【コラム】 なぜ読書をするのか?
私はどうして本を読み始めたのだろうとふと思う時があります。
というのも、私は高校の頃までは読書なんて一切していない、部活一筋な脳筋男子学生だったんです。
それがどういうわけか今は読書をして、さらにその感想を文章にしてnoteに書いている始末です。
読書をするようになってからは、むしろそれが普通になってきていたのでどうして自分が本を読むようになったのかについて振り返ったことはなかったのですが、ちょうどいい機会なのでここで考えてみようと思います。
なんか暇だな〜と思って
まず読書を始めたのは大学入学直後の5月ごろだった気がします。
まだ絶賛コロナ禍だったので大学は全てオンライン。録画を見たり、zoomで授業を受けたりとまあ普通の大学生活を送っていました。
バイトしようと申し込んだものの、コロナ禍で人も足りているから、夏まで待ってほしいと言われてとにかく暇を持て余していました。(今となってはこの時の授業をもう少し真面目に受けておけばと思う時もあります笑)
そんな時ふと立ち寄った本屋で暇だし本でも読むかと思って買ったのが始まりでした。一応経営学部に入学したしビジネス書でも買ってみるか?と何かビジネス書を買った気がします。
元々知的好奇心は結構あるタイプだったので読み始めるとすぐにハマっていきました。新しい知識だったり、概念だったり、一冊の本で展開される論理を追っていくのが楽しかったんです。
最初はビジネス書からスタートしましたが、そこから少しすると歴史、哲学、社会学、経済学など割と幅広く読むようになっていきます。
本当は小説とか、詩とかも読みたいのですが、いかんせんそれよりも読みたいものが多すぎていまだに読めていません。あと、なんとなく物語よりも説明文の方が好き(多分論理展開がすき)なのかもしれません。
そんなこんなで本を読む生活が当たり前になって今に至っています。
とにかく楽しいから
仲のいい友達と遊んでいると「最近何してる?」って絶対会話になりますよね。大学生とかだと、「バイト〜」とか「ゲーム」とか「彼氏・彼女とデート」とかこの辺が割と王道です。
私がこれを聞かれると決まって「本読んでる」っていうのですが、これがあまり理解されず…
本を読む=面白くないと思う人のほうが多いようです。でも個人的にはゲームするよりも全然面白いと思うんですよね。
まず何より読書にはゲームのような「クリア」はありません。一冊読んだらまたそれを元に違う本を読む、全く違うジャンルを読む、というように終わりがありません。これが面白いです。
あとたまに「自己投資のために本を読む」って人はいますよね。本を読んで勉強するということですが、私個人としてはこれはほとんど意味がないのではないかと思います。
というのも確かに本にはある程度の教育的効果があることは確かでしょう。読書をすると知識がつくとかはよく言われることですし、何より文章を読むことに慣れるのは結構いいことだと思います。
ただ、これらを加味しても役に立つからという理由で行う読書にはあまり意味はないのではない気がします。というのも読書は確かに役に立つかもしれないけど、それは全て間接的な意味合いにおいてです。
「読書だけしてこんだけ変わった!」ということには絶対になりません。
また、読書は読書して変わったなと思うまでにある程度の時間が必要です。筋トレと同じで、一週間とか短期間ではほとんど何も変わりません。読書の効果を感じたいのであればそれなりにコンスタントに読んでいって3ヶ月くらい経ってからでしょう。
それくらい続けるにはただ「役に立つ」というモチベーションだけでやっていくのは結構しんどいと個人的に思います。(これができる人はむしろ羨ましいです)
何が言いたいかというと、読書をする人はそもそも読書が好きだということです。別に読書したからって何になるわけではないけどとりあえずそれが好きだから読む。
実際私がこんだけ読書を続けられているのはただ単縦に読書というものに面白さを感じているからでしょう。(そもそも私は極度の飽き性で、基本好きではないもので長続きしたことはありません)
読書の面白さ
では読書の面白さってなんでしょうか?私は何に惹かれてここまで読書を続けていったのでしょうか?個人的に理由はこの三つです。
本のまとまり
論理性
新しい価値観
一つ目の理由は「まとまり」です。基本的に本というのは、ある程度全体で伝えたい内容だったり、考えた内容がまとまって初めて本になっています。
ネットの記事のようなただ事実を詰め込んだ「情報」ではありません。そこにはまとまり、言うなれば「ストーリー性」のようなものが存在します。
そして面白いと思う本であればあるほどそのストーリーは深く、重く、引き込まれるものになっています。そんな本に出会えたときは本当に嬉しいですし、深い満足感に包まれますね。
二つ目の理由の論理性というのは、その名の通りその一冊の中で構築される論理の一貫性だったり、意外性です。
私がよく読むような学術書だったり実用書は筆者が展開する論理の結晶のようなものです。
「こういう理由でこうなります」という論理の連なりはそれが緻密にかつ大胆になるとどんどん面白くなってきます。私個人的には論理はそれで一つのアートのようなものだと感じます。
普通に人なら気づかない部分に気づいて、説明してみたり、今までなんとなくわかっていた部分を明確な論理で解説してくれている本にであるとワクワクしますね。
三つ目の「新しい価値観」というのは、その名の通り自分とは全く違う考え方やものの味方を紹介してくれるということです。
私もこれは本を割とたくさん読んで気づいたことですが、人というのは思いっているよりもその個人によって考え方がかなり違います。もちろん自分と似ている人がいるというのも事実ではありますが、それ以上に異なった価値観を持っている人の割合の方が圧倒的に多いことは確かでしょう。
そして、その自分の価値観というものにかなり偏って考えている場合が多いですし、別にそれが悪いことではありません。実際私も私の価値観だったり考え方というのがあります。
ただよくないのは自らの価値観に縛られて、他人のそれを受け入れることができなくなってしまうこと、また自分の価値観が間違っていた時にそれを変える柔軟性を持たなくなってしまうことです。
本は著者の価値観や考え方が大きく反映されています。その人は何が好きで何が嫌いなのか、どんな視点でその問題を見ているのか、文章には直接かかれない情報も含めて価値観の塊です。
そして読んでいると時に自分からすると到底受け入れられない考え方や、反発したくなる価値観を提示されることが出てくるものです。しかしそこでただ感情的になるのではなく、一度その価値観を受け止めた上で正しく「批判」する。本を読むとこれができるようになってきます。
また、同じ問題をたくさんの観点から観察することもできるようになります。価値観とはすなわち「視点」とも言えます。例えば今全世界的に問題になっているウクライナや中東の戦争一つとっても、政治的観点からこれを観察するのか、経済的観点から見るのか、はたまた歴史的観点から見るかでその考察は大きく変わってきます。
そしてこの三つ目こそが、私が1番読書を楽しいと思う理由です。
実際に読んでみてほしい
ここまでどうして自分が読書をするのかということを振り返りながら、読書の面白さについて考えてみました。
こうやって改めて考えてみるとやっぱり読書っていいなとしみじみ思います。
ただだからと言って別に読書を強制したいわけでも強引に勧誘したいわけでもありません。ただもし少しでも興味があるのならばぜひ一冊気になった本を本屋さんで選んで買って読んでみてほしいと思います。
もしかしたらその一冊が、思いもよらずあなたの生活を変えるものになるかもしれないのですから。
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