の途中に行われた。
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田辺は、総会前理事会の後、ひとり考えていた。今回の工事は失敗だったのだろうか。自分が至らなかったのだろうか。あの時、管理会社に任せていたら正解だったのだろうか。
投書は止まない。今日受け取った封筒の中には工事会社に壊された植木鉢を弁償しろと書き殴った手紙と領収書が入っていた。
工事前の説明会で何度も、工事中の苦情は、現場監督に言ってくれ、工事用ポストに投函してくれと言った。
それなのにこうして理事会にばかり文句を言う。
何故直接工事会社に言わないのか。
理事長は私だ。
ただ、私もただのいち組合員だ。
組合のためを思って、マンションのためを思って、出来る限りのことをしたはずなのに。
田辺は胸の奥がなんともいえずむかむかして、何もする気になれず、ただただ、その日は眠りについた。
翌日、仕事から帰ってパソコンを開いたら、担当の花井からメールが届いていた。
総会議案に載せる大規模修繕工事の報告書面をまとめてくれていた。理事会で持っている情報を多少加えれば、資料にそのまま使えるものだった。
管理会社を排除して進めても、結局、誰かが苦しむだけだ。それに気づいても、もう遅い。
ーーーーー
工事報告は以上となります。それでは、と言いかけ、花井が手を挙げたと同時に、組合員の数名が手を挙げて発言した。
「理事長さん、今回の工事、色々と問題が残ってるじゃないですか、どうするつもりなんですか?」
「…どうするつもり、と言いますと?」
「理事会には杜撰な工事をした会社を選定した責任があると思います」
「理事長、その会社となにか繋がってたりするんじゃないですか。だから強く言えないのではないですか」
田辺は頭が真っ白になった。
と同時に間髪入れずに横から花井が立ち上がった。
「横から失礼いたします、少しよろしいでしょうか?担当の花井と申します。」
「今回、弊社の提案が至らなかったことから、組合員の皆様にご心配を与えてしまい、弊社に大規模修繕工事に関する業務を御用命いただけなかったこと、大変申し訳なく思っております。」
「しかしながら、お言葉ですが、皆さま、大事なことを忘れていらっしゃいませんか。ここにいる、役員の皆さまも、皆さまと同じ組合員です、マンションの区分所有者です。たまたま今期輪番制が回って役員をされている、普段お仕事をされている現役の方々ばかりです。」
「区分所有者の義務として引き受けた理事会活動で、私生活の時間を削られて、10数年に一度の大きなイベントである大規模修繕工事の対応を一生懸命されたにも関わらず、その責任まで求められているのは、私としても少し違うのではないかと感じましたので、ご意見述べさせていただきました。失礼いたしました。」
しん、とした会場で、役員の古園が口を開いた。
「皆さん、総会へのご参加ありがとうございます。今期理事長の田辺さんは、総会ご欠席だったにも関わらず、理事長という重役をお若くて現役でお忙しいのに、嫌な顔一つせず引き受けてくれました。
私たち今期理事会は、前期総会で工事の議案が否決され、困り果てていました。あの様子では、管理会社には頼めない、でも素人集団である理事会では、大規模修繕工事をどうしたらいいかわかりませんでした。
大規模修繕準備委員の募集もしました。
しかしながら、総会でご発言する方、本日発言された方も含め多数いたにも関わらず、どなたも立候補いただけませんでした。
その結果、八方塞がりになったところ、今期理事長の田辺さんがご自身で調べながら、このような形で大規模修繕工事の準備をいただき、工事完了までご対応されたのです。
ここにいる皆様も、総会で会社選定に手を挙げて賛成していらっしゃいましたね。」
「まずは、田辺さんへ、お礼を言うのが、先ではないですか。ましてや、業者との癒着のような発言をされるようなことは決して許されてはならないと思います。
田辺さん、この場を借りてお礼申し上げます。理事会メンバーはみんな、貴方に感謝しています。」
古園がそう言い終わると同時に、会場は拍手で包まれた。
