ぼくは大吉原展へ行く
ぼくは『大吉原展』へ行く。このnoteでぼくはすでに閉幕してしまっている展覧会の話をすることが多いが、これはぼくの怠惰な性格のせいなのであしからず。いや、性格のせいなら「あしからず」じゃなくて「あしき」じゃねえかとツッコまれそうだけど、そもそもぼくみたいな不埒な男に多くを求められても困るのです。
ぼくは美術展やら展覧会やらには彼女と一緒に行くことが多い。これは、美術展やら展覧会やらに行こうと誘ってくる人間はぼくの周りには彼女しかいないからでもあるし(そもそもぼくは由梨と付き合うまでは美術展やら展覧会には行ったことがない人間だった)、ぼくが興味を持った展覧会にしてもどうせ行くなら由梨と一緒に行けばいいやと思っているからである。由梨に黙って一人で or 他の誰かと行って、そのあとに万が一由梨から「あの展覧会に行こうよ」と提案されたら面倒だからね。「その展覧会にはもう行った」と告げるのは気まずいし、だからといって同じ展覧会にもう一度行くのは気力的にも経済的にもキツいし。まあ、そもそもぼくが興味を持つ展覧会なんてものはまずないんですけど。
ただ、『大吉原展』については話は別だ。ぼくは大学に入ってから歌舞伎にハマり、一昨年の秋(2年生の秋)からは落語も聴くようになった。特に落語は吉原が出てくる噺が多い。そういう噺をまとめて「廓噺(くるわばなし)」と呼んだりするぐらいだ。しかし、江戸の吉原っていうのが具体的にどういう文化のどういう構造の空間だったのか、ぼくはいまいち分かってなかったりするんですよね。ニュアンスとして把握しているつもりではあるんですけど。だから、『大吉原展』に行って吉原の文化や歴史を知ることができたらいいなと思ったのである。
4月の平日の午後。由梨から学校帰りにお茶をしようと誘われたので、神田駅近くの喫茶店へ行く。ぼくも由梨も昼食はそれぞれの学食でそれぞれの友人と済ませているので、コーヒー×2とサンドウィッチ×1だけ頼む。今度の日曜はどこへ行こうかという話になり、ぼくは「別にどこでも……」と言いかけつつ、『大吉原展』が開催中であることを思い出した。そこでぼくは「『大吉原展』はどう? 吉原を再現したやつ」と提案する。しかし、由梨は「うーん……それもいいけど、『マティス展』に早めに行っておかない? ゴールデンウィークに入ると混むだろうし」と返してきた。
『マティス展』というのは、新国立美術館の美術展『マティス 自由なフォルム』のことだ。ぼくと由梨はそれに行くことが前から決まっていた。だから由梨が「『マティス展』に行こう」と言うこと自体は何もおかしくないのだが、ぼくの提案を退けてまでそれを言うというのは、きっと『大吉原展』に行きたくないからに違いない。まあ、由梨は吉原とか好きじゃないだろうしな。実際、由梨と一緒に『大吉原展』に行っても気まずくなりそうだ。ぼくは無駄に食い下がったりせず、「うん、『マティス展』にするか。行っちゃおう」と応じた。ぼくは生まれついての平和主義者なのである。
ぼくはこうと決めたら行動が早い。翌日の学校帰り(ぼくのような立派な学生になると4年生になっても連日授業があるのです)、ぼくは一人で上野の東京藝術大学大学美術館へ向かい、『大吉原展』を見に行ってきた。美術館のロビーのところに春画の特大ポスターとかが飾ってあったらどうしようと心配したけど、もちろんそんなことはなく、ふつうに落ち着いた雰囲気である。ただ、来館者の数が想像以上に多く、『大吉原展』がメジャーな展覧会であることを思い知らされた。
100円入れないといけないけどあとで100円返ってくるロッカーに荷物を預け、チケット窓口で学生証を見せて入場券を購入し、いざ展示室へ向かう。一人で展覧会に来るのっていつぶりだろう。ぼくは早くも孤独感に苛まれていた。こんなことで孤独を感じるのは異常だが……
展示室の入口の手前のところ、つまり展示室に入る前の段階のところに、「吉原は女性に対する人権侵害です」という注意書きのパネルが置かれてあった。『大吉原展』は開催発表の時点で「遊郭を美化している」「性的搾取の負の歴史と向き合っていない」として批判→炎上した。展示室の中じゃなくて外にこのパネルが置かれているのは、このパネルが批判を受けて急遽設置されたものだからだろう(推測)。展示の配置を全部決めたあとに、この注意書きのパネルを置くことを決めたんだろうな(推測)。どうせ設置するんなら配置替えして入口正面に掲げればよかったのに。なんか中途半端だなあ……と思いつつ、ぼくは展示室へ入ります。そうです、まだぼくは展示室に入ってすらいなかったのです。
まずは第一会場。巨大な浮世絵だとか、喜多川歌麿やら歌川国貞やらが描いた浮世絵だとか、遊女の一日の流れを紹介するパネルだとかが展示されてあったが、正直言って、これを眺めただけでは吉原がどういう空間だったのかよく分からなかった。ぼくの理解力が低いせいかもしれない。ただ、この程度の情報なら本で読んだほうが頭に入ってくる気がする。
第一会場では、大きくも小さくもないサイズのモニターから映像が流れていた。「吉原はいつどこでできました」的なことをさらっと紹介するガイダンス映像である。ここでも映像の最後に「本展は女性に対する人権侵害を許しません」というテロップが出てきた。これまた批判を受けて急遽差し込んだテロップなんだろう(推測)。そりゃあ、この展覧会が人権侵害を肯定しているとは思わないけどさあ。当時が基本的人権自体が確立されていなかった時代であることに触れずにそれを言ってもしょうがないっていうか……。ぼくにはこのテロップが「はいはい、注意書きを一言挟んでおけばいいんでしょ」的な取ってつけたエクスキューズのように思えてしまって、ちょっとモヤっとした。
