ぼくはアイスを差し入れする
ぼくには好きなひとがいる。交際二年目の彼女の由梨……のことは人間として尊敬しているし「大好き」なのだが、ごめんなさい、ぼくは本当はゲイなのです。ぼくが恋愛的な意味で「好き」なのは、サークルの二個下の後輩の深田健也である。今年の4月、うちの大学の放送サークルにミキサー志望で入部してきた。ぼくはこの深田に恋をしてしまっているのである。
ご存じない方のために言っておくと、深田はとにかくかっこいい。それでいて笑顔がかわいい。爽やかで、優しそうで、清潔そうで、背が高くて、恐竜で喩えるならブロントサウルスに似ている。アパトサウルスではなくブロントサウルスである。少し前に上野の森美術館の『特別展 恐竜図鑑』に彼女の由梨と行ってブロントサウルスの模型を見た時、ぼくは深田を連想した。あの穏やかだけど頼もしくて首が長い感じ。まさしく深田だ。
6月の番組発表会のことをまだnoteに書いていなかったので書いておく。うちのサークルでは今年の6月、内部向けの番組発表会があった。これは一年生が主体となって開催する発表会で、それまで先輩の下で修行的なことばかりさせられていた一年生にとってのデビュー戦である。それ関連のことは「ぼくは後輩の男子に恋をする」という記事にも少し書いたので、まあ、暇で暇でしょうがない方はお読みください……
当然、この6月発表会には深田も参加した。技術部門の一員として、ミキサーとして参加した。今回、深田がミキサーを担当したのは、第一部のオープニング企画と、第二部の大トリを飾る音声ドラマ(一年の関口が脚本・演出を務めたやつ)、そして直後のエンディングであった。
放送研究会界隈のひとならご存じだろうが、生上演の音声ドラマのミキサーを任されるというのは、それだけ腕前を信用されているという証だ。音声ドラマのミキサーは難しい。そのことはぼく自身が音声ドラマの作り手なのでよく知っている。この6月発表会で音声ドラマは関口の番組一本のみで、深田はそのミキサーを担当した。この事実だけでも、深田はうちのサークルの一年を代表するミキサーだということが読み取れる。
この6月発表会は一年生主体の発表会なので二・三年生の部員は番組を出品しないことがほとんどだが、ぼくは「発表会が開かれるのに番組を出品しない」などという事態には耐えられないので、出品させていただいた。というより、部員たちはぼくの新作を期待しているし、ぼくが音声ドラマを作ることを当たり前のことだと思っているので、ぼくは仮に出品するつもりがなくても出品しないわけにはいかないのだ(なんだか自慢しているように聞こえたら申し訳ない)。ただ、そうはいってもぼくも多少の空気は読める男なので、30〜40分の「ドラマ」ではなく尺の短い「ファルス」を制作するに留めておいた。主演も岩下(ぼくの作品にいつも主演する二年男子)ではなく村井(ぼくの作品にたまに出演する二年女子)、という「番外編」仕様である。まあ、逆に言うと、ぼくの軽めの作品を観られるのは内部発表会のような会においてだけだから、これはこれで見ものではあった。
そういうわけで、6月発表会でのぼくの負担は少なかった。自分のところの練習が少なくて、よそのことにも意識が向く分、ぼくは深田がどんな風にミキサーを務めるのかが気になってしょうがなかった。いや、ミキサーの作業自体は誰がやっても似たり寄ったりだろうが、ぼくは単純に「深田のミキサー姿」を見てみたかったのである。ぼくは深田がミキサーを務める音声ドラマの練習、つまりは関口の音声ドラマの練習を見学しに行きたくなった。
ただ、先輩が後輩たちの練習風景を見学に行くというのは、パワハラチックであまり褒められたものではない(と思う)。そこでぼくは一計を案じた。一年男子の阿久澤を利用することにしたのだ。ぼくはサークルでは渉外部門にも属している。渉外部門の後輩であり、今回の関口の作品に主人公の友人役で出演している阿久澤に差し入れを持っていくという名目で、ぼくは関口の作品の練習現場にちょいとお邪魔しようと考えたのである。
