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夢庵で昼食を

鶴田は、新卒で管理会社に入り、現在5年目を迎える心優しい青年であった。

鶴田はおどおどしたところがあり、いわゆる仕事が出来る方ではなかった。同期とも比べられてはダメ出しされ、同僚にもいじられ、部下であるはずの管理員から、担当者を変えてくれと言われることもあった。

鶴田は、フロントの必須資格である、管理業務主任者を持っていなかった。ここ4年間、ずっと毎年あと一点で落ちていた。
社内では、自己採点で鶴田より一点高ければ合格だぞ、と揶揄する者もいた。

お客様からのアンケートでも、対応に不満足がつくことが多かった。
それでも担当者の人柄の項目では満点がつくような、そんな心優しい男だった。

管理会社というのは、地味で苦情も多いとされているが、一方で相当なことをやらかさない限りはある程度の給料が保証されるものである。鶴田は自分でもこの仕事が向いているとは思っていなかったかもしれない。それでも鶴田は産まれたばかりの我が子と妻のため、雨の日も風の日も働いていた。

転機が訪れたのは、とある年の4月。組織の再編に合わせて、鶴田の上司が変わった。新しい上司の原口は、鶴田に対し、大型マンションの担当をしてほしいと伝えたのであった。

今まで鶴田が担当してきたマンションは、駅から遠いマンションや新人でも出来るマンションばかりだった。
今回は、駅徒歩10分以内で、300世帯を超えるマンション。役員も15人ほどいるという。今の鶴田の担当マンションの総会の出席者よりこのマンションの理事会の方が多いくらいだ。

鶴田は燃えていた。頑張るぞ…


🐀あのマンション、確か前任も前々任もリーダーか主任だったはず…何故鶴田が?

そう、実はこのマンション、曰く付きというか、誰がやっても実にならないと言われていたマンションだったのだ…。

理事会は議長進行、議事録は書記が作成、小委員が各パート発表、の完ぺき理事会。特に、修繕委員会には小生おじさまたちが多く生息しており、自分たちで大型工事のコンサル選定もするし、小修繕も全て地場の業者で直接発注する。

つまり、フロントからすると手がかかるわけではないが、「うまみがない」マンションなのだ。

原口は考えた。このマンションは、これまでリーダーが歴代担当していたが、リーダー格が担当であっても特に関係性が極端によくなったり、工事を貰えたりすることはない。

また、原口は、鶴田と話していて思うところがあった。
彼は心優しい若者だ。しかしながら、フロントマンとしては、先を読む力もないし、押しも弱い。同期どころか、後輩にも馬鹿にされている。

このままでは、あいつは自分は何も出来ないと思って辞めてしまうのではないか、と危惧していたのだ。

なんとか、殻を破ってほしい。そして自信を持ってほしい。

そんな原口のある種思いつきもあり、このマンションを鶴田はリーダーから引き継ぐことになったのである。


通常、フロントの力量と管理委託費用には相関がない。
つまり、マンションの管理組合からすれば、担当者によって委託費に差がないのだから、出来るリーダー格の人に担当してもらった方がいいと思うのが妥当であろう。

しかしながら、リーダーが故に、手を抜くわけではないが、臭いものに蓋をするタイプもいるし、問題をうまくスルーしているケースもある。

このマンションはまさにそうしたリーダーがずっと担当してきたマンションだった。

鶴田が最初に取りかかったのは、とあるモンスター居住者との示談交渉であった。

その居住者は、数年にわたり漏水の示談書にサインをしないと主張していた。やむをえず先に復旧工事は進めており、工事は既に済んでいるものの、保険金が管理組合に入ってこないのだ。いわゆる長年の立替状態になっていた。

その居住者は、マンション内でも有名な問題児であったことから、深入りを避けてきた。それはフロントも理事会もどちらもである。関わっても得になることはない。理事もフロントも数年経てば自分の任期が終わる。あえてパンドラの箱を開けようとする猛者はそう現れないものだ。

連絡がつかないんですよね、と前任から聞いていた鶴田は、原口に相談した。

原口は、相談を受けて、お前が出来ることをやってみろ。毎日連絡するくらいの気合でいけ、そう伝えた。

鶴田は、言われたことを忠実に守り、文字通り毎日電話をかけた。

そして、電話がつながらなければ自宅を訪問した。

電話で数時間に亘り話し込むこともあった。

結果としてその居住者からは、鶴田さんの顔も見たくないし、声も聞きたくない、二度と電話しないでくれと言われたものの、示談書にサインはいただくことができ、組合から感謝されることとなった。


