ぼくは代々木公園で目撃する

 パリパラリンピックが開催中である。競泳男子400メートル自由形(視覚障害)で富田宇宙選手が銅メダルを獲得したというニュースを見て、その前の日の朝に毎日新聞のインタビュー記事を読んでいた人間としては「おおっ」となった。

 ここでさっそく余談だが、「大学生は新聞を読まない」というのはあくまで一般論である。世の中には例外的な人間なんていくらでもいて、例えば、異性と交際しているゲイだとか、東京都で売られているパンよりも神奈川県で売れ残ったパンを食べることが多い東京都民だとか、今年の7月と8月にシネマヴェーラ渋谷(名画座)でやっていたフランク・キャプラ特集に週2で通っていた大学生とかが存在する。そのゲイと東京都民と大学生は同一人物だったりもする。

 なので、ぼくが『「これこそスポーツ」バルセロナのプールで銀メダリストが触れた光景』という富田宇宙選手へのインタビュー記事を2024年8月30日(金)の朝に読んだのは、ぼくにとってそれほどおかしなことではない。木曜日はコンビニのバイトの夜勤がない日だし、毎日新聞は子どもの頃からうちでとっている新聞だし、父親が家を出て行ってからも購読をやめていないからだ。まあ、ぼくが読むのは目に留まった記事だけですけどね……

 そのインタビュー記事で富田宇宙選手が語っていたのは、富田選手が暮らすスペインでは、バリアフリーにまったく対応していない公営プールにも身体障害者のひとたちがいつも泳ぎに来るという話だった。富田選手は言う。「日本はまず障害者を受け入れるために設備を整えますよね。でも問題はそこじゃないんだって気付きました」「スポーツをやりたい障害者と、やらせたい人(介助者)がいれば、パラスポーツって成立するんですよ」。

 その記事を読みながら、ぼくは5月の代々木公園を思い出していた。インカレの放送サークルの番組発表会を控えた今年の5月、ぼくは代々木公園に関係者を集めて演劇の練習を行った。ぼくが脚本・演出を務める演劇の練習である。なぜ練習場所が代々木公園かというと、インカレの放送サークルは大学非公認団体なので大学の教室を借りられないという事情による。あと、他大学の演劇サークルやダンスサークルがよく代々木公園で練習しているという話を聞いて、ちょっと憧れたからでもある。

 5月のある土曜日のお昼前。JR原宿駅の改札前で待ち合わせ。伊勢崎(同期)、堀切(同期)、笠井(同期)、藤沢(後輩)、田川(後輩)、南沢(後輩)、井上公輝(後輩)、白川(後輩)が集まってくる。だけど、主演の木村(後輩)が集合時間を過ぎても現れない。LINEを送っても電話をかけても応答なし。他のひと(例えば堀切)が相手なら事故や事件に巻き込まれたのかと心配するところだけど、木村が約束をすっぽかすのはいつものことなので、ぼくらは「またか」と呆れながら木村なしで練習を始めた。

 代々木公園での屋外練習は想像以上に楽しくて、みんなもピクニック気分で楽しんでいた。というか、みんなで公園のテーブルでご飯を食べたり、休憩時間に代々木公園内の売店でアイスを買って食べたりしたのがこの日のメインイベントだったな。いつもは落ち着いている堀切も伊勢崎と一緒にはしゃいでいたし。アイスの売店でぼくはソフトクリームを注文したが、堀切が注文した小さなつぶつぶのアイスも気になったので一口だけもらった(手のひらに何粒か乗っけて分けてもらった)。汗ばむような陽気の中で食べるアイスはめちゃくちゃ美味しかった。

 さて、アイスを食べている時のこと。ぼくは、代々木公園の中を視覚障害のランナーが伴走者と一緒に走っているのを見かけた。たぶんブラインドマラソンってやつの練習だったのだと思う。ぼくはブラインドマラソンの存在自体はテレビか何かで見て知っていたが、実際にこの目でその様子を見るのは初めてだったので、20~30秒間ぐらい見惚れてしまった。

 その時にぼくが思ったのは、「そうか、目が見えなくても走ることはできるんだ」ということだ。もちろん、視覚障害ではないランナーとは走り方は違ってくる。具体的には伴走者が必要になる。しかし工夫をすれば、目が見えなくても人間はランニングできるようになるのだ。走ることをあきらめなくてよくなるのだ。ぼくにとってそれは一種のカルチャーショックだった。

