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才能が輝く、環境で。

最近、こんな漫画を読みました。

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『さよなら私のクラマー』新川直司

周防すみれ15歳。その才能を生かし切れないまま中学生活を終えたウイング‥‥。そんな少女に、敵チームの曽志崎緑は誘いをかける――「いっしょのチームに行こうよ」。『四月は君の嘘』新川直司が描き出す、青春フットボールストーリー!!
月刊少年マガジンHPより

高校女子サッカー漫画です。

作中で大きなテーマの一つとなっている「女子サッカー界の未来」についても気になるところですが、僕がそれ以上に胸に刺さっているのが、

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突出した才能が 環境のせいで 死んでいくー

第1話の冒頭。
この物語には、自らの才能を活かせる居場所のなかった少女たちが多く登場する。

自分の求めるレベルに周囲が着いて来れず孤立した周防すみれ
弱小チームでメンバーが愛想をついて一人になった田勢恵梨子
男子サッカーの中に紛れてずっと孤独にプレーしてきた恩田希

そんな彼女たちが、蕨青南高校女子サッカー部という居場所を見つける。

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居場所がもつ力は大きい。
そこでは、今まで見つからなかった自分を見つけることができる。

そして、そのもう一人の自分は、自分が本来もっていた才能を存分に輝かせることができるのだろう。

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僕はこの漫画を読んでいながら、誰が主人公なのか分かっていない。
登場人物それぞれに物語があり、輝く時間・場所・理由が用意されている。
それがいい。


3月23日・24日で東京に行っていました。

23日は、第6回シティズンシップ教育ミーティング

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24日は、マイプロジェクトアワード2018全国Summit

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23日は「社会参加のバリエーション」について、24日は「マイプロにおける学び」について考える機会となりました。(どちらも若者世代に引き付けて考えた)

23日、「日本では、自分の意見を表明することについて避けられがちである」という意見が出た。それは、

何か意見を言えば、敵をつくる。批判される。
失敗するかもしれない。
嫌われる可能性がある。

それらを避けた結果、意見を言えなくなる、社会参加しにくくなるということなのかもしれない、と。

中高生・大学生が意見を言える安心安全な居場所は多くはないのだろう。

「ここは自分が安心できる居場所だ」
「ここなら失敗しても大丈夫」

そう思える居場所が、地域が、必要なんだと思った。


24日、学びの多様性について考えさせられた。

マイプロは、自分のやりたいこと・好きなこと・興味のあることなどを出発点としながら、「とにかくやってみる」という経験の中で学びを収穫していく。(ものだと認識している)

当然、マイプロは人によって異なり、それゆえに学びのカタチも人によって異なる。だからこそ、個別最適化が求められる。

それぞれもっている才能が違うわけだけれど、彼ら高校生の居場所の多くは学校。マイプロ発表者のほとんどが、

「こんなことやりたい」と先生に相談したら「難しいから辞めた方がいい」と言われた。

と話していた。(もちろん、そうじゃない先生も多いと思いますが)

教育が「平等性と個別最適化」のバランスで在るとすれば、現行の学校教育は平等性に偏り(過ぎて)いる。

しかし、一概に学校が悪いわけではないと思った。
学校以外の居場所が少ないから、若者の才能が輝く場所・機会を見つけにくいんじゃないかと。
学校教育以外のサブシステム(社会教育など)があるべき姿で成立していないんじゃないかと。


それぞれの若者が、安心して自己表現できる居場所が増えれば(多様になれば)、彼らの「参加」の機会・可能性は大きくなるだろうし、マイプロのような挑戦だってしやすくなるはず。

そういう誰かの才能が輝くことのできるコミュニティ・キャピタルが、今まさに必要とされているのだろう。

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