ぼくの彼女は体をぶつけてくる
ぼくの彼女はぼくに体をぶつけてくる。二人で並んで歩く時のことだ。しょっちゅうぶつけてくる。並んで歩く度にぶつけてくる。ぼくはこれが気持ち悪い。やめてくれって思うし、実際に最初の頃は「やめて」って口に出して要請したりもした。ただ、彼女は全然言うことを聞いてくれない。普段は決してぼくの嫌がることをやるようひとじゃないのだが、この体ぶつけの術に関してだけは一歩も引かない。「ごめんごめん」と言いながら、1分後にはまた体をぶつけてきたりする。だからもう最近のぼくは何も言わない。言ったところでどうせぶつかってくるのだからぼくの声帯の無駄遣いで終わるのは分かり切っているし、もしかしたら彼女は「誰かと並んで歩く時にその誰かに体ぶつけないと気が済まない病」(ぼくの知らない国指定の難病)なのかもしれなかった。ぼくは聖人である。謎の奇病に侵された彼女にキツくあたるような残忍な男ではない。いいじゃないか、体をぶつけてくるぐらい。痣ができるわけじゃあるまいし。ぼくは仏の心で彼女の暴力を受け入れる。30秒後、彼女がまた体をぶつけてくる。うう。ふざけやがって。ぼくはそれ気持ち悪いんだぞ。体ぶつけてくるな。ぶつけてくるなー!(涙)
交際を始める前の最初のデートでは、たしか由梨はぼくにぶつかってこなかった気がする。ただ、二度目のデートで下北沢のヴィレッジヴァンガードに行った時、つまりはぼくが人生で初めてヴィレッジヴァンガードに入った時のことだけど、あの時にはもうすでに由梨はぼくに体をぶつけてきていたような気がする。日本全国のヴィレッジヴァンガードがたぶんそうなのだと思うが、あの雑貨店は物でごちゃごちゃしていて店内が狭い。一緒に珍妙な商品を眺めながら、由梨は「なになにそれ?」とか言って覗き込むようなフォームでぼくに体を近付けてきた。空間の狭さを利用した実に自然なスキンシップである。人生初の彼氏はぼくだという由梨の証言をぼくが信用できないのは、こういうエピソードがいくつもあるからだったりする。まあそれはどうでもいいのだが、ともかく、二度目のデートでのヴィレッジヴァンガードで由梨はぼくに体を頻繁にすり寄せてきたのだった。いまになって思い返せば、あれが由梨のぼくに対する体ぶつけ習慣の萌芽だったのだろう。気が付けばぼくは由梨と会う度に体をぶつけられるようになっていた。
まただ。またぶつかってきた。皇居外苑の歩道で本日35回目(体感回数)の体ぶつけを感じながら、ぼくは、なぜ由梨がぼくに体をぶつけてくるのかを考察する。もしかすると由梨は欲求不満なんじゃないだろうか。本人に問うたところで否定されるだけだろうけど、なんとなくそんな感じがする。ぼくと由梨は普段ほとんど手をつながない。つないだことはあるが、つないだ場面をすぐに思い出せる程度に回数が少ない。たぶんだけど、それは由梨が「わたしの彼氏は人前で手をつなぐのを恥ずかしがるひとなんだ」と思い込んでぼくに気を遣い、ぼくと手をつなごうとするのを極限まで控えてくれているからなんだと思う(実際にはぼくはゲイだから女性と手をつなぎたくないだけなのだが)。でも、好きなひとと手をつなぎたくないわけなんかないよね。本当はつなぎたいよね。ぼくだって高校生の頃に同級生の須川くんと手をつなぎたくてしょうがなかったから、その気持ちはよく分かる。痛いほど分かる。いまだったらサークルの後輩の深田健也とつなぎたいし。由梨はぼくと手をつなごうとする代わりにぼくに体をぶつけてきているのかもしれない。手をつなぐのは二人じゃないとできない行為だけど、体をぶつけるのは一人でできる行為だから。手をつなぐのにはインタラクティブが求められるけど、体をぶつけるだけなら一方通行で成し遂げられるから。
皇居から東京駅へ歩いて向かう。皇居前の噴水公園を通りながら、ぼくは由梨の目を見て尋ねる。「……手、つなぎたい?」。ぼくの顔を見上げて由梨は「うん」と答える。まったく欲望に忠実なやつだ。ぼくは本当は女の子とは手をつなぎたくないが、それは必ずしも由梨と手をつなぐのが不快だという意味ではない。ぼくは自分の右の手のひらを由梨の左の手のひらに重ね合わせる。手をつなぐ度に思うが、由梨の手はぼくの手より冷たい。触れるとちょっとひんやりする。逆に向こうは「生ぬるい」とか思ってたりするのかな。ぼくらの左側で噴水が吹き上がる。ぼくはこの噴水公園の噴水が好きだ。できればそこの階段みたいなところに座って噴水を眺めていたい。「ちょっと遠回りしよっか?」。ぼくの心を知ってか知らずか、由梨がぼくに公園の奥のほうへ行こうと促す。「うん」。手をつないだ状態のまま、ぼくらは噴水の反対側へ回る。あれ。そういえば、さっきから由梨がぼくに体をぶつけてきてない気がする。やっぱりそうだったのか。体をぶつけるのは手つなぎ代わりのアレだったんだな。ぼくは由梨に色々気を遣わせちゃってたんだな。罪悪感までは抱かないけどちょっと複雑な気分。と思っていたら、由梨がまた体をぶつけてきた。ぼくがせっかく手をつないであげているのにぶつけてきやがった。結局どっちにしろぶつかってくるんじゃないか! やれやれ。やっぱりぼくの彼女は謎の奇病に侵されているようです。