その後、質問は一つも出ないまま、第2号議案以降も総会は淡々と進行し、その後、閉会した。
終わってみれば、総会は、過去最短記録で終了した。
総会終了後、古園は田辺に声を掛けた。
「申し訳ない、田辺さん。私がもっと早く発言しておくべきでした。花井さんの発言を聞いて、ハッとしましたよ」
「いえいえ、とんでもない。古園さんも工事前後含めご協力ありがとうございました。」
古園は、花井にも声を掛けてくれた。
「花井さん、総会ありがとうございました。お若いのにしっかり発言されていて頼もしいお姿でしたよ。」
「ありがとうございます。古園様のおかげで、声の大きくない皆様のお気持ちも見えましたので、とてもよい形でまとまり、本当によかったと思います。今後ともよろしくお願いいたします」
田辺は、午後から用事があるのでこちらで失礼します、と言うと、花井と桐生に一礼してこの場を去った。
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総会前理事会の翌日、事務所で、花井と桐生は総会を乗り切るために作戦会議を行っていた。
「いいか、花井、総会を荒れずに進める方法はいくつかある。今回の件でいけば、相手の戦意を喪失させるのが手っ取り早い。
質問してくる奴らは、十中八九、理事会がー!理事長がー!っていう一辺倒な無責任な質問しかしてこない。だから、そういう質問が出ないように、大規模修繕工事の報告が終わった瞬間に、最初にお前が発言するんだ。
管理会社として伝えるべき要点は二つ。
一つ目は、今回の工事に関われなかったことについて残念であったこと、結果として組合の仕事が増えてしまったことについて申し訳ないと感じていること。
この時点で多少の矛先はうちに向くだろう。管理会社はー!になるはずだ。でもそこはある程度理事会への銃口を避けるためと思って諦めよう。それしかない。
二つ目は、理事会はあくまで区分所有者の代表なだけで、会場にいる区分所有者と変わらない立場だと言うことを伝えるんだ。
そんな立場の人たちに対して、酷いことを言える立場に
お前らあんのか?ってことを暗に示すんだ。それでも食ってかかってくるやつはやばいやつだから無視しろ。
これを、花井が、自分の言葉で話すんだ。ちゃんと言葉にしたら、普通の人には伝わるはずだから、お前なら出来る、やってみろ」
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帰り道、コンビニで買った缶ビールを飲みながら、花井はひとり呟くように言った。
「総会無事終わってほっとしましたけど、なんか田辺さん、結局最後まであまりパッとしない顔でしたね…」
「そうだな…でも究極、俺らに出来ることって、総会を炎上せずにまとめあげて、理事長とか理事会が集中砲火されないようにしてあげることだけからな…
あとはそれこそ、"区分所有者の皆様"で、決めていただくことだ、俺らが出しゃばるところじゃない。でも今日の古園さんの発言もあったし、今後いい方向に進むんじゃないかな、次の工事は頑張ろうぜ」
「そうですね…難しいですね、マンション管理って!もっと頑張らないとですね」
「そう思って常に前向いて仕事するのはいいことだ」
「今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「よく言うわ笑 俺、もうお前に教えることほとんどないからな?」
桐生は、立ち上がると空いた缶ビールを花井の手から取り上げて、ゴミ箱に捨てた。
その後、田辺がマンションを売って出て行ったということを、花井が届出を見て知るのは、半年後の話。
大規模修繕工事後の比較的売却しやすい時期だったとか、積立金が上がる前だったとか、理由はいくつかあるだろう。
それでも、この一件は、花井がフロントを続けていくなかで、今も思い出すと、胸の奥が少しだけざらざらする出来事であったことに変わりはない。
なお、2021年5月現在では、総会が炎上しない方法は下記にまとめてあるので、ご参照いただきたく🐑…
おしまい
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