ぼくに幸せになる権利はあるか
最近のぼくは小さな不幸が続いている。バイト先のコンビニで男性客からいきなり怒鳴られた。高校生の時から愛用しているシャーペンのクリップ部分が折れた。JR京浜東北線に乗っていたら浜松町駅で乗ってきた女性に体当たりされた。電車の中で読んでいた『十角館の殺人』文庫版をリュックにしまう時にハードカバーの本の角にぶつけてしまって小口に凹みを作った(もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓ったのに!)
……まあ、最後のやつは自分の不注意にすぎないが、この手の小さな不幸が最近のぼくには連発している。こういう小さな不幸に遭遇した時、ぼくはかなり引きずるタイプである。腹が立つというより、テンションが低くなって「どうせ自分なんて……」と自己嫌悪に陥る。そして、「そうだよな。ぼくには幸せになる権利なんてないもんな。ぼくには憲法13条の幸福追求権が認められていないのだ」という極端な結論に至る。
話は変わるようだが、ぼくは小学生の時は女子からモテた。こんなことを書いてもどうせ自慢だと思われるだけなんだろうが、かなりモテた。同じ学年のほとんど話したことがない女子たちから付きまとわれたりしたし、まったく話したことがない女子たちからバレンタインデーのチョコをもらったりした。こう言っちゃなんだが、ぼくとしては全然うれしくなかった。ありがた迷惑だった。好きじゃないひとから好意をぶつけられても対応しようがないし、そもそもぼくはゲイなのである。
ぼくが幼稚園の頃から仲が良かった同い年の女の子で、日奈子ちゃんという子がいる。上品で明るくて優しくて賢くてかわいくてきれいな子だった(The才色兼備)。幼稚園の頃や小学校低学年の頃、日奈子ちゃんと日奈子ちゃんのお母さんは、ぼくのために恐竜のおもちゃや恐竜のポスターや恐竜の筆記具(そういうのがあるんですよ)を定期的にプレゼントしてくれていた。ほら、ぼくは小っちゃい頃から恐竜が大好きですからね。
とはいえ、日奈子ちゃんはぼくのことを恋愛対象として見ていたわけではなかったと思う。あくまでも幼なじみだと思っていたと思う。だからこそぼくは日奈子ちゃんと仲良くいられたわけだし、日奈子ちゃんと二人で遊んでいても緊張しないで済んでいたわけだ。これは余談だが、ぼくがUNOのルールを覚えたのは日奈子ちゃんと日奈子ちゃんのお兄さんのおかげだ。
ぼくも日奈子ちゃんも、幼稚園を卒園したあと、近所の同じ区立小学校に入学した。ぼくと日奈子ちゃんは1・2年生の時に同じクラスだった。3年生に進級する時も同じクラスだった。3年生になって、ぼくは女子からますますモテるようになった。ぼくは毎日うんざりしたが、波風を立てたくはなかったので、日々ぶつけられる好意についてはのらりくらりとかわしていた。見て見ぬふりというか、薄いリアクションで受け流すというか。
ある日の休み時間。ぼくは教室で同じクラスの女子3人に取り囲まれた。林田という女子をリーダーとする3人組である。怒った感じで「この3人の中で誰が好きなのかハッキリして!」と迫ってくる。言っておくが、ぼくは誰にも思わせぶりの態度をとったことはない。3人とはほとんど話したこともないし、そもそもぼくが女子に興味を持つはずがない。ただ、この場で「誰のことも好きではない」と告げたら火に油を注ぐだけだと思ったから、ぼくは「そんなの知らないよ!」と言って、走って男子トイレへ避難した。
それからほどなくしてのことである。図工の授業なのでクラスみんなで図工室へ移動し、図工の先生が来るのを待つ。その時に事件は起きた。林田が日奈子ちゃんの体を無理やり押しながらぼくの前までやってきて、「日奈子ちゃんは(ぼくの下の名前)くんが好きなんでしょ! キスしなよ!」と叫んだのだ。そして、ぼくの服に日奈子ちゃんの唇を押し付けた。
クラスのみんながその光景を見ていた。みんな絶句していた。ぼくの隣でぼくとさっきまで会話していた亀井(男子)もあ然としていた。ぼくが「えっ、なに? なんなの!」と戸惑っていると、図工の先生がやってきたので、林田も日奈子ちゃんもそれぞれの席へ戻っていった。その時、ぼくが日奈子ちゃんの顔を見ると、日奈子ちゃんは無表情だった。日奈子ちゃんの隣の菅野(日奈子ちゃんの友達)が「大丈夫?」といったようなことを日奈子ちゃんに尋ねていたが、日奈子ちゃんは何事もなかったかのように教卓のほうを見ながらうなずくだけだった。
明らかに日奈子ちゃんは巻き込まれたのだ。図工の授業のあと、ぼくは周りの目を気にしながらこっそり日奈子ちゃんに近寄って、「さっきの大丈夫だった?……なんかごめんね……」と謝った。この「ごめんね」というのは、ぼくがモテすぎるせいで日奈子ちゃんに迷惑かけちゃってごめんねという意味である。そうしたら日奈子ちゃんは、ぼくの目を一瞬だけチラッと見たあと、「ううん、気にしないで。全然大丈夫だから」と言った。
全然大丈夫なはずがないと思った。だって、ぼくの目を一瞬しか見ていない。見たあとすぐに目線をそらした。それに、いつもの笑顔がない。声も明るくない。いつもの日奈子ちゃんのあの元気な感じじゃない。でも、当時のぼくは、日奈子ちゃんが「全然大丈夫だから」と言ってくれているという形ばかりの事実に安心してしまって、心のどこかにモヤモヤするものを感じながらも、この出来事をスルーすることにした。
