ぼくはのんびりと年を越す
大学の長期休暇のうち、冬休みが最も期間が短い。これは世界中の……とまでは言わないまでも、日本中の大学生が実感していることである。より長く冬休みを過ごしたいと多くの大学生が思い、中には自主休講に挑む猛者もいるが、そんな勇気ある行動を取ったところで単位を落として後々苦労するのが関の山である。ぼくのような凡人は「冬休みはあっという間だったなあ……」などと内心ボヤきながらキャンパスへ向かうしかない。これ以上単位を落とすわけにはいかないからな!
去年から今年にかけての年越しは、ぼくが大学に入ってから最ものんびりした年越しだった。ぼくは大学の放送サークルに所属していた関係で、2年前の年越しはコミュニティラジオ局、1年前の年越しはメディア系企業のネット番組の年越し特番に携わっていた。特にネット番組の年越し生配信のほうはぼくが企画・構成・演出を務めて、同期の伊勢崎と若林がパーソナリティを務めて、かなり面白い番組になったと自負しているし、ぼく自身めちゃくちゃ楽しかった。生配信終了直後(つまり1月1日午前1時頃)、番組を視聴していた七尾さん(ぼくの尊敬する先輩)から「あけましておめでとう。エンディングの構成が上手かった」というLINEが届いたのもうれしかった。あの頃はまだ七尾さんと伊勢崎は付き合っていたっけ……
ちなみに、ぼくは、その年越し特番では『Linus And Lucy』という曲を番組のテーマ曲にした。スヌーピーのアニメ『PEANUTS』の挿入曲らしいが、ぼくは『PEANUTS』をきちんと見たことがないので、どういう場面で使われていたのかとかは知りません。ただ、音声ドラマの作り手をやっているとどうしても古今東西のサントラには詳しくなるわけで、スヌーピーのような国際的キャラクターのアニメのサントラぐらいには辿り着くのです。
音声ドラマにしてもバラエティ番組にしても、ぼくはテーマ曲というのは重要だと思う。テーマ曲があると統一感が生まれて作品・番組全体が引き締まる。『Linus And Lucy』についてはバックで流れるマスカラの音(ですよね? たぶん)がノイズっぽく聴こえるおそれがあったため、この曲を使うかどうかギリギリまで悩んだのだが、番組内容がバカバカしいからこそテーマ曲はお洒落な曲にすべきだと考えて結局この曲を選んだ。このセンスを同期の河村や後輩の岩下は理解できないようだったが、堀切と篠丸は「あのテーマ曲がよかった!」と褒めてくれた(さすがぼくの同志)。
……えっと、話を元に戻します。2年前と1年前は年越しの瞬間に忙しくしていたぼくだが、昨年12月に放送研究会を引退したため、去年から今年にかけては久々にのんびりと年を越すことになった。行くところもないし、バイトも入っていないので、自宅で過ごすことにする。岩下が引き継いだネット番組の生配信をチラッと見たりもしたが、「学生の番組」って感じでいまいち面白くない。いや、学生が作る番組なんだから「学生の番組」で当然なんだけどさ、企画が「学生生活」に寄りすぎていて退屈というか、中継もなかったし、年越し前に番組終わっちゃうし……まあ、ここで愚痴を書いてもしょうがないのでやめます。放送後、岩下には「途中のミニコントはバカバカしくてよかったよ」とLINEで送っておきましたけどね!