続いて第二会場へ。この第二会場は、吉原の歴史(盛隆を極めてやがて廃止されるまで)を絵画とともに辿るような構成になっていた。江戸時代・明治時代に描かれた吉原関連の絵画がびっしり展示されていて、さすがは美大の美術館でやっている展覧会だと感じさせられる。
展示作品の中でぼくがいちばん心惹かれたのは、小林永濯というひとが明治時代に描いた『遊女図』という作品だ。いまは大英博物館に所蔵されているものだという。ぼくは美術の心得が一切ないので、どこがどう素晴らしいかは上手く説明できないのだけど、なんていうか、吉原の世界で生きてきた女性のリアリティみたいなものが伝わってきたのだ。もし由梨が一緒だったら美術的な観点からこの絵の特色を解説してくれただろうに……それが惜しくてなりません。
第一会場よりは第二会場のほうが吉原を詳しく理解できるつくりになっていたかな。第二会場の解説パネルによると、江戸時代の遊女は実家から「身売り」されていた立場であり、その境遇を世間から同情されていたらしい。しかし明治になって「遊郭で働くこと」は自由意志によるものとみなされ、遊女たちに対する世間の同情や敬意は薄れていったらしい。かわいそう。ぼくとしては明治時代の遊女にかえって同情してしまう。
あ、そうそう、この第二会場では、樋口一葉の『たけくらべ』や永井荷風の『里の今昔』を解説しているコーナーもあって、文学部の学生としては興味深く拝見しましたよ。ぼくは文学部は文学部でも哲学科の人間だが、文学の知識が0.1mmもないというわけではありませんのでね(0.3mmぐらいはあるぞ!)。樋口一葉と永井荷風、今度ちゃんと読んでみようかな。
第二会場を出て、地下2階から3階まで階段で上って、第三・第四会場へ。第三会場と第四会場は地続きになっていて、フロア全体で江戸時代の吉原の街並みを再現している。真ん中に通り道があって、両脇に小さい部屋が並んでいて、その部屋の中に絵画だとか文献だとか解説パネルが展示されている感じ。構造としては浅草・浅草寺の仲見世商店街と同じ造りですね。
道の半ばにテレビのモニターが設置されていて、そこではCGで再現された吉原の映像が流れていて、これがぼく的には最高に参考になった。「はあ、吉原の内部ってこんな感じだったのか」「この門が落語によく出てくる『大門(おおもん)』ってやつか」「この柳の木が『見返り柳』ってやつか」って。「百聞は一見に如かず」とはまさにこのことである。喜多川歌麿や歌川広重の貴重な絵画を見たあとにこんなことを言うのは罰当たりかもしれないが、ぼくとしては、モニターから流れていたこの数分間のCG映像が『大吉原展』での最高の収穫だった。
「百聞は一見に如かず」といえば、吉原は想像以上に道が狭いところだったんだなと分かった。いや、この第三・第四会場では道路幅まで正確に再現されていたわけじゃないでしょうけどね。でも、吉原再現フロアを実際に歩いて(+CG映像を見て)そう思った。これなら火事や地震が起きた時は大変だったろうな。みんなパニックになって、道は逃げるひとでぎゅうぎゅうになっていたことだろう。出入口は一つ(大門)しかなかったわけだし。恐ろしい話である。
落語にも吉原の火事を描いた噺がある。『大坂屋花鳥』という噺だ。ぼくはこの演目を十代目金原亭馬生が演じているバージョンでしか聴いたことがない(図書館で借りてきたCDで聴いた)。『大坂屋花鳥』は落語の中でも最も悲惨な物語の一つだ。吉原や花魁が出てくる落語は滑稽なものが多いが、『大坂屋花鳥』には一切救いがない。この噺を聞くと、吉原なんて美化できるようなところじゃないとよく分かる。男性にとっては逃げ場となる空間だけど、女性にとっては逃げ場がない空間だったんだなとよく分かる。現実とフィクションを混同しちゃいけないって言われそうだけどさあ。
じゃあ、慌てて現実──っていうか史実に意識を戻しますか。この第三・第四会場では、第一・第二会場以上に吉原の文化がよく分かる資料が展示されていた。例えば「木札」。吉原の遊女たちは大門(唯一の出入口)から出る際には木札を提示する必要があったという。ほとんど奴隷扱いである。それから、勝川春潮というひとが描いた『日本堤遊歩』という江戸時代の錦絵。たまに吉原の外に出られて喜んでいる遊女たちを描いた絵だ。逆に言うと、こういう絵があるということは、それだけ当時の遊女たちに自由がなかったということである。
第三・第四会場ではさらに、「切見世」(吉原で働けない女性たちが働く最下層の女郎屋)の解説コーナーだとか、幕末の吉原の火事の半分が遊女による放火だったことを伝えるコーナー(待遇の悪さに抗議するために遊女たちが放火したらしい)(ただし必要以上に火が広がらないように周到に計画した放火だったらしい)だとかが続いて、なんていうか、「吉原って単純に美化できるところじゃねえよな」という感情に包まれながら、ぼくは会場をあとにしたのだった。……あ、出口のところに「見返り柳」の写真が飾られていたのは粋な演出だと思いましたよ!