ぼくは決断したら行動が早いタイプである。ある日の部会が始まる前、阿久澤からミキサー込み練習(つまりは深田が参加する練習)の日程をそれとなく聞き出し、「いやあ、頑張ってるねえ。ご褒美にみんなにアイスでも差し入れに行こうかな? うん、行くよ! 絶対行く!」と一方的に宣言する。それを聞いた阿久澤は「……?……ありがとうございます」と言いつつ、明らかに何か訝しがっているようすだった。ただ、ぼくが「何味のアイスが食べたい?」と聞いたら「バナナがいいです!」と笑顔で返答してきたので、おそらくその時点で、阿久澤が抱いていた「何か企んでやがるな」という警戒心は「バナナ味のアイスが食べたい」という欲望に取って代わったはずだ。欲望に忠実なのは悪いことではない。阿久澤はかわいいやつだ。
作戦決行当日、ぼくは自宅から折り畳み式クーラーボックスを持っていった。高校時代に天文部の課外活動用に自腹で買ったアルミ製のやつだ。大学近くのコンビニをめぐり、バナナ味のアイスを見つけるのに苦労しつつ(阿久澤はどうしてバナナ味のアイスを食べたいなんてホザいたんだ?)、ぼくは、関口の作品の練習場所である部室へと向かった。
部室の扉を開けると、ちょうど練習が始まろうとしているところだった。みんなが一斉にぼくを見る。部室内には関口の作品の出演者4~5人(阿久澤を含む)だけでなく、作品とは無関係の岩下と梶もいた(というか岩下と梶はいつも部室にいてゲームをしている)。そして、あっ、深田が部室のミキサー席に座っているではないか。やっぱり深田はかっこいい。爽やかで高身長でイケメン。ブロントサウルス。まあ、この時は椅子に座っていたから「高身長」という要素を実感することはできなかったが、そんなことはどうでもいい。椅子に座っていようがいまいが、深田はぼくの理想とする男子なのである。はあ、深田。好きだ。部室の扉を開けたぼくを深田は爽やかな顔で直視している。照れるなぁ……
ただ、この時、ぼくはもう一つの視線の存在にも気が付いていた。関口の視線である。関口は眼鏡をかけていて、だからってわけではないが、目つきが怖いと思われがちである。口数も多くはないので、不機嫌なのかと勘違いされることもある。ただ、実際には関口は穏やかなやつで、話してみたら楽しいやつだ。ぼくは5月に梶・田川・関口・ぼくの男子4人で『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を観に行ったのでそれを知っている。
しかしこの時ばかりは、関口の目つきは本当に恐ろしかった。「いまから練習を始めるところだってのに、お前は何しに来たんだよ」いう視線をぼくに送っていた。だったら岩下と梶にも同じ視線を送らなければ不公平だと思うのだが、岩下と梶はもはや部室の背景と化しているから関口としては気にならないのかもしれない。あるいは、ぼくが音声ドラマ制作の先輩だってことが関係しているのかもしれない。まあ、そういうもんなのかもな。ぼくはこのサークルを象徴する音声ドラマの作り手だ。発表会では毎回大トリを任される大物ディレクターだ。練習現場にぼくなんかがいたらオーディションを受けているみたいで気まずいのかもな。
自分がこの場にお呼びじゃないことを悟ったぼくは、「……あっ、れ、練習お疲れさま!……これっ、よかったらあとでアイス食べて! (阿久澤に向かって)バナナ味のアイス見つけるの苦労したからな! ……あ、岩下と梶の分はない」と言ってクーラーボックスを部室のテーブルの上に置くと、そそくさと部室をあとにした。はあ、これじゃただのアイス配りおじさんじゃないか。深田のミキサー姿を1秒も見れてない。見れてないのにアイス代合計1,107円(税込)が一瞬で消えた。トホホのホ。虚しのし。ただ、部室の扉を閉める時にミキサー席のほうに目をやったら、笑みを浮かべた爽やかな高身長のイケメンと目が合ったので、本日のところはそれでよしとする。
