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諏訪大社の重要文化財(建造物)の探訪録

 前回まで、5県の国宝の建造物の探訪録を投稿してきましたが、その折に諏訪大社も併せて探訪してきましたので、記録を残しておきます。

 まず、かいつまんで触れておきますと、諏訪大社とは諏訪湖の北部と南部に2社ずつ、計4社ある社の総称です。東日本(?)では鹿島神宮、香取神宮と並び称される古社です。有名なのは6年ごとに開催される御柱祭ですね。それでは南から順にみていきます。

 こちらは、茅野市にある諏訪大社の最も南側にある「上社前宮」です。諏訪大社でもっとも古くからあったようですが、その後、祭事の中心は本宮に移ったそうです。他の社殿には本殿がなく、ここにだけある(写真の左側。右側は拝殿ではなく屋根のみある参拝所)のは、上宮本宮の摂社扱いとなっているからだそうです。本殿は昭和の初めに伊勢神宮の古材を使って建てたとのこと。4社で唯一、重要文化財の建造物がありません。

 ちなみに、下から上がるのがきつければ本殿近くまで車で行けます。

 ここから北に2km先の諏訪市内に行くと、諏訪大社の中核である「上社本宮」があります。観光客が最も多いのは本宮です。

 重文を見るには正面ではなく、東側から進むのが得策です。

 1829年に建立された重文、御門とそれに続く廊下、布橋があります。凝った彫刻が出迎えますが、昔は神事のみに使用していたそうです。

 御門の脇にあるのが附(つけたり)指定の額堂です。奉納品を飾ってあったところですね。他の重要文化財と同じような時期に建立されたとされます。

 布橋を進むと、1829年に建立された重文、摂社末社遥拝所があります。さながら神様の集合住宅といった感じです。神道が他の宗教と違うのは他の神様を排斥しないところですかね。明治政府主導の廃仏毀釈を除いて。

 さらに進むと、2つの宝殿の間に1608年に建立された四脚門があります。これが境内で一番古い建造物ですかね。もちろん重文です。左側の奥の建物が拝殿で、重要な催事に門が開くとのこと。

 1778年に建立された文庫。非常に小さい重文です。

 参拝所からは中に入れず、そこから見た幣拝殿となります。幣殿とは供物や献上品をささげる建物です。一般的な神社は神様のいる本殿、幣殿、拝殿が一直線に並んでいますが、こちらは真中が両者一帯の幣拝殿、その左右の脇にも拝殿があるという諏訪造という様式の社殿となっています。また、現在では山が、過去は神職が御神体であったために本殿がないとされています。1617年建立の重要文化財です。

 その他の重文はこのように修復中でした。

 諏訪湖を挟んでさらに北上し、下諏訪町にいきますと、下社の2社があります。

 1781年に建立された「下社秋宮」の幣拝殿です。基本的には上社本宮と似た作りですが、幣拝殿は二階建ての楼門のような造りとなっており、より豪華です。彫刻も江戸期らしく派手派手です。こちらは御柱がすぐそばにありますね。

 こちらも本殿はなく、御神体がイチイの木となっています。

 幣拝殿の正面にあるのは1835年に建立された重文、神楽殿です。大きなしめ縄は御柱祭ごとに奉納されるとのこと。

 そこから北西にあるのが「下社春宮」です。

 幣拝殿は秋宮と基本設計は同じだったそうですが、棟梁が違い、競うようにして作ったことから、微妙に違います。こちらは秋宮よりも1年早い1780年に竣工されました。こちらも本殿はなく、御神体は杉の木。御神体がそれぞれありながら、半年ごとに遷座するそうですが、その間、御神木は抜け殻になるのでしょうか。

 ちなみに上下社の間の諏訪湖近くには、こんな近代建造物の重文もあります。

 時間がなく、外観だけしか拝めませんでした。

 絹商の片倉財閥により建てられた片倉会館の温泉浴場棟、別名、千人浴場です。1928年に竣工した鉄筋コンクリート造で、今でも諏訪温泉の大浴場は入ることができます。

 同じ敷地、同じ時期に竣工した会館棟で、木造です。

 今回は時間がなく未探訪となった岡谷市にも重文建造物があり、諏訪湖周辺は温泉や山だけではなく、こうした楽しみも方もあります。

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