ぼくの彼女は頭痛で休む

 ぼくの彼女は頭痛で休む。それはこの前の日曜のことだった。毎週日曜、ぼくと彼女は必ず会うことになっている。お互いのサークル(大学は違うがどちらも放送サークルに所属している)の発表会だとか、ゼミのフィールドワークだとか、友達との約束だとか、親族の用事だとかがあるとそちらが優先されることになるが、そういうわけでもない限り、ぼくは必ず由梨と会ってどこかへ行かなくちゃいけないのだ(言い方)。

 その日、ぼくと由梨は、JR桜木町駅改札前で12時00分に待ち合わせ、一緒に映画を観に行くことになっていた。ぼくもそのつもりで目覚まし時計を11時にセットしていた。10時50分、目覚まし時計が鳴る。ぼくは目覚まし時計の時計の針を実際の時間より10分早めに設定しているのである。「まだ10分眠れるな……なんなら20分眠れるな……」と思いつつスマホを覗くと、由梨からLINEのメッセージが届いていた。「頭痛がひどくて家を出られないかも。どうしよう」という内容だった。どうしようと聞かれても困るのだが、とりあえずぼくは「大丈夫? とりあえず今日はお休みにしようか。明日の午後も会えるわけだし!」と返信を送った。

 正直に言うと、この時、ぼくはデートの中止を喜んでいた。というのも、この日のぼくはものすごく眠い上に疲れが残っていて、デートが中止になれば家でゆっくり過ごせるぞと思い浮かんだからである。しかしそれは悪い人間の発想である。ぼくは湧き起こった罪悪感を打ち消すために、由梨に「お母さんかお父さんには相談した? お薬があるといいんだけど」と追いメッセージを送った。あなたの体調心配していますよアピールである。まあ、前にも由梨が「頭痛がするから今日の会う予定は中止させてほしい」と連絡してきたことはあったが、翌日にはケロッと回復していたので、ぼくは実際にはそこまで……というかまったく心配していなかった。

 返信を待つ。来ない。既読にすらならない。まあでも、このあと由梨から「いや! やっぱり無理して家を出ることにする! 12時に桜木町駅前で!(遅刻したら許しません)」というメッセージが送られてくる可能性は限りなくゼロに近い。ぼくは外出の準備はせず、パジャマのままでゴロゴロすることにした。由梨から今朝送られてきていたメッセージを改めて読む。「頭痛がひどくて家を出られないかも」。頭痛かあ。由梨はたまに頭痛になる。ぼくは小さい頃にめまいに悩まされていたが、「頭痛」と呼べるほどの頭痛を経験したことがないので、「頭痛がひどい」という感覚がピンと来ない。この世に頭痛が存在しないとは思わないが、頭痛ってものが何なのかがよく分からないのだ。きっとぼくの「めまい」も、めまいに悩んだことがないひとにとってはそういう感じなんだろうな。人間は自分の経験していない病気には冷淡になりがちである。そんな症状は実在しないのではないか、詐病なのではないかとさえ疑いがちである。でも、症状を訴えるひとは確かに実在するのだ。「自分にはよく分からない」けど「他人にはよく分かっている」という事柄に直面したのなら、その認識のギャップを埋めるためにこそ、人間は想像力を働かせるべきだと思う。

 ……などという哲学的なことを考えているうちに(実際には寝起きなのでそこまで頭は回っていない)、由梨から返信が届いた。「おはよう。お母さんには話した。薬も飲んだよ。無理すれば行けそうではあるんだけどね」。重症ではなさそうなのでひとまず安心。ぼくは「今日はしっかり寝て休んだほうがいいと思います。水分はしっかりとって」と返信する(水分と頭痛の関係は不明だが)。すぐに由梨から「本当ごめんね。明日までには治す!」という宣言とちいかわのスタンプ(目を潤ませたちいかわが寝ながら震えているやつ)が送られてきた。ぼくは三国志のスタンプ(孔明が「無理をせず自愛せよ」と言っているやつ)を返すと、起き上がって顔を洗って、来月分のウェブ番組の台本(すでに仮完成させていた)をまとめて、明日学校で書くつもりでいたレポートも書き始めた。