後日、阿久澤と会った時に「差し入れしたアイスどうなった?」と聞いたら、「あ、ごちそうさまでした! みんな練習しながら食べましたよ」と伝えられた。ずいぶんとフランクな職場だな。ぼくの音声ドラマの練習現場だったら、「食べながら」なんてあり得ない。ぼくはあの時、種類の違うアイスをいくつも買って持っていった。深田がどのアイスを選んだのか気になる。「アク(阿久澤の愛称)はバナナ味のやつ食べたんだよね?……その……他のみんなは何食べてた?……関口とか、ふ、深田とか……何選んでた?」とぼくは尋ねる。ぼくの質問の意図を訝しがりながらも、阿久澤は「なんだったっけ? セキさん(関口の愛称)はバニラ、フッカ(深田の愛称)は夕張メロンだったと思います。よく憶えてないですけど」と回答してくれた。
その直後、阿久澤に「どうしてそんなこと知りたいんですか?」と聞かれたので、ぼくは「……いや、ぼくコンビニでバイトしてるじゃん? だから若者がどのアイスを食べるのか気になって……ほら、例えばフッカだったらサッカーが好きだから、『サッカー好きの18歳男子は夕張メロン味を選ぶ』っていう傾向を読み取れる。マーケティングリサーチだよ、マケリ」などとうそぶく。もちろんまったくの嘘八百だし、マーケティングリサーチが「マケリ」と略されて呼ばれているかすら知らないがうそぶく。阿久澤が「サッカーと夕張メロンは関係ないですよ(笑)」とツッコんできてそれで会話は終了したが、好きな子の好きなアイスの味を知りたいというゲイの乙女心は、こんな珍妙なやり取りさえ可能にするのだ。
ところで、6月発表会での深田のミキサー姿はどうだったかって? それがですね、非常に残念なことにですね、ぼくが当日座った席からは深田(らしき物体)の背中しか見えませんでした。ぼくは暗闇の中で頑張って目を凝らしたが、深田(らしき物体)の背中の影をなんとなく感じることしかできなかったのである。こんな悲しいことってあるだろうか。だが考えてみれば、音声ドラマの生上演中に客席からミキサーの姿がモロに見えていたら観客的には興醒めなわけで、これはどうしようもないことである。
肝心のミキサーとしての仕事ぶりについては、深田はほとんどミスをしなかった。「ほとんど」と書いたのは、本番で初めて関口の音声ドラマを聴いたぼくでも「あ、これはミスだな」と分かるミス(効果音の遅れ)が一、二箇所あったからだ。そのミスを目撃(聴撃?)して、ぼくはちょっと意外に感じた。ぼくの作品の専属ミキサーである篠丸はこんなミスはしない。爽やかで高身長でイケメン、優しそうで穏やかで頼もしい「完璧男子」がまさか仕事で失敗するなんて。意外だ。
だけど、終演後の打ち上げで、ぼくは深田に「フッカ、ミキサーよかったよ。ミスも少なかったし、うん、よかった」と声をかけてやった。すると、さっきまで微笑をたたえていた深田は真顔になって、「いや……何箇所もミスしてしまって……セキさんにも迷惑をかけてしまって……」とつぶやいた。よくない話を振っちゃったかな。「いいんだよ! 初めてで完璧だったら逆につまらないじゃん? やっていくうちに手応えが増えていくから面白いんだよ!」とぼくは深田を励ます。それを聞いた深田は無言でぼくの目をじっと見つめる。えっ、うそ、もしかしてぼくこのままキスされちゃう?と一瞬思ったがそんなことはなく、深田は微笑モードに戻って「頑張ります」とぼくに告げた。うん、好き。深田、好き。この日のこの会話によって、ぼくは改めて深田のことを好きになったのだった。
次の日、ぼくはコンビニで夕張メロンのアイスを買った。あの日に部室に持っていったのとは違うコンビニの違うアイスだし、「夕張メロン」ではなく「北海道メロン」と表記されている商品だが、それでもぼくは夕張メロン味のアイスを通じて深田とつながりたかったのだ(キモい)。夕張メロン味のアイスを食べながら、ぼくは深田のミスを「意外」と思った自分を恥じる。人間がミスをすることは何も意外なことではない。そもそも深田は完璧な人間じゃないし、完璧な人間なんてこの世にいない。人間は完璧だったら逆につまらない。ぼくは「完璧男子」なんかじゃないから深田のことが好きなんだ。ぼくは深田が大好きだ。