ぼくは失恋する
今年の初め、ぼくは『十角館の殺人』というミステリー小説を読んだ。ある大学の推理小説研究会のメンバーたちが無人島へ合宿に行って殺人事件に巻き込まれるというお話だった。この小説を読んで、ぼくは「いいなあ」と思った。殺人事件を「いいなあ」と思ったのではない。サークルのみんなでの合宿を「いいなあ」と思ったのだ。
ぼくはもうすぐ社会人になる大学4年生である。3年生の冬まで大学の放送研究会の現役だった。引退するちょっと前にインカレの放送サークルを立ち上げたけど(インカレといってもほとんどのメンバーは放送研究会との兼部者だけど)、こっちのサークルでは一度も合宿をやっていない。社会人になったら合宿なんて気軽にやれなくなるだろうから、学生のうちに合宿をやっておきたかったなあ。
……と、過去形であきらめるのはまだ早い。なにしろぼくは卒業までまだ2か月弱あるんですからね。というわけで急遽開催してきましたよ、我がサークルの合宿を!
時期は今月上旬であります。急に開催を決めた合宿なので遠方・長期間・高予算は無理だ。藤沢(一個下の後輩)や井上公輝(二個下の後輩)と話し合った結果、合宿場所は池袋エリアとなった。……えっと、うちの大学は都内(23区)の私立大学でして、池袋は「旅行しに行く場所」でなくせいぜい「飲みに行く場所」なのですが、みんなが極限まで参加しやすい合宿を最大公約数すると「池袋」という解が出ちまったのです。
ぼくらが決めた合宿(1泊2日)のスケジュールはこんな感じ。
DAY 1
10:00 JR池袋駅・中央改札 みどりの窓口前 集合
→ 某テーマパーク(池袋駅から徒歩15分)へ移動
※ここで昼食を食べます
17:00 退園
17:30 池袋駅前の居酒屋系で夕食
21:00 一旦解散、帰るひとは帰る
→ 伊勢崎香莉奈の自宅マンション(池袋駅から徒歩15分)へ移動
※ここに泊まらせてもらいます
→ 伊勢崎香莉奈の自宅マンション近くの銭湯へ入湯
24:00 消灯
DAY 2
09:00 起床
→ 池袋エリアで撮影、もしくは遊ぶ
17:00 池袋駅近くの焼肉屋で夕食
21:00 解散
馬鹿みたいなプランである。ぼくが考えたとは思えない。ところが、「時間をかけない」「お金をかけない」「コストをかけない」というサステナブルな計画が功を成したのか、この度の合宿には、ぼくを含めて12人ものメンバーが参加した。もう少し集まれば某テーマパークでは団体割引が適用されるところだったが、冷静に考えると、12人の大学生が予告なく押し寄せてきて某テーマパークのスタッフのみなさんは相当警戒したと思う。
DAY 1 夜。みんなで晩ご飯を食べて「一旦解散、帰るひとは帰る」の段になると、伊勢崎と藤沢と木村とぼく以外の全員が帰宅した。12人中8人が合宿1日目で早退した計算になる。なんだこれ。「合宿」の名前倒れがひどすぎやしねえか……みんな自分の家で寝たい気持ちは分かるけどさあ……
でもまあ、「合宿やりたい! 急にやりたい!」というぼくの無茶ぶりにとことん付き合ってくれるひとが3人いただけでもありがたい。伊勢崎が宿泊場所として自宅を提供してくれたのもありがたい。……あ、念のためことわっておくと、伊勢崎はこの自宅マンションに実のお兄さんと同居している。だからこそ自宅に男子を泊まらせても平気なのであって、決してうちのサークルの風紀は乱れておりません。ついでに言っておくと、ぼくが伊勢崎宅に泊まることについて、ぼくは由梨(彼女)にも話を通していますのでご心配なく。そもそもぼくはゲイなので最初から心配不要なのだが。
