【STORY 2024-25 vol.3】 江原信太朗|“あの2本”から始まるシューターの道
りそなグループ 2024-25シーズン B.LEAGUEで、2シーズンぶりにB1の舞台に戻ってきた滋賀レイクス。Get Louder!をシーズンスローガンに、ホームアリーナを熱く沸かせる戦いに臨む選手のストーリーを紹介します。
第3回目は#25 江原信太朗選手です。
デビューすぐに存在をアピール!
名門・東海大学で2度のインカレ優勝を経験した江原信太朗は、昨シーズン途中に特別指定選手として滋賀レイクスへ加入した。合流翌週の12月29日(vs ベルテックス静岡 GAME1)で初めてベンチ入りし、Bリーグデビューも果たすと、翌日のGAME2では3Pシュートを2本連続で決めてホームアリーナを沸かせた。
何者?大学バスケまではチェックできていなかった方なら、慌てて「バスケ 江原」などのワードで検索したのではないか。すると、検索結果からはU16・U20日本代表選出や「FIBA3x3 U23ワールドカップ2022」6位などの輝かしいキャリアが次々と出てきたはずだ。あるいは大学の2年先輩に八村塁の弟・阿蓮(群馬クレインサンダーズ)や佐渡原遼(ファイティングイーグルス名古屋)ら、すでにBリーグで活躍していた選手たちがおり、同期には日本代表の河村勇輝(NBAメンフィス・グリズリーズ)も…。 “CJ”の愛称で親しまれる江原信太朗はそういうレベルで生き抜いてきた選手である。
エリート街道、生き抜くために変えた道
アメリカ人の父は190㎝台、日本人の母は170㎝台と、ともに長身だった。そのDNAを継ぐ江原も幼少期から背が高く、中高一貫の実践学園では恵まれた身体を活かしてセンターとして活躍した。一方でフォワードもこなせる器用さも併せ持っており、中学では全国大会2連覇の立役者となった。
高校2年のウインターカップではベスト8を経験。高校3年時には創部初となる関東大会優勝を果たしている。そして大学バスケ屈指の強豪、東海大学へ。いわゆるエリート街道を歩んできた江原だが、大学2年の時に“ある決断”を迫られることになった。それはインサイドプレーヤーから「外もできる4番(パワーフォワード)」へと生きる道を変える選択だ。
「大学2年の時、4年生には八村阿蓮選手や佐土原遼選手といった強烈なインサイドプレーヤーがいました。あの人たちと一緒に練習するうち、“自分は高校生の時みたいに中で勝負はできないなぁ”と思いました。それでも生き抜くためには、何かしら得意なプレーを増やさないといけない。それが3Pシュートでした。高校の時も1試合に2本くらいは打っていたので、自分には合っているのかなと。サイズ的にも、プレースタイル的にも“外のできる4番”を意識するようになりました」
プロで生きる道を定めた、あの2本
こうして東海大学でも活躍の場を確保し、2度のインカレ制覇に貢献した。プロキャリアを選ぶ中でも、滋賀レイクスからは”外のできる4番”を期待されてオファーが届いたそうだが、ベルテックス静岡戦の2発が、再び生きる道を変えることになる。
「Bリーグで生き残るためにはまずディフェンスを頑張らないといけないと考えていました。ただ、それだけではダメで、オフェンス面でも武器を作らないといけない。そう考えた時、ドライブでリングにアタックするよりも3Pシュートの方がチームに貢献できるんじゃないかと思っていました。もちろん“外のできる4番”としてですよ(笑)。でも、“あの2本”で生きる道が変わりました。実際、ダビー(ゴメス前HC)も、あの試合後は僕をシューターとして使うようになりましたから。今シーズンも3Pシュートでチームに貢献するつもりです」
昨シーズンの江原はレギュラーシーズン33試合に出場し、3Pシュートの試投数は54本。うち18本を沈め、成功率33.3%という成績を残している。Bリーグ初経験の特別指定選手、それも入団してから本格的にシューターへ転向したことを考えると及第点の数字と見ることができるし、プレーを見たことがあるブースターの方なら、すでにシューターとしてのCJの印象が強いのではないか。
プロ選手としてのルーキーイヤーとなる今シーズンは、さらに持ち味のシュートに磨きをかけ、虎視眈々と「新人王」を狙っている。