 翌日。月曜日。由梨が「頭痛はもうなんともない」とメッセージを送ってきていたので、ぼくらは3限後(向こうの時間割では4限後)(ぼくの大学は100分授業制だが由梨の大学は90分授業制なのでこうなる)にJR吉祥寺駅前で待ち合わせた。昨日会うはずだったのに会わなかったので、なんだか久しぶりに会う感じがしてしまう。由梨の洋服探しに付き合ったあと(結局由梨は何も買わなかったが!)、晩ご飯のお店をノープランで探し歩く。由梨が看板を見て「お好み焼きにする?」と口走ったが、お好み焼きを食べたくてそう口に出したわけではないのは明らかだったので、ぼくは「病み上がりなんだし温かい料理がいいんじゃない?」と提案して、結局ぼくらはコピス吉祥寺の洋食屋さんへ行った(由梨はオムライス、ぼくはビーフしょうが焼きを食べた)(お好み焼きのほうが温かい料理だった説あり)。

 ご飯を食べながら、お互いの頭痛とめまいについて改めて情報交換する。由梨は中学生の頃から頭痛になることがたまにあって、病院で診てもらったこともあるらしい。かわいそうに。ぼくは「もっと大きな病院で診てもらったほうがいいんじゃない?」と言うが、由梨は「そういうんじゃないから」と言ってなぜか少し不機嫌になる。お店を出て、コピス吉祥寺上階のキャラパークとジュンク堂書店に寄ったあと、由梨が井の頭公園に行こうと言ってきた。「病人なのに大丈夫?」「病人ではない」というやり取りののち、ぼくらは井の頭公園内を歩き、ベンチに座る(ぼくが由梨に告白した時のベンチではない)。今夜のぼくはコンビニバイトの夜勤がないので気楽だ。

 ベンチに座りながら、ぼくらは来月開催されるお互いの学祭についての話をする。学祭の話題については洋食屋さんでも話したけど、ぼくらはまだ話し足りなかったのだ。ぼくらはお互いにツッコんだり合いの手を入れたりしながら話し合い、聞き合っていた。その最中、自分でも不思議なことに、ぼくは急に由梨の頭痛のことが気になった。もう治ったって言ってたけど、頭痛って一日で治るものなんだろうか。ぼくは頭痛になったことがないから分からない。もしかしたら由梨は無理しているんじゃないだろうか。

 気が付いたら、ぼくは「由梨、大丈夫?」と言いながら由梨の頭をおそるおそる撫でていた。急に頭を触られた由梨は少し驚きながら「何が」と聞いてくる。ぼくは「……いや、頭痛が」と答える。由梨は怪訝な顔をして「大丈夫だけど」と言い返す。なんか気まずい。3秒間の沈黙ののち、由梨が「ずっとわたしの頭痛のこと考えてたの?」と聞いてきたので、ぼくがよかれと思って「うん。ずっと由梨の頭痛のこと考えてた」と答えたら、由梨はまるで子どもに諭すかのように「よくないよ。本人がもう大丈夫だって言ってて、本当に大丈夫なのに、そうやって心配し続けるのはよくない」と説教してきた。うーん、納得いかない。ぼくのそれはむしろ愛情表現なのに(ぼくはゲイなので恋愛感情とは別の人間愛的なやつだが)。そこは素直に「わたしのこと思ってくれてありがとう」でいいんじゃないか? みなさんもそう思いますよね? もしぼくがサークルの後輩の深田(ぼくの片想いの相手)に体調を気遣われたらそれだけでぼくは感激して気絶してるぞ!

 そういうぼくの心の内を察したかのように、由梨は「気持ちはうれしいけどね」と言うと、ぼくの右腕を右手で握ってきた。意味が分からない。なぜ腕を握るのだ。しかも揉むのだ。ぼくは別に右腕凝ってるわけじゃないぞ。全然気持ちよくないし。ぼくが揉まれている自分の右腕を見ながら半笑いで「なにこれ」と言うと、由梨は無言で笑いだした。これまた意味が分からない。笑いのツボおかしいだろ。ぼくが「バカじゃないの」とツッコむと、由梨は笑いながら頭を横に振って「バカじゃない」と返してきて、それで気まずい空気は解消されたが、ぼくはこの時、自分はなんだか変なひとと付き合っちゃってるなと思いを新たにしたのだった。来月、ぼくはこの変なひとのご実家へ伺ってご両親とお会いする。先日、由梨からの誘いを断れずについに約束してしまったのだ。はあ。いまからガチ中のガチで憂鬱である。どうにかして中止する方法はないだろうかと、ぼくはいま頭を痛めている。……もしかしてこれが頭痛ってやつなのだろうか?(違う)

いいなと思ったら応援しよう!