伊勢崎のマンションにかばんを置かせてもらって(伊勢崎のお兄さんはまだ帰宅していなかった)、ぼくら男子3人は最小限の荷物だけ持って近所の銭湯へ行く。時間が遅かったからか、ぼくら以外にはお客さんが一人もいなかった。貸し切り銭湯である。「ガラガラじゃないですか」「やっぱり銭湯の経営って大変なのかな」などと言い合いながら、ぼくらは脱衣所で服を脱いで浴場へ入った。
さて、「22歳のゲイが同年代の男子と一緒に銭湯に入るとどうなるのか」というノンケ読者の疑問にこの場を使ってお答えしよう。そりゃ、ぼくは男性の裸に興奮し得る人間です。実際、同年代の男子と一緒にラブホテルの浴室で興奮し合ったこともあります。でも、ここは公衆浴場だ。そして一緒に入る相手は藤沢と木村だ。たしかに木村は外見的にはイケメンだが(藤沢も実はイケメンなのかもしれないが)、二人はぼくにとって「家族」と呼ぶべき間柄であり、関係性的に興奮しようがない相手なのである。……まあ、そんなこと言ったら「世の中には近親者間の性愛だってあるだろ」とツッコまれそうだけど、とりあえずぼくはそうじゃないって話です。
銭湯へ行くにあたってむしろぼくが心配していたのは、「藤沢と木村が銭湯でマナー違反の行為をしたらどうしよう」とか「藤沢と木村が他のお客さんとトラブルになったらどうしよう」ということだった。ぼくはこの中では二人の保護観察官的な立場ですからね。だが、藤沢も木村もきちんと体を洗ってから風呂に浸かったし、そもそも浴場にはぼくら以外にお客さんはいなかったから心配は杞憂だった。
3人で奥の大風呂に浸かったあと、手前の大風呂に移動して、放送研究会関連の話をする。ぼくは放研を引退してから1年以上経っているし、藤沢も引退してから1か月以上経っているが、木村は現役バリバリなのでどうしても放研の話になってしまうのだ。
放研では去年から「関口と深田のどっちが次の会長になるか」をめぐって話し合いが続いていたが、結局、新しい会長には関口が選ばれた。一時は衝突することが多かった関口と深田だけど、関口が新会長になった途端、これまでのことが嘘だったかのように深田は協調的な態度に変わったという。いま、関口と深田はめちゃくちゃ仲が良い感じで、それによって部内全体が和やかなムードになっているという。
ぼくはその話を聞いて「なんだかなあ」と思った。いや、関口と深田が仲良くしているのはいいことだし、部内の雰囲気が良くなったのもいいことだが、深田という人間がどういう人間なのかますます分からなくなってきたのである。体制順応型ってことなのかな。ぼくは深田のことを内気で純朴な性格だと思い込んでいたが、実際には社交的で世渡り上手な人間なのかもしれない。ぼくの前ではそれを隠していただけで。
ぼくがこうやって深田について考えてしまうのは、何を隠そう、ぼくは深田が好きだからだ。恋愛的な意味で好きだからだ。その話はもうこのnoteで散々書いてきたから繰り返さないけど、とにかく深田はぼくにとって外見も中身も理想的な男子で、それだけに、ぼくの中の「深田像」がグラつくような話はちょっとあんまり聞きたくない。
お風呂に浸かりながらぼくが二人に「『関口派と深田派に分かれて部が分裂するんじゃないか』とかいう噂があったのがバカみたいだな」と言うと、木村は「フッカ(深田)は彼女ができてから穏やかになったんじゃないですかね。みんなもそう言ってます」と返してきた。
ふーん。そうなのかあ。……って、ん……? 「彼女ができてから」……?
