大規模修繕工事のすゝめ(前編)
管理組合において、組合員は持っている持分に差はあれど、どの組合員も平等だ。偉い人もそうでない人も、管理組合の前では、ただの一組合員だ。
そんな一組合員に、どこまでの責任を求めるのか?その期待にどこまで答えるのか?
世帯数50世帯に対して、出された設計見積金額は8000万。
足りない。元々、6000万の予定だったのだ。大規模修繕修繕のための劣化調査をしたら、金額が跳ね上がって出てきた。
こんな杜撰な金額を出してくる管理会社を、設計監理会社にしていいのか?
そういう声があった。たしかにそうだ。
ただ、声を上げた人間は、管理会社に任せていたら、食い物にされる、そう発言した人間は、ちゃんとその後の工事の完了まで責任を負ったのか?負う覚悟で発言したのか?
今となっては、だれもその答えは知らない。
娘の体調が悪くて急遽欠席したその総会は、後になって方々から荒れに荒れたと聞いた。そして、不在者を含めた互選という名のあみだくじで、田辺は不運にも理事長になった。
田辺は5年前に越してきた新参者であるが、毎年欠かさず総会には顔を出していた。
元々総会は意見がよく出るものだという認識はあった。
そんな定期総会で、大規模修繕工事についての議案上程があったものだから、まあ一筋縄ではいかなかったことは予想にたやすい。
今回は、透明性を担保するため、大規模修繕工事の方式は、設計監理方式が提案された。
管理会社が工事についての仕様や施工会社の選定をして、その後工事監理をする。組合は施工会社と契約する。この設計監理方式を採用し、大規模修繕工事を進めていく、そのような趣旨の議案の説明が終わったときであった。
「設計管理方式については理解しました。何故その業務。管理会社に頼むのですか。自分たちで会社を探したのですか。」
「そもそも去年よりも2000万も予算が増えました。管理会社がぼったくろうとしてるんですよ、インターネットでそういう記事を見ました」
「理事会がきちんとしないから管理会社の言いなりなんじゃないですか?説明を求めます」
とある組合員が発言したことをきっかけに、意見が四方八方から出て、質疑応答は15分を超えた。
最終的に議案は「一部可決」という形として、設計監理方式を採用することは可決されたが、その委託先は再度検討となった。
という引き継ぎを、当日出席していた書記担当理事である古園から説明された。どうしましょうか、管理会社にやっぱり委託しますなんて言ったら、また集中砲火になりそうですよ、と古園が諦めた顔で言うので、これも仕方ないと、田辺はパソコンを立ち上げた。
今の時代、インターネットでいくらでも情報は手に入る。
田辺は、管理会社に頼らない形を模索し、インターネットで数社設計監理会社及び施工会社を見つけることが出来た。そこからなんとかそれぞれ一社を選定した。
これによって、管理会社に委託するはずの施工会社及び仕様選定の約50万円が削減出来た。
改めて議案上程した臨時総会では施工会社の信用性についての意見は出たものの、問題なく可決となった。
管理会社でない、というだけで業者選定をきちんとした、今期の理事会はまっとうだ、などと言われていたようだ。
その後、大規模修繕工事が行われた。
設計監理方式は、週に数回監理の担当が来るものの、基本は施工会社と組合の直接契約だ。
理事長である田辺は、毎朝出勤前にミーティングに参加し、土曜日には定例打ち合わせに参加した。工事期間は4ヶ月だった。
見かねた古園も手伝ってくれて、なんとか二人で手探り状態の中、工事は進んでいったものの、なかなかそう簡単な道のりではなかった。
工事中、毎週のように管理組合ポストには、「理事会御中」と書かれた封筒が届いていた。
工事監理会社は、工事の進捗や仕上がり、仕様の内容は確認してくれたが、組合と施工会社の間のコミュニケーションについては間を取り持ってくれなかった。
田辺は投書を受け取っては、施工会社に連絡を取った。
そんなある日、施工会社が工具を置き去りにして、一階住戸の子どもが怪我をした。
幸いにも軽症ではあったものの、施工会社と監理会社が謝罪に行った。理事長として責任を感じた田辺もそこに同席した。
組合員からは、工事が進むにつれて、どうしてこんな会社を選んだのか、そう詰められた。
理事会は、2か月に一度の頻度であったが、新型コロナウイルスの影響で、約3か月空いて、久しぶりの理事会となった日、管理会社の担当が代わったと報告を受けた。前任者が退職したそうだ。そして新しい担当から尋ねられた。
「総会の資料作成しますので、いくつかお尋ねしてもいいでしょうか?完成図書の保管場所や、アフターサービス点検日程、保証書の写しなど管理に必要な部分は共有させていただきたいのですが。
また、工事後の引き継ぎ事がありましたら、来期予算に入れますが、いかがしますか。植栽復旧などの予定はありますか。
組合員から匿名の電話も受けていますが、記名の書面で出すようにお伝えいたしました。」
完成図書?