 障害があるひとにとっては「工夫をすればできるようになる」なんてのは当たり前のことで、逆に言うと、障害があるひとは「工夫をしないとできない」という状況にいつも向き合わされているのが現実なのだろうが、それはともかくぼくはこの日、ブラインドマラソンの練習風景を初めて目撃して勇気付けられた。

 ……いや、勇気付けられたって言うのはちょっと違うな。「安心した」。「ホッとした」。できないことがあったとしても、「どうすればできるようになるのか」と前向きな姿勢で工夫をすれば、物事はカバーできるしリカバリできる。そういう実例を目撃してぼくはホッとしたのだ。

 みんなでアイスを食べ終わって、もう一回だけ通しで練習して、せっかくだから竹下通りのほうへ衣装の古着を買いに行くか(あるかどうか分からないけど)という話になった時、ぼくのスマホに木村からLINEが届いた。

 「いま、ワンダーフォーゲル部の活動で惣岳山に来てます!」……はあ? そんな話は事前に聞かされてないんですけど。LINEの出欠確認では参加となっていたはずですけど。ぼくがフリーズしていると、続けて、山を撮った写真と「こちらは空気がおいしいです!」との一文が送られてきた。……おちょくってんのか。喧嘩売ってんのか。二個下の後輩のあまりの非常識な返信を前に、ぼくはもはや感情が無になった。

 数日後。大学の1号館の前で木村とすれ違った。まるで何事もなかったように、爽やかな笑顔で「(ぼくの下の名前)さん! お疲れさまです!」と声をかけてくる。……あのさあ。ぼくが木村に「ダブルブッキングに気付いたらその時点で連絡を入れてもらわないと困る」と注意すると、木村は急に猛反省した態度になって「絶対にもう二度とこんなことしません。本当にごめんなさい」と頭を下げてきたが、こんな公衆の面前で頭を下げられたら逆にぼくが悪者みたいになってしまうので、ぼくは慌てて「頭上げて! 頭下げないで!」と言って木村の頭を上げさせた。まるで「赤上げて! 白上げて! 赤下げないで白上げて!」みたいなやり取りである。

 ぼくが「スケジュールアプリとかリマインダーアプリとか入れてないの? 使ったほうがいいよ」と言うと、木村は「入れてはいるけど使うの忘れちゃうんですよね」と言う。なんか以前にもまったく同じ会話を交わしたことがあった気がするぞ……。1号館の表のベンチ(代わりの階段)に木村を移動させて、「リマインくん」の使い方を教えてやる。「リマインくん」はおそらく日本でいちばん簡単なリマインダーなのでね。LINEのbotだからアプリですらないし(インストール不要)。

 その後、ぼくはサークルの練習や集まりの日程が決まる度に、木村に「リマインくんにスケジュール登録!」とLINEで促すようになった。完全に二度手間、三度手間である。ぼくの負担がハンパない。でも、その度に木村からは「スケジュール登録しました!」とメッセージが返ってきて、現にそれ以降、木村がぼくらの練習や会合をすっぽかすことはなくなった(集合時間に遅刻してくることはあるが)。

 もしかしたらこれも、「工夫をすればできるようになる」という話の一例なのかもな。「リマインくん」という文明の利器のおかげで木村も周囲の人間も楽になったわけだ。まあ、ぼくが「リマインくん」を教えてからまだ3か月半しか経っていないので、木村が約束をすっぽかしてないのはたまたまかもしれませんけどね。ぼくは一切油断してないぞ!

 ぼくは代々木公園で目撃する。目撃したのはブラインドマラソンの練習(たぶん)だが、それ以上にもっと重要なことを目撃したような気がする。もちろん、工夫をすればなんでもできるというわけではないだろう。難しそうなことができるようになったとして、それは「別の形でできるようになった」という話にすぎないかもしれない。でも、工夫をしてみる価値はある。人生を楽しむため、人生をあきらめないために試してみる価値はある。せっかく生きているのだ。絶望したままじっとしているのはもったいない。なにしろ人生は意外と長いのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?