また、このマンションの修繕委員には、小生三銃士がいた。この3人のおじいちゃんは、一つ提案でもしようものなら、その何倍もの質問を返されるような状態だった。これまでのリーダー級フロントは、それを煙たがり、提案もろくにせず、ここの組合は無理です、とうまく会社に伝えていたようだ。

鶴田は、正面から、小生三銃士にぶつかっていった。

「弊社にも、この防犯カメラ、提案させていただけないでしょうか?」

「何故、価格では弊社が安かったにも関わらず、発注いただけなかったのでしょうか?」

「弊社もなんとかお手伝いしたいので、機会をいただけないでしょうか?」

そうしていくなかで、三銃士のうちの2人からは、押し付けがましいと嫌われていた鶴田であったが、そのうちの一人、村岡だけは鶴田に対して好意的な反応があった。

というのも、村岡は割と今の組合に対して批判的なこともいう、フラットな人間だ。若干理事会からは浮いている存在であるが、一方でその意見がまた理事会にとって重宝されていたこともあり、ある種1番のキーマンであった。

そんな村岡に正面からぶつかってくる鶴田は、ある意味特異な存在だったのかもしれない。

時には村岡は集会室に鶴田を呼び、長く話をすることもあった。

鶴田はすぐ顔に出るので、提案を持っていくたびに、
…すぐに工事貰えると思うなよ、と村岡は口をすっぱくして言っていた。

鶴田は、分かってます!村岡さんのお墨付きが出るまで何回でも持ってきますよ!

そう言いながら、よく話し込むこともあったようだ。


鶴田が担当をしてから一年半が経った頃である。

12月に受けた試験があまり芳しくなかった鶴田の元に、村岡から電話が入ったのだ。

村岡 ああ、鶴田くん、すまんがちょっと体調が悪いから、来週の理事会に出られないんだ。この前の防滑塗装の提案あげられないんだよ、ごめんな。

鶴田 大丈夫ですか?早く治してくださいね!

村岡 そういえば、試験はどうだったんだい?

鶴田 かなりギリギリです、でもダメでもまた頑張ります!

村岡 ははは、君は挑戦する力だけは人一倍あるから、いつかなんとかなるよ。

鶴田 ありがとうございます!

村岡 …鶴田くん、調子が戻ったら、年明けに今度マンション来た時、一緒にお昼でも食べようか。

鶴田 え!いいんですか?はい!ぜひ!早く元気になってくださいね!

村岡 鶴田くん好きな食べ物はあるか?

鶴田 サイゼリヤのペペロンチーノが好きです!

村岡 はは、、年寄りにはちょっと重いなあ、、笑 そうだ、あそこの角のとこにしようか。たまには天ぷらとかもいいだろう。

鶴田 僕、普段あまり外食しないので楽しみにしてます!

元気よく返事をして電話を切った。

鶴田 課長!僕、村岡さんにお昼行こうって言われたんですよ!

原口 おお、すごいじゃないか!このまま村岡さんに気に入ってもらって、工事も少しはもらえるようになるんじゃないか!?

鶴田 そうですね!ご本人からは甘えるなって言われますけどね笑 僕、頑張ります!


しかし、世の中はそう上手くは進まなかった。

あの電話が、鶴田が村岡と最後に話した言葉になった。

管理員さんから電話が来て、村岡が亡くなったことを知った。年末、体調が悪化して入院し、そのままとのことであった。

鶴田は、マンションの近くで、村岡と天ぷらを食べることはなかったし、工事の受注も、結局出来なかった。

今後出来るかもわからない。

それでも、あの時、これまでどの担当も受け入れられなかった村岡に、少し心を開いてもらえたと実感できた鶴田本人の心持ちは、以前よりも、きっと晴れやかなはずだ。

🐀結局今年もまた主任者落ちたけど、受け続ければきっと受かるよ…そのガッツがあればね!


おしまい


さて、次はファミレスシリーズとして、とあるファミレス理事会とハンバーグの話をしようかな。。

お楽しみに!

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