そのまま特設グッズショップへ。図録は3500円もするので買いません。ぼくは絵画に興味があるわけじゃないし。だけど、吉原商店会というところが出している『吉原細見 歴史と文化探求編』というブックレットが500円で売られていたのでこれは買う。500円だと買っちゃうよね。
帰りの京浜東北線の車内で『吉原細見 歴史と文化探求編』のページをペラペラめくってみたところ……これだよ、これ! ぼくはこういう本がほしかったんです! ぼくが『大吉原展』に求めていたけどいまいち満たされなかった要素(吉原の文化や歴史を詳しく学びたい)がこの薄い本一冊に凝縮されているのでびっくりする。しかも、柳家さん喬師匠(柳家喬太郎師匠の師匠)のインタビューまで載ってるじゃんか。
さん喬師匠の明瞭で落ち着いた説明、さっぱりするわあ。そういうことですよね。「楽しい場所でもあったが不幸な場所でもあった」と「不幸な場所でもあったが楽しい場所でもあった」では意味が少し変わってくるが、でも、吉原がそういう二面性を持つ世界だったっていうことは理解しとかないといけない。「当時はそういう時代だったから」と負の部分を見て見ぬふりするのも、「現在では人権侵害だから」と文化的価値を消してなくそうとするのも間違っている。ぼくはそう思う。
さて、その次の日曜日。ぼくと由梨は新国立美術館の『マティス 自由なフォルム』へ行った。六本木ミッドタウンのとんかつ屋さんでお昼ご飯を食べている時、ぼくは由梨に「数日前に学校帰りに『大吉原展』へ一人で行ってきた」という話をした。特別な意味なんかなくて、雑談の流れで話しただけである。そうしたら、由梨が「えっ! 行っちゃったの? なんで行く前に誘ってくれなかったの!」と言い返してきたのでぼくは驚いた。いや、由梨は『大吉原展』に行くのを嫌がっていたんじゃなかったのか? 『大吉原展』は嫌だから『マティス展』に行こうって話だったんじゃ……
由梨の説明によると、由梨は『大吉原展』に行くのが嫌だったわけではないらしい。ゴールデンウィーク前に『マティス展』に行くのを優先しようと言っただけだったらしい。つまり、「由梨は『大吉原展』に行くのを嫌がった」というのはぼくの勝手な思い込みだったらしい。……そんなあ。ぼくとしては気を遣ったつもりだったんだがなあ。
ただ、言われてみるとたしかに由梨は「行きたくない」とはっきり口に出して言っていたわけではなかったし、ぼくも気を遣った以上は「一人で『大吉原展』に行ってきた」なんて明かすべきじゃなかった。そのことは黙って墓場まで持っていくべきだった(大袈裟)。でもね、ぼくは、由梨はやっぱり本当に『大吉原展』には行きたくなかったんだと思う。だけど、ぼくに一人で勝手に行かれて、自分が置いてけぼりにされた感じがしたから「行く前に誘ってほしかった」と拗ねてるんだと思う。……って、これもぼくの勝手な思い込みかなあ?
『大吉原展』が閉幕したいまになってぼくは思う。もし由梨が本当は『大吉原展』に行きたくないわけじゃなかったなら、ぼくらは『大吉原展』へ一緒に行くべきだった。そうすれば、ぼくは由梨から展示絵画について美術的観点から解説してもらえたはずだ。『大吉原展』を美術展としてより楽しむことができたはずだ。そうすれば……。美術展やら展覧会やらに行った時にチケット代の元を取ることを常に考えている自己中心的な彼氏としては、そこのところをちょっと後悔している。