その晩は『CDTV』のカウントダウンで年を越して、七尾さんに新年のLINEメッセージを送ったあと、ぼくが去年立ち上げたインカレの放送サークルのグループLINEに新年の挨拶を投下した。そのあと、由梨(交際相手)や後輩や地元の友人から来ていた新年のLINEメッセージに返信した。日が昇って、元日の午前中はお雑煮を食べたあと、母親と一緒に、近所の母方の祖母宅だとかへ行った。祖母宅でおせち(具体的にはきんぴらごぼう)を食べている時、なぜか由梨から電話が来たので、家の外へ出て電話をかけ直した。「あけましておめでとう。今年もよろしく」というだけの内容だったが、途中で由梨がご両親に電話を代わったのでビビった。そういう過激なことをするなら事前に教えておいてもらいたい。
祖母宅の猫と戯れたあと、一人で自宅へ帰って、『爆笑ヒットパレード』を見ながら新年のLINEメッセージ(第二陣)に返信した。父親からもSMSで新年の挨拶が来ていたので返信した。ついでに、香川(学科の友人)と宮田(放送研究会の同期)と早瀬(学部の後輩)にも新年の挨拶を送った。あと、送るべきか迷ったが、後輩の深田(ぼくが片想いしている一年男子)にも自分のほうから新年の挨拶を送った。今度の代替わりで、深田は放送研究会のほうの新しい副会長になった。そういえば関口(ぼくが才能を認めている一年男子)も一緒に副会長になったんだったなと思い出して、関口にも新年の挨拶を送った。関口からはすぐに返信が来た。
母親からの「妹の家に寄るので帰りは遅くなる」という連絡を受け取ったあと、リビングのテレビをつけたまま、パソコンで動画コンテンツの作業を進めた。できれば去年中に完成させておきたかったが仕上がっていなかったやつである。ぼくは音声畑で生きてきた人間なので、動画編集は音声編集に比べると不得手だったりするのだ。チャンネルを日テレに変えて『笑点』を音だけ聴きながら作業していると、緊急地震速報の警告音がテレビから聞こえてきて、ぼくの部屋もすぐに揺れ始めた。
X(旧Twitter)を開いて、テレビのチャンネルをNHK総合に変えて、石川県の能登で大きな地震があったことを知った。スマホを手に取り、由梨に「大丈夫?」とLINEする。ついでに藤沢(サークルの後輩)にも安否確認する。冷静に考えれば神奈川県民と埼玉県民がまともな被害に遭っているわけはないのだが、その時はぼくもテンパっていたのだろう。ぼくには石川県に関係する知り合いはいない。ただ、河村は長野県、後輩の田川は山形県、そして関口は新潟県の実家に帰省中のはずなので東京と比べると震源に近いはずだ。それに、津波警報が出ていることも心配だった。ぼくは小学生の時の東日本大震災を思い出した。まあ、これはNHKのアナウンサーが「東日本大震災を思い出してください」と繰り返していたせいかもしれない。
安否確認のLINEを送ると、しばらくして河村と田川から返信があった。河村のところは震度3で混乱はなかったそうだが、田川のところは家の中のものが倒れたとのことだった(人的被害はなかったらしいのでよかった)。だが、関口からはなかなか返信がなかったので心配した。昼間の新年の挨拶はすぐに返信が来ただけに、今回の返信が遅いのには余計に心配になった。翌日に「自分は大丈夫です」との返信があったので一安心したが、実家の近くの道路がひび割れたとのことだったので、「くれぐれも気を付けて。何かできることがあったら言って」と伝えた。もちろん、ぼくにできることなど何一つない。ぼくはひび割れを埋めるセメントすら持っていない。せいぜい、貯まっていたTポイントをYahoo!ネット募金に寄付したぐらいである。
地震のあと、ぼくは何の被害にも遭っていないにもかかわらず(学習机の上の山積みの書類さえ微動だにしていなかった)、なんとなく胸がざわついてしょうがなかった。帰宅した母親と一緒に『相棒』スペシャルを見ていたが、あと数分で終了というところで「震度7」の速報が入って番組は中断された(結局「震度7」は間違いで「震度3」に訂正された)。自分の部屋に戻ってから、去年担当した年越し生配信の同録を聴き返した。例の『Linus And Lucy』がテーマ曲のやつである。ちょうど一年前の番組だが、いまの自分には思いつかなさそうな部分があったり、逆にいまの自分ならもっと上手く作れそうな部分があったりして、そういうところを意識しながら聴いていると気が紛れた。うん、ぼくは今年も頑張ろう。そう思った。何についての「頑張ろう」なのかは自分でもよく分からない。とりあえず明日のコンビニの夜勤のバイト?……いや、違う。ぼくは音声ドラマの作り手として頑張っていくんだ。そして時々はバラエティ系番組の作り手としても。
時間を確認したら深夜1時。今日はもう遅いので、明日の朝、インカレの放送サークルのグループLINEに改めて安否確認のメッセージを投下することに決めた。なにしろぼくはサークルのまとめ役だからね。当たり前のことのようだが、ぼくはぼくができることしかできない。昨日もテレビのインタビューで被災者の方が「よその地域と比べればうちはまだマシ」と話しているのを見て、同じ日本にいるのに断水にも停電にも道路のひび割れにも悩まされずにバカバカしい動画を編集している自分自身に罪悪感を覚えたりしたのだが、そういう割り切れなさを抱えながら毎日を生きるということしか、いまのぼくにはできない。しかし、それが「自分を生きる」ということの実態なのでもあろう。
そんなわけで、去年から今年にかけてのぼくの年越しは物理的にはのんびりしたものだったが、精神的にはちょっとだけピリッとしたものになった。「ピリッとした」っていう表現でいいのかどうか分からないし、ぼくという人間の中身はなーんにも変わっていないんですけどね。とにかくいまは被災地の一日も早い復旧を祈っています。祈りながら、ぼくはバカバカしい動画作品の二本目を仕上げつつあります。