それから数週間後のことだっただろうか。もしかしたら数日後のことだったかもしれない。日奈子ちゃんが学校に来なくなった。ぼくはまったく気付いていなかったのだが、先生が調べた結果、少し前から林田たちが日奈子ちゃんを陰でいじめていたことが明らかになった。空き教室に閉じ込める真似をしたり、筆記用具や巾着を隠したりしていたらしい。
このいじめのことはクラスの学級会で話し合われた。学級会では林田が泣きながら抗弁していた。「遊びのつもりだった。いじめだと思うなんて日奈子ちゃんのほうがおかしい」とか言っていたかな。ぼくは「(日奈子ちゃんの名字)と仲が良いから」という理由で先生から個別に呼び出され、何か知っていることはないかと話を聞かれた。ぼくはその聞き取り調査を受けながら、自分がこうして個別に呼び出されているのは「もとはと言えばお前が悪いんだぞ」という意味だと感じ取っていた。いや、別に先生はそんなことを匂わせてもいなかったが、ぼく自身はそう感じたのだ。
ぼくは自分が女子からモテていることを迷惑に感じながらも、波風を立てたくないから状況をスルーしていた。そのことが女子たち、特に林田たちにとっては「煮え切らない態度」と受け止められた。それで、感情の行き場が見つからない林田たちは、ぼくと仲が良い日奈子ちゃんに八つ当たりした。日奈子ちゃんをいじめた。日奈子ちゃんは耐えた。でも、とうとう限界が訪れて(おそらくは図工室での強制キス事件が決定打になったのだろう)、学校に行くことができなくなってしまった。そういうことなのだろう。
ぼくが女子たちに毅然とした態度で接していれば、日奈子ちゃんがいじめられることはなかったはずである。すべてはぼくが悪い。ぼくが大事な友達の人生を狂わせてしまったのだ。そう考えると、ぼくは自分が嫌になった。自分のことをこの世で最低の人間だと感じた。ぼくのような人間は幸せになる権利などないと思った。わずか10歳でこれだけのことを思えるのだから、ぼくはなかなかの悲劇の哲学者である。ぼくがキルケゴールを他人だと思えないのはこういう事情があったからだったりする。
日奈子ちゃんはだいぶ長いこと学校に来なかった。ぼくの母親と日奈子ちゃんのお母さんはたまに連絡を取っていたようだが、ぼく自身が日奈子ちゃんに会うことはなかった。だが、4年生の途中から日奈子ちゃんは保健室には通うようになり、5年生の途中からはまたクラスに戻れるようになった。これは5年生に進級するにあたって日奈子ちゃんと林田が別のクラスになったからでもあるんだろう(ついでに言うと、日奈子ちゃんをいじめていた他の女子の一人も親の都合で転校していた)。日奈子ちゃんは上品で明るくて優しくて賢くてかわいくてきれいな子だから、またたくさんの友達に囲まれて、以前のような明るさと笑顔を取り戻していった。
どういうわけか知らないが、ぼくと日奈子ちゃんは5・6年生の時も同じクラスだった。休み時間や下校時間に日奈子ちゃんから話しかけられることもあったが、ぼくのほうが気を遣ってしまって、昔のような仲良しの関係には戻れなかった。クラスの遠足で森林公園へ行って、ぼくが雑木林の中で尻もちをついた時、近くにいた日奈子ちゃんが「はい!」と言ってぼくに手を差し伸べてくれたが、その時もぼくは「いや、大丈夫」と言って日奈子ちゃんの助けを拒否した。ぼくが日奈子ちゃんに関わるとロクなことにならない。そう思ったからだ。
小学校を卒業すると、ぼくは近所の区立中学校、日奈子ちゃんは少し遠くの私立中学校に進学したので離れ離れになった。以来、ぼくは日奈子ちゃんと一度も会っていない。日奈子ちゃんがいまどこでどうしているのかも知らない。でもそれでいい……というより、それがいいのだと思っている。
ぼくが他人を傷付けたり迷惑をかけたりしたことは他にもたくさんあるが(ありすぎるが)、特にこの一件はぼくの罪状としてぼく自身の脳裏に深く刻み込まれている。バイト先のコンビニで客から怒鳴られたり、シャーペンのクリップ部分が折れたり、電車内で他人に体当たりされたり、文庫本の小口が傷付いたりといった小さな不幸に遭遇する度に、ぼくは「ぼくが不幸な目に遭うのはしょうがないよな。過去に友達を苦しめたんだもの」と自分で自分を納得させることにしている。そこに因果関係を見出すのは非合理的だが、実際、ぼくはそれで納得してしまうのだ。
いま、ぼくはゲイだが女性と付き合っている。そのひとは上品で明るくて優しくて賢くてかわいくてきれいなひとで、日奈子ちゃんと共通する部分が多い。いちばん共通していると思うのは一緒にいる時の空気感である。ぼくがそのひとと付き合い続けているのは、日奈子ちゃんへの一種の罪滅ぼしみたいなところがあるのかもしれない。
……っていやいや、全然罪滅ぼしにはならないですけどね。それに、二人を重ね合わせるのはどちらに対しても失礼な気がする。冷静に考えると日奈子ちゃんと由梨はまったく違う人間だし。由梨がぼくに恐竜グッズをくれたことは一度もないしな(今年の誕生日こそはもらえると期待していたのだがな!)。でもまあ、ぼくの小学生時代がいまのぼくに影響を与えているのは間違いないわけで、特にこの一件はぼくにとって重大な一件であり続けているわけで、でもこんな話はリアルの友人・知人にはしたくないような話なわけで、だから今回noteに書いてみたって次第です。それがどうしたって言われたらそれまでだけど、要は、ぼくは自分が幸せじゃなきゃいけないなんて思っちゃいませんぜってはなし。