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【コラム】 本なんて読まなくていい

こんにちは!

皆さんは本を読むのが好きですか?

私は読書がとにかく好きなんですが、今日は自分が読書が好きだからこそ強く感じたことを記事にしていきたいと思います。


読書はいいものなのか?

私が読書をしていて不思議に思うのが、誰かと趣味の話になった時『趣味が読書』というとなぜか『えらいね』とか『賢いんだね』という反応がまず間違いなくかえってくるところです。

ただ、謙遜でもなんでもなくぶっちゃけますが、私は決して頭も良くないですし(その証拠に高校、大学と2度受験には失敗しています)別に本を読んでいるからといって特に自分が偉いとも思ったことありません。

これが趣味ゲームと言ってもまず間違いなくこの反応は返ってこないと思いますし、スポーツ観戦とか、そのほかの趣味でも少なくとも『えらい』という反応は絶対にないでしょう。

こういった印象の原因の一つとして『読書』という行為が我々にとってそのまま『勉強』という概念に結びついているというのが挙げられます。

だから趣味が読書というと「趣味が勉強の人」のように間接的に捉えられてしまっているのではないでしょか。(勉強が趣味な人ももちろんいると思いますが)

ただまず間違いないのは読書が好きな人はこんなことを全く思っていないということです。ただ純粋に本を読むのが好きだから読書しているのです。

『読書をしよう』なんて絶対に思わないこと

また、読書のよくある勘違いの一つに「読書をすれば成長できる」と思われていることがあります。まあ最近人気の自己啓発系コンテンツにも「読書を習慣化しろ」とかってよく書いてありますし、「自分磨き」の一つの方法として読書はよく利用されます。

ただ、それなりにたくさんの本を読んできた私から言わせてもらうならば読書をしたからイコール成長するというのは絶対にありません。

確かに一つの手段として読書が役にたつ「可能性」はあります。ただ、結局のところ一人の人間が何をしたら成長するのかなんてものはやってみてある程度の時間が経って見なければわかりません。結果論でしかないのです。

もちろん私は読書が大好きなので、そのきっかけはどうであれ読書を始めてそれを楽しいと思ってくれる人が一人でも増えるのであれば嬉しい限りです。ただ、『無理に』読書を習慣化しようとしたり、継続しようとするのだけは絶対にやめた方がいいと思います。

そんなことをするなら普通に自分がやっていて楽しいことをやっていた方が圧倒的にその人にとっていいですし、幸せです。

最終的には「好きかどうか」が1番大切

私のアイコンにもなっている17世紀のオランダの哲学者バールーフ・スピノザの著書にこんな言葉があります。

事物はそれ自体では善でも悪でもない中間物である

この言葉は私が1番大切にしている言葉の一つです。

意味はそのままで、「良い」とか「悪い」などの価値判断というのは、そのもの自体に存在するのではなくて、あくまでそれを判断するものにとっての価値であり、普遍的なものではないということです。

これを読書に当てはめれば、別に読書という行為自体は良いことでも悪いことでもなくて、その人がどう思うかによって良い悪いが決まるということです。

なので、別に読書が嫌いなのであればやらなくても全然良いのです。嫌いな読書を「成長のため」とか「勉強のため」などと言ってやってもなんの効果もありません。

つまり大切なのは、何か社会的に良いとか悪いとか言われていることをあまり考えずに自分にとって何が良いのか、何が楽しいのかということをよく考えてみることなのではないでしょうか。

ここ最近考えていたことをお伝えしました。

ではまた明日。


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