工事が終わって2か月経つが、まだ書類の引き渡しは受けていない。
アフターサービスをいつやるかという予定も聞いていない。
工事後の予定や残工事の進捗も聞いていない。
そうか、結局全部、自分が確認するのか。
田辺の手元には、工事完了後に届いた手紙の束が握り締められていた。
全部、全部、理事長の仕事なのか?
その日、理事会帰りの花井の足取りは重かった。
「桐生さん、わたし、理事長はもっと怒るべきだと思いますよ。こんなの酷いじゃないですか。あんまりです。」
花井は、前任者の急な退職により、このマンションを引き継いだ。大規模修繕を完全他社に取られて、一切介入出来ていないと聞いていた。関係性が悪くて揉めている組合なんだろう、と思っていたが、様子がおかしい。
理事はみんないい人たちだった。むしろ真面目で、イチャモンのような投書にもちゃんと回答していた。こちらへの対応も丁寧で、関係性も悪くない。
「あのイチャモンみたいな投書、なんなんですか?こんな施工会社を選んで失敗ではないか、なんて、選んだのは、組合です。理事長でも理事会でもない。総会に諮ったじゃないですか。何のための総会なんですか。」
「そうだな、、あまりにも理事会がかわいそうだったな。今日いろいろ確認した感じ、施工会社もイマイチだけど、工事監理の会社も何やってんだって思ったけどな」
「それでも、管理会社が工事を受けたら、ぼったくりで、他社がやったら管理会社に暴利を貪られなくてよかったよくやった、なんですか?それっておかしくないですか?わたしたち、そんなに変なことしてるんでしょうか?」
「花井、そういう穿った見方するやつは絶対いるから。仕方ないよ、わかる人はちゃんとわかってくれる、そう思って」
「でも、」
「俺、今回の件は、前任の岡部さんにも責任あると思うぞ」
「え?」
「この組合、前から結構うるさかったんだろ?しかも特定のキーマンがいる訳じゃない。全体的に不満の声が出やすい組合だ。それなら、組合のことを考えるんだったら、うちの会社がたとえ悪者になってでも、ここの工事は取りにいかなきゃいけなかったんだよ、理事会を、理事長を守るために」
花井は桐生の言う意味がよくわかった。理事会は、特に今期の理事長は被害者だ。あんなに色んなことをボランティアでやったのに、組合員から責められる。こんなのおかしい。それを守ってあげる術があるとしたら、責められる矛先をこっちに向けてあげること、苦情を受けてあげること。
岡部さんは、仕事は出来るがわりとさっぱりした人だった。他社の工事だから関わりを最低限にしたのも間違ってない。会社としては、正しい選択だ。
でも、それで苦しむ人がいる。
「…桐生さん、私に今から出来ることってなんでしょうか?」
「帰って、総会対策考えるか。最低限、大規模修繕工事の総括はしなきゃいけないし、その内容まとめて理事長に提出してみよう。当日、文句言う組合員いたら、大人気なくお前、噛み付いていいぞ、俺が責任とってやるから」
「わかりました」
続く…
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