ぼくが「……えっ、あっ、フッカに彼女できたんだ……?」と冷静を装って尋ねると、木村は「あ、知りませんでしたか? フッカは去年の秋ごろから葵ちゃん(深田と同学年の女子)と付き合ってますよ!」と教えてくれた。どういういきさつで二人が付き合うことになったのかとか、どっちのほうから告白したのかとかも木村は伝えてきたような気がするが、ぼくは頭の中が真っ白になってしまっていて話が耳に入らなかった。
自分の心臓がバクバクしているのを感じた。なんかちょっとヤバいかも。動悸ってやつかも。ぼくが二人に「のぼせそうだから先に上がるわ」と言うと、藤沢と木村も「じゃあ自分たちも上がります」と言って一緒にお風呂を出た。シャワーを浴びて脱衣所へ行き、ロッカーを開けて下着を穿いた……ところまでは覚えているのだが、その後のことは記憶にない。というのも、気が付いたらぼくは脱衣所のマッサージチェアにボクサーパンツ一丁の姿で寝かされていたからだ。
目を開けると、ぼくの周りには藤沢、木村、そして銭湯のご主人がいた。どうやらぼくは下着を穿いた直後に気絶して倒れたらしい。それで藤沢と木村がとりあえず銭湯のご主人を呼びに行って、ぼくは下着姿のままマッサージチェアに寝かされたらしい。嘘みたいな話だが、恥ずかしながら100%ガチの話である。人生初の気絶をぼくは池袋の銭湯で体験した。
銭湯のご主人からお水をいただいたあと、自分が下着姿であることに気付いて慌てて服を着る。ご主人からは「無理して長く浸かっちゃいけないよ」と優しく注意されたが、あの時にぼくの心臓がバクバクしたのは別の理由があってのことだ。その理由はぼくだけが知っている。他のひとは知らない。藤沢だって木村だって、もちろん深田だって知らない。
銭湯のご主人に「ご迷惑おかけしました」とお詫びをして、お詫びのしるしに買わせていただいたコーヒー牛乳を飲み切ったあと、ぼくは藤沢と木村と一緒に表へ出た。二人からは「大丈夫ですか? 歩けますか?」とイジり半分で心配された。いやあ、スリリングな40分間だったな。まさか気絶することになるとは。そして、まさか失恋することになるとは。
ぼくは深田のことが好きだった。一時期はずっと深田のことばかり考えていた。放送研究会では部門が違うこともあってほとんど絡む機会がなくて、ぼくも絡むきっかけを作れなくて、そのまま引退して、以前よりは深田のことは考えなくなっていった。それでも深田が好きだった。ずっと深田が好きだった。逆説的な言い方になるが、「深田に彼女ができた」と聞いて頭が真っ白になり、心臓がバクバクし、気を失ってしまったことで、ぼくは自分がどれほど深田を好きだったのかを思い知らされた。ぼくは本当に深田が好きだったんだ。
伊勢崎のマンションへ戻ってからの話は長くなるので、ここでは割愛させてもらう。ただ、その晩はなかなか眠れなかったということは記しておく。伊勢崎と伊勢崎のお兄さんはそれぞれの部屋で寝て、ぼくと藤沢と木村はリビングに敷いてもらったマットの上に川の字になって寝たのだが、藤沢と木村が爆睡する中、ぼくは一人で深田のことを考えていた。考えたところで胸が痛くなるだけだと分かっていたが、考えずにはいられなかった。
ふうん。そっかあ。深田に彼女ができたのかあ。へえ。葵ちゃんと付き合ってるのかあ。へえ。葵ちゃんかあ。葵ちゃんなのかあ。へえ。深田と葵ちゃんかあ。高身長カップルだなあ。……それはともかく、そうだよな。深田に彼女ができるのは当然だよな。逆にあの爽やかイケメンにこれまで彼女がいなかったのがおかしい。遅かれ早かれこうなることは決まっていたのだ。深田はまず間違いなくノンケだし、女性が好きなのだし、女性しか好きになれないのだし、だからぼくと付き合うことはない。そんなことぐらいぼくは初めから分かっていたのだ。
ぼくは失恋する。我が人生、5年4か月ぶり2度目の失恋である。前回は高校2年の時、別のクラスの須川くんに告白して玉砕したのだった。ぼくは再びノンケに片想いして失恋したわけだが、今回は告白する前に失恋したぶん、相手に迷惑をかけずに済んだからよかったのかな。もし告白しちゃってたら色々と大変だったろうな。
「よかった」といえば、池袋の銭湯でぼくが気絶したのが下着を穿いたあとだったのもよかった。さすがぼくって感じ。もし下着を穿く前に全裸で気絶していたら、ぼくはとんでもなく恥ずかしい思いをしていたし、最悪の場合は公然わいせつ罪の容疑者になるところだった。失恋して気絶して逮捕されるって相当切ないですからね。ぼくは自分の危機管理能力に感謝することとしよう。
もちろんいまのぼくはまだ胸が苦しくて、自分でも意外なほどメンタル喰らってるけど、まあこれは、彼女がいるのに後輩男子に片想いしていた罰が当たったってことなんだろう。ぼくは気持ちの上では由梨を裏切ってたわけだもんな。深田にも迷惑をかけず、由梨にも迷惑をかけず、自分が苦しくなるだけで済んでマシだったと思うべきなのかもしれない。いまのぼくはそんな風に自分に言い聞かせて、なるべく深田のことは考えないようにして、学生生活最後の合宿の余韻に浸っているところである。